クロフォード伯爵邸…庭園ラプソディ(後)
バラ園を過ぎ、雑草や枝葉が伸び放題になった散策路を歩いて行く。
低木で仮に仕切られた境界線を幾つか通り過ぎると、やがて敷地の境界を示す柵が見えて来た。
さすがに一番外側の柵という事もあって、背丈を超える高さだ。だが、牧草地の囲いと同じように、木製の板をまばらに連ねた簡素なスタイルである。
そして。
樹木に見え隠れしながらも、いきなり柵の破れ目が現れた。
明らかに人手によるもので、ポッカリと破壊されている。鈍器か何かで、力任せにメチャクチャに破ったのか、破られた板はひしゃげながら散らばっている。庭園道具の倉庫入口の、無残な破壊ぶりを思わせる空間だ。
破られた範囲は、意外に幅広かった。
目測だが、破壊によって広がった隙間は、二メートルほどだろうか。大量の戦利品をせしめた泥棒でさえも、膨れ上がった袋を抱えたまま、敷地の外を通る小道にサッと逃げ出せる状態だ。
柵に沿って平行に走っている、その明らかに裏道と思しき岩がちな小道は、人通りの多い――と言うよりは、馬通りの多い道らしい。土になっているわずかな部分には、蹄鉄を付けた馬の、妙に新しい足跡が残っている。
小道の下は結構な崖になっていて、むき出しになった岩がゴロゴロとしており、小川が岩を噛みながら流れていた。多種多様の低木や草で出来た藪が、堤防さながらに岩をガッチリと抱えつつ生えている。
問題の小道は、馬が余裕で通れるほどの幅があるが、下に崖があり小川が流れているからして、乗馬コースとしてはスリリングすぎる。この小道を馬で通る人物は、よほど乗馬技術に自信があるに違いない。
「……ビックリした」
「だろ? 馬に乗ったままでもラクラク通れるぜ。タイターのギャング団が出入りしても、驚かないぞ」
マティの指摘は、もっともだ。ルシールは呆然としつつ、同意した。
「かなり……まずい状況じゃ無い? 執事か誰かに話すべきじゃ……」
「大人が、オイラのお話に耳を傾けると思うかい?」
マティは、すっかり諦め顔と言った様子で、腕を広げて見せる。
ルシールは、改めてイタズラ小僧の顔をマジマジと眺め――そして、色々な面で、大いに納得したのだった。ルシールは苦笑するしかない。
「私から話してみるべきか……早く戻らないと」
不意に。
ガサッという葉擦れの音が響いた。
「後ろに……!?」
穏やかならぬ気配を感じ、サッと振り返るマティとルシール。
マティとルシールの後ろの茂みで、人馬一体の影が動いた。先刻から、樹木の裏に潜んでいたのだ。
目の前の柵の破れ目を通って、明らかな敵意を向けて来る騎馬姿の侵入者!
「見ーたーなーッ!」
人馬一体の侵入者は恐ろしい声で呼ばわると、馬に激しく拍車をかけた。
マティとルシールを踏みつぶさんばかりに、馬は猛烈な速度で駆け寄って来る。人物の手に握られた棒状の物は、おそらくステッキだろう。不吉な予感を思わせる動きで回転している。
見るからに、マティとルシールを棒でメッタ打ちにしようという気配が満々だ。
「イヤーッ!!」
マティとルシールは、回れ右して、全速力で逃げ出す。
――馬と人間との競争では、どう見ても人間の方が不利だ。
一瞬のうちにその事を悟ったマティは、手に持っていたトゲ無しのバラを、侵入者の顔めがけて放った。
赤いバラの花を付けた小枝は華麗な上昇軌道を描き、侵入者の顔にヒットした。そして、実にうまい具合に、その視野を塞いだ。
視界を塞ぐようにへばりつくバラを取ろうとして、混乱の余り手綱を外した侵入者は、暴走する馬の鞍から見事に転がり落ちて行った。
いよいよ速度を上げて暴走する馬。
少し先を走るマティの背中。
――ドガッ!!
身体全身に衝撃が走り、ルシールは、足をもつれさせた。
目の前からマティの背中が消えた。緑の樹林があらぬ方向に流れ、青い空と白い雲が回転する。足元の感覚が無い。
時間がゆっくりと流れているようだ。
やがてルシールは、脳天に「ゴン」という音を聞いたような気がして――
――それが、ルシールの覚えている限りの記憶だった。
*****
なおも暴走を続ける侵入者の馬は、猛々しい蹄の音を立てながら庭園の東側から飛び出し、館の前庭エリアに姿を現した。
その時。
ちょうど、キアランと判事が領地見回りから戻って来ていた。二人とも、まだ騎馬姿だ。
出迎えのために前庭エリアに集まって来ていたスタッフや馬丁たちが、東側から大音量と共に乱入して来た暴走馬に気付き、驚愕そのものの表情に変わった。
「な……何だ、暴走馬!?」
「止めろ! リドゲート卿がお戻りだぞ!」
複数の人間に追い回されている事に気付いた暴走馬は、急に方向を変えた。
キアランとプライス判事を目指して、衝突せんばかりに走って行く。
だが、キアランとプライス判事は、熟練の乗り手だった。見事な手綱さばきで馬の態勢を変え、暴走して来る馬を、一瞬の差でかわす。
暴走馬は、空いたスペースを通って駆け去って行った。
「何故、馬が……!」
興奮した自分の馬を落ち着けながらも、驚き覚めやらぬプライス判事である。
暴走馬は前庭エリアのあれやこれやといった障害物に行き当たって、ようやくスピードを緩めた。そこへ、おっかなびっくりといった様子で、馬丁たちが取り付き始めたのだった。
*****
画廊の窓からは、前庭エリアが一望できる。
窓から外を眺めていたカーター氏は、一連のトラブルの発生に気付き、庭園の東側から暴走馬が現れたと言う事実に不吉なものを悟った。
「あの方向は、ライト嬢とマティ様が居るところでは」
「タイター氏の脅迫状が先刻、届いたばかりでしょう……!?」
カーター氏は慌てて庭園に飛び出した。執事も後に続いた。
庭園の東側を巡る、樹林で出来た緑の回廊のような散策路を辿って行く。
マティとルシールの姿が見えて来た。
ルシールは、散策路に沿って並ぶ植え込みの茂みの中に頭から突っ込んだ格好で、グッタリとしていた。マティがルシールを植え込みの隙間から取り出そうと、悪戦苦闘している。
「馬に蹴られて突っ込んだ!」
カーター氏は早速、植え込みの中からルシールの身体を取り出すと、芝生の上に横たえた。
ルシールは頭から派手に出血していた。繊細な顔は血だらけになっている。この植え込みに突っ込む前に、脇に並ぶ、どれかの大樹の幹に頭を打ち付けたに違いない。
マティはショックの余り、腰が抜けたようにしゃがみ込む。
「頭から血が出てるし、揺すっても起きないし……死んでたら、どうしよう」
「落ち着きなさい」
カーター氏はマティをなだめながら、ルシールの身体の各所を触り、脈や節々を確かめた。
「何処も折れていないようだ。頭を打って気を失っただけらしい」
「でも、血が出てるよ!」
キアランと判事が駆け付けて来た。いきなりの出現に、執事も驚いて振り返る。
「一体、何の騒ぎだ!?」
「これは、リドゲート卿!」
芝生の上に横たわる物に目をやったキアランは、ルシールの血だらけの顔に気付いてギョッとし、驚きの声を上げた。
「ライト嬢……!?」
執事が手早く報告する。
「さっきの暴走馬に蹴られたようです。幸いドクター・ワイルドが往診に来る頃合なので、部屋に運びます」
カーター氏が追加報告を付け加えた。
「後で、タイター氏の脅迫状についても話を致したく」
「脅迫状!?」
プライス判事も開いた口が塞がらない。
気を失ったままのルシールは、執事とカーター氏の手によって、速やかに館内へと搬送されていった。
マティはキアランに飛び付くと、少し離れた場所で目を回し続けている侵入者を指差した。
「あの人だよ! あの人が……!」
大きな樹木の根元で半分失神しながらグッタリと横たわる侵入者の顔には、マーキングさながらの赤いバラの花が、ちょこんと乗っている。落馬の際に、身体のあちこちをしたたかに打ち付けて、目を回したようだ。
「あのガキ、変な物投げて……!」
侵入者は、苛立たしげにバラの花を振り払った。
ようやく落馬のショックが収まり、感覚が戻って来たようである。密集した枝葉や柔らかな芝生がクッションになったのであろう、幸い、何処の骨も折れていない様子だ。
傷痕の有無を気にするかのように顔面をつるりと撫で、やっとこさ起き上がろうとした侵入者は、不意に息を呑んで硬直した。
キアランが死神の影さながらに立ちはだかり、ステッキを喉元に突き付けている!
「久し振りだな?」
キアランは低い声で語り掛けた。無表情ながら、その眼差しは明らかに険しい物だ。
侵入者は、限りなく殺気に似た物を感じ、取り乱した。喉元に突き付けられているのはステッキの筈なのに、まるで抜き身の刃を突き付けられているようだ。
侵入者は、それなりに戦闘技術の心得はあった……振り払って起き上がれば良いのだが、出来ない。キアランの構えは必要最小限の物でありながら、反撃を許すような隙が、全く無い。
「ちょっと待て! 幾ら何でも殺しは……馬のせいだ! いきなり暴走して!」
侵入者は必死で弁解を始めたが、キアランは不吉なまでに表情を変えない。
「館への出入りを一切認めないと申し渡した筈だ。私に慈悲の心があるうちに、速やかに立ち去るが良い!」
キアランの漆黒の眼差しは、鋭利な刃のように突き刺さって来る。
侵入者は、すっかり顔面蒼白だ。
キアランが喉元からステッキを外したが早いか、侵入者は物凄い勢いで起き上がり、そして庭園の奥へ向かって、一直線に走り去って行った。
正門の方向とは、全く別の方向に。
「正門は反対側の筈だが……!?」
意外な逃走先に驚くプライス判事。そこでマティが、ボソッと指摘した。
「裏の柵が壊されているんだ」
ポカンとする館の面々であったが、本当に柵が壊れている事を確認し、大騒ぎになったのであった。




