クロフォード伯爵邸…庭園ラプソディ(前)
朝から春らしい上天気だ。
クロフォード伯爵邸を城壁のように取り囲む緑の木々が、陽射しを受けてキラキラと光っている。
朝食後、ルシールとマティとクレイグ牧師は、画廊にある円卓を囲んで、早めのお茶タイムを過ごしていた。
昨夜から気にかかっていたのだろう、クレイグ牧師は早速、ルシールに質問をする。
「ライト嬢……ルシール嬢は、『前の子爵』の騒動や、その後のクロフォード伯爵領の出来事、アイリスさんから何も聞いていませんでしたか?」
「母は、昔の事は、あまり話しませんでしたので」
クレイグ牧師は納得した様子で、溜息をついた。
「分かるような気がします。あの頃は、色々ありましたから……」
マティ少年は不思議そうな顔をしながらも、察しよく沈黙を続けている。
「クロフォード伯爵領では、30年ほど前、ローズ・パーク地主でもある『前の子爵』の失脚がありました。彼は、クロフォード伯爵家における宗家直系の後継者と目されていながら、第一位の爵位継承権を失った……此処までは、ご存じですね」
ルシールは小首を傾げながらも、相槌をうつ。
「当時、クロフォード伯爵家、つまり伯爵宗家たるセルダン家には、他には後継者となるべき男子がありませんでした。爵位継承権は、宗家直系の血脈を継ぐ別の家系に移行していきましたが、それと共に、領内では深刻なギャング抗争が発生したのです」
ルシールは驚きに目を見張った。
「ローズ・パークは巨額の負債を抱えており、そこにギャングマネーも絡んでいました。ギャング抗争はローズ・パークの地所とテンプルトンの町全体に広がり、爵位継承者が相次いで死亡しました。その結果、末席に過ぎなかったダグラス家に、爵位が回って来たという訳です」
マティが早速、口を挟んでくる。
「いわゆる『驚天動地』だよねッ。ギャング=タイターも……」
「こら、マティ」
マティは、クレイグ牧師の本気を悟り、両手で口をパッと抑えたのだった。
*****
お茶タイムを終えて、画廊を退去する。
ルシールは、クロフォード伯爵邸の地階を巡る回廊を歩いていた。
少し先に、庭園へ通じるコーナーがある。
作業着姿のルシールは、腰まで届く濃い茶色の髪を簡単なポニーテールにまとめ、麦わら帽子を抱えているという格好だ。
ほどなくして、文書を運んでいた執事と遭遇する。
「ライト嬢も外出ですか? どちらまで?」
「庭園の東側です。昨日、マティと約束していたので……」
次にルシールは、執事の質問の奇妙さに気付いた。
「私も……って事は、今日は誰か外出してます?」
「ええ。今朝、リドゲート卿が領地見回りに乗馬で外出されましたので。治安判事が半分を受け持ちされるので、大体お昼過ぎに戻られる筈です」
「承知いたしました」
ルシールは微笑んで一礼した。
(道理で、朝早くから、リドゲート卿をお見かけしなかったわ。いつも無表情で冷淡な感じだから、何を考えているか分からないけれど……)
既に表に出ていたマティは、上機嫌で庭園の入り口をクルクル走り回っている。その後を付いて庭園に入りながらも、ルシールは、クロフォード伯爵邸の方をチラリと振り返った。
(クロフォード伯爵様は脚を悪くしている。オリヴィア様のように、外出も難しい筈。リドゲート卿が、当主の跡継ぎとして、代理を務めている訳で……きっと、彼は責任感の強い人に違いない)
キアランがまだ独身である事は、館の様子からして明らかだ。
(アシュコート舞踏会ではバタバタしていて時間が無かったけど、次の機会に、良縁を紹介してあげられるかしら?)
*****
ルシールとマティが庭園の散策に出て、少し後。
弁護士カーター氏の乗った馬車が、慌てたような速度でクロフォード伯爵邸の正門をくぐり、前庭ロータリーに入って来た。カーター氏は、メイドの一人からルシールが画廊に居た事を聞き出すと、足早に画廊へと駆け込んだ。
引き続き、画廊でお茶をしている最中だった執事とクレイグ牧師が、カーター氏の常ならぬ慌てぶりに目を見張った。
「カーター氏?」
「一体どうされたのです?」
「お騒がせして済みません。ライト嬢の一筆に、タイター氏からの反応がありました。ライト嬢は、何処に?」
クレイグ牧師が目をしばたたきながらも、窓に目をやった。その窓からは、クロフォード伯爵邸の庭園が一望できるのだ。
「私の孫のマティと、庭園の東側辺りをデート中の筈です。少ししたら、戻って来るかな?」
「それでは、ライト嬢が戻った時に……」
執事が不思議そうにしながらも、タイミング良く口を挟む。
「まあ、お席にどうぞ。それにしても、カーター氏を走らせるとは、一体、如何なる内容で?」
カーター氏は、ふうっと息をついて着座した。明らかに困惑している様子だ。
「プライス判事との協議の結果、内容が問題になったため、この書状はライト嬢を保護する館内においては、公開扱いとなっております」
カーター氏は手持ちのカバンから書状を取り出した。
あまり質の良くない封筒と便せんだ。文面を開いてみると、ギョッとするくらい乱暴な筆跡が目立つ。
執事とクレイグ牧師が、興味津々で身を乗り出す。
『貴様は金目当てでアイリスの子孫を騙る詐欺師じゃ! 最も偉大なる尊大なるワシ、タイター様に逆らう輩には、今日の命も無い物と思えや、コラ! 本当に幽霊じゃ無いと言うなら、明日の朝一番にクロス・タウンのレンガ倉庫裏にツラを出せや! ぶち殺すぞ、コラ!』
残りの文面は、全て罵詈雑言スラングの嵐だ。
執事がポカンとした顔になる。
「……ギャングの脅迫状?」
テンプルトン街区に詳しいクレイグ牧師が、早速ピンと来て、指摘する。
「カーター氏、この『レンガ倉庫の裏』というのは、領内でも評判の、治安の悪い裏街道のところですね?」
「御意。過去、ギャング抗争の場になった実績がございます。そのうえ、この『今日の命も無い物と思え』という一節が……」
「プライス判事には?」
「ええ、本日付で緊急応援を。必要とあらば、身辺警護用のスタッフを、こちらにも派遣いただく事になっております。タイター氏はテンプルトンの金欠ギャングで、場末の賭場を経営しており……詐欺や恐喝も、お手の物とか」
執事が困惑顔になり、首を傾げた。
執事の見るアントン氏は、確かに気難しい老人であったが、それでも土地持ちの名士ならではの品格を持つ紳士だった。アントン氏の孫娘ルシールも、上品な淑女だ。遠い血縁とは言え、ギャングの親戚が居るとは実に驚きである。
「何処で道を踏み外したのでありましょう?」
「事業の拡大に失敗したとか」
カーター氏が滑らかに回答する。既にタイター氏の経歴は調査済みだ。
「元々ビリントン家はライト家より格上で、昔はテンプルトンの良家の一つとして、平均以上に裕福だったそうですが……」
「確か、トッド家もテンプルトンですから、タイター氏とは結構やり合ってますね……」
執事の指摘にクレイグ牧師はうなづき、再び窓の外を見やったのだった。
*****
マティとルシールが、緑の生け垣に囲われた庭園道具の倉庫の前を通ると、その生け垣の片隅から亜麻色の毛玉――パピィが飛び出して、二人を歓迎して来た。
パピィは、マティとルシールにモフモフされて上機嫌になった。その後、最初は二人の周りを駆け巡っていたが、やがて別の関心事を見つけたのか、いつの間にか姿を消した。
マティは庭園を巡る散策路を歩きつつ、ルシールの質問に次々に答え始めた。
「ダレット一家? クロフォード直系親族なんだって。ダレット当主が、先々代の伯爵の腹違いの弟でさ。王族に近い血統が入っているとか」
「王族親戚って事ね」
マティの頭の良さは、留まるところを知らないのであった。子供という事もあって理解状況は怪しいものの、受け売りに関する記憶は素晴らしく正確だ。
「血統主義の親族と、そうで無い親族が、そのダレット当主とキアランのどちらがクロフォード伯爵の正当な跡継ぎかってところで、今も揉めてるんだ」
「王族親戚ともなると、それは確かに揉めそうね」
喋り続けている間にも、バラ園に到着する。
頑丈さと繊細さを兼ね備えた瀟洒な柵に囲まれているこのバラ園も、アントン氏の手になる物だけあって、花の季節になれば見事な眺めになるだろう事が窺える。
マティは、バラ園の柵の上に身軽によじ登ると、器用なアクロバットを始めた。
「じいじが、前にも話してくれたけど……何だか良く分からない話だったな。昔のゴタゴタで……爵位継承権を持つ直系の類の親族は、ダグラス家以外は破滅していて……後はトッド家とか、傍系の親族だから、地位に大きな差があり過ぎだとか」
「貴族社会では、宗家と分家とで、身分が大きく違うものね」
ルシールは相槌を打ちながら、マティの話に耳を傾けていた。
貴族社会は、得てして血統を重視するところだ。今でこそ嗣子相続については、『養子縁組も含まれる』とはしているが、血統の伝承は今なお重視されている。
マティのような傍系の男子が爵位を継ぐ事は不可能では無いが、『宗家直系の親族ないし分家に相当する血族との婚姻』が、絶対条件としてあるのだ。
暫しの間、マティはバラ園の柵の上で熱心にアクロバットをしていたが、やがて、むくれた様子になった。
「オイラは、ダレットの鬼婆の事は嫌いなんだ」
「……ダレット夫人の事? 何だか話が見えないけど、とりあえず夫婦なの?」
「鬼婆ってのは、ダレット家の19歳の娘の事さ。金髪美女に化けてるけど、オイラは騙されねーぞ」
何処かファンタジーが混ざっているような返答だ。ルシールは小首を傾げた。
(19歳の、うら若い令嬢が鬼婆とは、これまた奇妙なコメントだわ)
バラ園の柵から身軽に飛び降りた後も、マティのお喋りは続く。
「鬼婆アラシア、13日の金曜日、キアランと魔のコンニャクしたと言ってるけど」
「コンニャク? どういう事?」
「つまり、こういう事さ……」
マティはバラ園で赤いバラを手折ると、コミカルに身をくねらせ、バラをドラマチックに振り回して見せた。
「キアランはアテクシと結婚するわ、オホホ!」
その高笑いも、物真似らしきコミカルな身振りだ。納得しつつルシールは苦笑した。
「つまり、婚約って事ね」
既に婚約者が居る――アシュコートの舞踏会で、金髪紳士エドワード卿よりも余裕があるように見受けられた訳だ。
ルシールは納得すると共に、何故か、ちょっと気が抜けたような気持ちになったのだった。
気を取り直し、マティが手折った赤いバラに目を留める。
「早咲きのバラね、ちょっと貸して……手を切るから、トゲはちゃんと落とさないと」
ルシールは手荷物を入れた袋から小型ハサミを取り出すと、器用にバラのトゲを切り落としていく。
この小型ハサミは、アントン氏の倉庫から拝借した物だ。錆が出ていたハサミとは別である。少し念を入れて手入れしただけで、本来の物らしい見事な切れ味がよみがえっていた。
ルシールは微笑みながら、マティにトゲ無しのバラを差し出した。
「クロフォード伯爵家にとっては、最高の縁組でしょ。分かれた一族が、また一つになるって感じだし、しかも王族親戚だし」
「そりゃ状況は、そんな感じだけど……」
マティはバラを受け取りながらも、不満タラタラの表情だ。
「大好きなお兄ちゃんを取られちゃうから、ヤダ、ってところ?」
「そんなじゃないよ」
マティは、ぷうっとむくれかえった。思わずルシールは吹き出し笑いをしてしまう。
ルシールはクスクス笑いながらも、周りに広がるバラ園を観察し始めた。緑の葉群の間で、ルシールの麦わら帽子の頭がヒョコヒョコと動く。
ほどなくして、ルシールは違和感に気付き、首を傾げた。
――人工的に踏み荒らされたような箇所が目立つ。
三ヶ月の間、放置されただけで、此処まで痛むだろうか。荒天や雑草のせいだけでは無い、不自然な荒れようだ。
「……このバラ園、かなり痛んでる感じね」
「邪悪な宇宙人が陰謀していて、侵入してんだよ」
「……?」
「こっちだよ」
マティは疑問顔のルシールを手招きし、庭園の奥の方へと進み出した。




