ローズ・パーク邸…めぐりこぞりて
ローズ・パークへ急ぐ馬車の中。
ルシールは、いよいよ濃厚な疑いを持ち始めた。
(マティは『婚約してる』と言ってたけど)
キアランの方を、そっと窺う。いつもの無表情だ。
(ダレット嬢とリドゲート卿の間にある、ピリピリとした空気、どう見ても、明らかに婚約関係という雰囲気では無いわよね……ダレット夫妻の方は、気難しい貴族も多いと聞くから、ああいう人たちなのだと理解するしか無いけれど)
ルシールは思案に沈みながらも、ボンヤリと馬車窓の外に目をやった。
昼下がりから夕方に移っていたが、夏至が近付いている事もあり、まだ明るい。長い薄暮の道が続いている。
(最大のミステリーは、『婚約者たるアラシア・ダレット嬢』と、『友人とは言えライナス氏』との、『度を越えたイチャイチャぶり』を見せ付けられて、リドゲート卿が、それでも、なお冷静だという事だわ)
知らず知らずのうちに、ルシールはキュッと眉根を寄せる。少女っぽい繊細な顔立ちの中で、大きな目が、表情をクルクル変えていた。その目は光を受けて、紫を帯びた色合いに千変万化していたのだった。
急に、キアランが身を乗り出して来る。
「何を考えていたんですか、ルシール?」
「いえ……!」
不意打ちだ。ルシールは飛び上がった。
やがて、後方から騒がしい音が近づいて来る。やけに重量感のある車輪の音だ。
思わず窓越しに後方を眺め、ルシールは唖然とした。ただならぬ土埃が、もうもうと立っている。
前部座席に座っていたキアランも同じように後方を確認し、険しく眉根を寄せていた。
「ダレットの馬車か。外泊の荷物も積んでいるから、倍以上の重量の筈だ。あれでは、一時間もしないうちに馬が疲労でつぶれてしまう」
「ありゃ正真正銘のストーカーですね。追突しますよ。あっちの御者に速度制限の合図を送っておきます」
さすがに御者も困惑した様子で、連絡窓を通してボヤいて来たのであった。
*****
日没の刻だ。
馬車の中は急に暗くなっていく。キアランは天井のランプを取ると、ルシールに差し出した。
「そろそろ車内灯を点けます。揺れるので持っていてくれますか」
キアランが手元で起こした火が、ルシールの持つ車内灯に移される。
再びルシールの方を見たキアランは……目を見張っていた。
「――目の色が……?」
「え?」
ルシールは目をパチクリするのみだ。次に手元の車内灯を眺める。ふと気づくところがあり、ルシールは、おずおずとキアランの方を見やった。
「もしかして、目が紫色になってます?」
「アメジストのような……」
キアランは呆然とうなづいていたが、すぐにマティと同じ結論に辿りついた様子だ。
「角度で変化するのか……光の反射?」
「何だかそうみたいですね、マティの説明によれば……母と同じ目をしている……とは言われましたが」
ルシールは曖昧に首を傾げながらも、キアランに車内灯を返した。
車内灯の光が天井に落ち着き、ルシールの目は、再び長い前髪の陰になる。ルシールを見つめ、何かに納得したように、キアランは呟いていた。
「陰になると、いつもの茶色……成る程」
次の瞬間、ルシールの顔は、力強い大きな両手で挟まれた。何が起こったのか分からず、息を呑むルシール。
何を思ったかキアランは、ルシールの顔をランプに向けさせたのだ。ルシールの前髪が脇に流れ、妖精のような繊細な面差しが露わになった。
「こうすると、ライラック色になるんですか」
キアランは少しずつルシールの顔を傾けて、その目の色の変化を観察し始めた。ルシールは驚きの余り、目も口もパカッと開きっぱなしだ。
(近い! 顔が近すぎるわ!)
ルシールの目は、光の当たり具合で、薄い紫色から濃い紫色に変化する。ある特定の角度になると、その目の紫色は、宝石のような鮮やかさになった。
「ふーん……大体アメジストの色合いですね」
キアランは感心したように呟いた。
いつもは冷淡な雰囲気のある黒い目は、興味津々といった風にきらめいている。そうしていると、少年のようだ。さすがマティの親戚と言うべきか、未知に対する好奇心は、年は違えど似通っているらしい。
ルシールはキッと眉を吊り上げ、パッと座席の奥に飛びすさった。キアランの手が外れる。
「人の顔で遊ばないで下さいッ!」
「失礼……」
キアランは名残惜しそうに座席に座り直すと、再びルシールに見入って来た。
「この紫色を、良く世間から隠しおおせたものですね」
「てっきり既に気付いてると思ってました。人の事をジロジロ見てらっしゃるし……」
息を弾ませ、ドキドキする胸を抑えながらも、ルシールは切り返したのだった。まだ頬が熱い。
「それは、エドワードが追いかけているお嬢さんの親友だからですよ。『その人物を見るには、その友人を見よ』と言いますから」
「アンジェラ!?」
「エドワードはアンジェラに惚れています」
ルシールは唖然とするばかりだ。余りにも信じがたい(しかし信じられる気もする)話だ。やがて、文字通り頭を抱え出すルシールである。
「済みません、ちょっと頭が追いつかなくて」
「アンジェラのような女性を放っとく紳士が居るとは思えませんが。怪しげな縁結びしているくせに、自身については想定外だったと言う訳ですか?」
キアランはキアランで、理由は分からないが、呆れ返っている様子だ。ルシールは思わず反論する。
「結婚を前提とする縁結びで、怪しいものではありませんわ。それに大抵の紳士は、アンジェラ周辺の事情を理解した途端に、決まって退散してしまいますし」
キアランは少し目をしばたたいた後、納得顔になった。
「あの時、ロックウェル事件のゴシップを持ち出したのも、エドワードを退散させると言う目論見があった訳か……」
図星だ。思わず言葉に詰まる。
キアランはなおも、しげしげとルシールを眺めている。眼差しは相変わらず鋭い物ではあったが、感嘆している部分が大きいのか、余り威圧感を感じない。かえって、こんな表情もするのかと言う意外さがある。
「しかし、実に迂闊でした。あなたの事を、もっと調べる必要がある」
「私は犯罪してません、お尋ね者と言われても困りますわ」
ルシールは恨みがましい気持ちで、キアランを睨んだ。
キアランは少しの間、しげしげとルシールを見つめていたが、やがて、口元に、不意に微かな笑みを浮かべたのだった。
「その意味で言ったのではありませんが」
――目はけぶるように細められ、口元は控えめなアルカイック・スマイル。ミステリアスな――
ルシールはドキッとして目を見張る。
笑みは一瞬だった。次の瞬間には、キアランは、いつものようにムッツリとした無表情で、馬車の窓の外を眺め始めていたのだった。
――先程の笑みは、何処かで見たような……
ルシールは、その確信の強さに戸惑った。しかし、暫く考えているうちに、パッと閃く物があった。
館の画廊に掲げられていた、あの一組の夫妻の肖像画……『ロイド&ホリー・グレンヴィル』。
キアランの横顔を、そっと眺める。
(リドゲート卿の笑みは、グレンヴィル夫人ホリーの笑みに、良く似ているんだわ)
*****
馬車はローズ・パーク邸の正門の前に到着した。前庭ロータリーを回ってキアランとルシールを降ろすと、他の招待客の馬車と共に駐車場へと引っ込んでいく。
キアランはルシールをエスコートしながら、ローズ・パーク邸の玄関広間に入って行った。すでに来ていた招待客たちが、チラチラと注目して来ている。
やがて、地元の名士と思しき、気の良さそうなシニア紳士がヒョコヒョコと近付いて来た。シニア紳士はシルクハットを取り、キアランに何度もお辞儀する。
「これは、リドゲート卿。昨夜は我がカニング家の舞踏会へお越しいただきまして……今夜のお連れは、どなた様で?」
「彼女は亡きアントン・ライト氏の孫娘、ルシール・ライト嬢です」
「おお。ライト嬢。お初にお目にかかります。アントン氏には、いろいろとお世話に」
ルシールは上品に微笑み、淑女の礼を返した。
「祖父がお世話になりました。今後ともよろしくお願いいたします」
上流社交界で見かけるような綺麗な淑女の礼だ。カニング氏も、ほかの周りの紳士淑女たちも、ちょっと目を見張っていたのだった。
周囲の視線のざわめきが大きくなり、当惑してしまう。ルシールは上気しつつ、半分うつむいた。
キアランがカニング氏に一礼し、身を返す。そつのないエスコートだ。ルシールは気を取り直し、会場へと歩を進めた。
(ローズ・パークのオーナー協会員になった時のためにも、慣れておかないと……)
大扉の前で、ローズ・パークのオーナーの一人ケンプ氏が、多くの招待客たちに順番に歓迎の言葉を掛けていた。ケンプ氏は早速、キアランとルシールに気付き、一礼して来た。
「ローズ・パーク舞踏会へようこそ。リドゲート卿、ライト嬢」
続いて「オッ」という顔になるや、満面の笑みを浮かべるケンプ氏である。
「そのライラック色のショール、似合ってますね」
「ありがとうございます」
ふと、隣の気温が下がったような気がする。
思わずキアランの方を眺めた。キアランの無表情は変わったようには見えないが、何処となく不機嫌そうな気配が漂っている。ルシールは警戒しつつ、首を傾げるのみだ。
人の流れに乗って、キアランとルシールが会場となっているローズ・パーク邸の大広間に入ると、早速、カーティス夫妻が挨拶に出て来た。
毎度ながら、平凡な印象のカーティス氏に比べて、派手な印象のカーティス夫人の方が目立つカップルだ。
カーティス夫人は中年世代の女性なのだが、ハキハキとした陽気な話しぶりと快活な立ち居振る舞いは、彼女を実際の年齢よりも若々しく見せていた。ややもすれば若作りに見えそうな大柄模様のある赤系統のドレスも、かえって似つかわしい。
「ようこそローズ・パーク舞踏会へ! オーナー協会の会員も全員揃っておりますの」
「舞踏会の招待を有難うございます、カーティス夫妻」
「本来はグリーヴ氏も、こちらにいらっしゃる予定でしたが、会場支配人の件で。代わって不在をお詫びします」
キアランはいつものように、丁重に一礼した。
ほどなくして庭園担当のオーナー、ウォード夫妻が出て来て、順番に会釈して来る。
「グリーヴ夫人は、少し遅れて来るとか」
「あぁ、会場支配人の件だったわね。あ、それから……」
*****
ダレット一家は、上座の方の贅沢な造りの扉から、堂々と遅れて会場に入って来た。アラシアをエスコートしているライナスは特別枠だ。
レオポルドは早速、オーナー協会の人々とキアランとが社交辞令を交わしている様子を、不機嫌そうに睨み付ける。
「まずはオーナー協会か? キアランの奴、どこまでも堅物だな……フン!」
レオポルドが他にも何かブツブツとのたまっていると、廊下の方からレナードが現れた。先に会場に到着していたのだ。
「父上! 伯爵邸への私の出入禁止の問題、どうなりましたか」
「まだだ……新しい問題が発生した。あの当て馬の女を何とかしてからで無いと、次に進めん」
華やかな舞踏会場の中、バラ模様が織り出された瀟洒な垂れ幕の陰で、完璧な美貌を寄せ合いながらも、穏やかならぬヒソヒソ話をする金髪碧眼の父子である。
ダレット父子の視線の先には、オーナー協会の面々と談笑するキアランとルシールが居た。
ルシールの包帯は既に取れており、化粧も工夫したのか、顔の傷跡も目立たない。マティの奮闘の甲斐もあって、シンプルな黒いドレスに合わせて頭にセットされた濃色のリボンには、アメジストのバラの形の装飾が綺麗に映えている。
キアランの方も、ルシールに合わせたかのようにシンプルなタイプの正装をしている。ルシールをエスコートしていても、ちぐはぐな印象が無い。
「馬に蹴られても死ななかったとは、さすが魔女ですね」
レナードはフンと鼻を鳴らし、けだるそうに呟いた。
ダレット家の父と子がヒソヒソ話をしていると、垂れ幕の向こう側から、若い金髪の令嬢が近付いて来た。
「まぁ、こちらでしたのね、レナード様」
「おや……そちらは、オーナー協会のお出迎えかな?」
レオポルドは威儀をただし、重々しく威厳タップリの声を掛けた。見知らぬ金髪碧眼の令嬢は、優雅な淑女の礼を返す。エキゾチックな所作だ。
惚れ惚れする程のあでやかな美貌に、天使のような清らかな微笑み。均整の取れたスラリとした背丈。外国風のドレスのラインが、キュッと絞られた細い腰を強調している。理想的なふくらみを持つ柔らかそうな胸。そして、その悩殺的なまでに魅惑的なナイスバディに対して、まとっている宝飾やドレスは、薄いクリーム系を基調とした、意外に上品で慎ましいデザインだ。その所作も、あくまでも清楚である。
レナードが得意そうに令嬢の方に身体を傾け、物慣れた様子で人物紹介をした。
「最高に素晴らしい令嬢ですよ、此処のオーナー代表の姪御、シャイナ嬢は」
「カーティス夫妻の、自慢の姪か。アシュコートでは、息子が世話を掛けたようだな」
「ご存知でいらしたとは、身に余る光栄でございますわ」
「シャイナ嬢は海外育ちだけど、意外にも、ここテンプルトン出身なんだよね」
「叔父と叔母に招かれて参りましたの。こちらの約束事など、まだ覚束ないところがございまして。ダレット家の皆様がたにおかれましては、ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
シャイナは雅やかそのものの微笑みを浮かべ、会場の一角を独占している若者たちの一団を見やり、ソツの無いお世辞を述べた。
「レナード様のご自慢の妹様は、今夜のお相手も素晴らしくていらっしゃいますね」
アラシアは、赤毛の優男・ライナスのエスコートを受けながらも、その輝くばかりの華麗な美貌で、会場の若い紳士たちの注目を一身に集めている。
レオポルドは素早くキアランを窺った。
キアランはルシールをエスコート中だ。オーナー協会の面々と共に、主だった名士たちの間を挨拶回りしていて、アラシアの方を、まったく注目していない。
レオポルドの目尻が、忌々し気にピクピク震え始めた。
「む。エッヘン!」
*****
会場の一角。
カーティス夫人は、ようやく陽気なお喋りを止め、今夜のダンスの順番について説明を始めた。
「オーナー協会の親交のために、最初は代表とペアを組み……、あッ、今夜はリドゲート卿がいらしたんだわ」
脇に立つカーティス氏も、ウッカリしたと言う様子で、会場を見回しながら口を挟んだ。
「シャイナは何処だい? 一緒に来た筈だが……」
「困ったわねえ、あの子ったら……リドゲート卿のお相手を務める筈だったのに。あら、グリーヴ夫人。シャイナを見かけなかったかしら?」
通りかかった所を呼び止められて、グリーヴ夫人は首を傾げながら歩み寄って来た。
「姪御さんなら、ダレット一家が先程いらしたから、接待に出て行った筈ですよ。毎度ながら贅沢な装いの御一家……いえ、今回はストリート・ショッピングとかで、この辺りに外泊のお話もあるみたい」
「まあ! まあ! そうだったわッ、レナード様に気に入られて」
カーティス夫人は頬に手を当てて、キョロキョロし始めた。
次の瞬間、ぱあぁッと閃いたような顔つきになる。カーティス夫人は、いきなりルシールの肩に、ポンと手を置いた。
「ちょうどぴったり! 正式なオーナーじゃ無いけど新人だし、あなたも一曲目の程度なら、お茶の子さいさいでしょ!」
ルシールはポカンとした。
(私が、リドゲート卿のペアを務めるの!? よりにもよって、先発の一曲目で!?)




