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花の影を慕いて  作者: 深森
第二章 忘れえぬ面影
21/92

アシュコート伯爵領…交差点〔二〕(後)

ヒューゴの弁護士事務所の中には、昼寝用にもなる簡素なソファがある。エドワードは、強い緊張を伴う異常な夜を過ごして、すっかり疲労した身を、そこに横たえていた。


先程からヒューゴの御者のジャガー氏か、それともネコか――悪意や邪気を感じない存在が掃除をしながら動き回っているらしく、窓が開かれ、春の昼下がりの暖かな微風が、気持ちよく入って来ている。


エドワードの眠りは次第に浅くなり、夢の中で、昨夜の出来事を回想し始めていた。


マダム・リリスの饗宴は、噂通り――いや、噂以上に、いかがわしい代物であった。


アヘン窟と化した幾つもの部屋。


高濃度のアルコール、様々な違法ドラッグ、密輸タバコ。


人相を隠す仮面を装着し、羽目を外した人々の、乱痴気騒ぎ。


部屋の方々に垂れ下がる分厚いベールの中で、堕落した大人の不健全な楽しみが、これでもかとばかりに繰り広げられていた。体質的に弱い人々は早くも身を持ち崩し、死人のような状態になりながらも、なおも快楽の園に手を伸ばし続けていた。


エドワードは、自白効果の高いドラッグを仕込んだワイングラスを持ってリリスに近付いた。


共に乾杯するふりをして、手品よろしく巧みにグラスを差し替える。アルコールに強い体質のリリスは、そのグラスを二杯も飲み干した。


過剰に陽気になったリリスは、エドワードの促しに応えて、ロックウェル卿についてペラペラと喋り出した。


『ロックウェル城では、もっと贅沢なお遊戯になるわよ! オッホホホホ~!』


リリスは将来の派手な計画を思い描きながら、得意満面になっていた。次々に強いお酒を飲み干すリリス。凝ったデザインを施された特注のソファに寝そべり、リリスは不健全なまでに陽気なお喋りを続けた。


『あいつったら、子供が出来ない身体なのよね。オホホ。あの馬車事故に遭ってる割には、綺麗な身体なのにさ。肝心の部分がね……』


リリスは、ロックウェル公爵の愛人の立場としては、当然と言えば当然ではあるが、きわどい内容を口にした。健忘症を伴うドラッグ性の深酔いに陥ったリリスは、他の肉体的特徴についても、露骨なまでにきわどい内容を喋り続けた……



信頼する御者ジャガー氏の操縦する馬車に乗り、エドワードとヒューゴは、ようやく息をつく。


『……お姫さまの勘に、改めて恐れ入る。アンジェラは実態を知らない筈だが、間違いなく、危険を正しく直感しているな』


『ゴールドベリの不思議な能力ですね』


『あそこまで脅えていなかったら、こっちも、そう警戒しなかった』


不健全な時間に弁護士事務所に戻る羽目になったエドワードとヒューゴであったが、リリスから新しく搾り出した情報には、それだけの価値があった。


疲労困憊で事務所のソファに倒れ込みながらも、要点を速記しておく。


『恐ろしい。ロックウェル公爵、愛人との子供を作らなかったんじゃなくて、馬車事故の後、子供を作れない身体になってたんですね』


『アンジェラは、ガッカリするだろうな』


エドワードは、もうひとつの資料を手に取り、目を通し始めた。


『先輩、よく体力もってますね。それ、何です?』


『ロックウェル公爵のカルテ。レディ・オリヴィア提供』


『カルテ?』


『リリスの証言に出た傷痕の大部分が、カルテに記録された傷痕と違う』


ヒューゴはポカンとした顔になった。極度の疲労で、あまり脳みそが回らない。


『つまり、どういう事です?』


『このカルテが間違っているのか。噂のロックウェル公爵が別人なのか……』


『別人……!?』


息を呑むヒューゴ。


エドワードには、深刻な疑いが生まれ始めていた。


今、ロックウェル公爵と名乗っている人物。アンジェラに、ネズミの無残な死体を送り付けた人物。


――彼は果たして、本物のロックウェル公爵なのだろうか?


疑いは増したものの、直接にロックウェル公爵本人を知らないエドワードには、それ以上の確認手段が無い。


『父とロックウェル公爵、寄宿学校で同輩だったと聞いた事がある。多忙な人だから難しいだろうが……本人確認、依頼してみるか』


*****


やがて、コーヒーが出来上がってきた。


アンジェラはコーヒーを淹れながら、弁護士事務所の窓越しに、表通りの様子を眺めた。アンジェラに付いて来た黒ネコも窓辺に居座り、面白そうに尻尾をユラユラしている。


表通りの向かい側には洒落たカフェテラスがあり、そこでは、ちょっとした騒動が持ち上がりつつあった。


カフェの客の中には、あの黒髪の大男、ナイジェルが居る。


ナイジェルは、新聞の広告欄に目を通し、意外につぶらな黒い目をカッと見開いた。


「これはいかん! ローズ・パークで舞踏会だと……!」


ナイジェルは急用を思い出したように、慌てて立ち上がる。その勢いでナイジェルはカフェを飛び出そうとしたが、以前からナイジェルの金欠ぶりを警戒していたカフェのスタッフが、電光石火で気付いた。大柄なスタッフがナイジェルをガッチリと羽交い絞めにする。


「お客様! お代を!」


「急ぐんだ! 離せ!」


「こちらも商売なんだ、払わなければ訴えますぜ!」


「今までのツケ、綺麗にしやがれ! 賢者の箴言でも、飛び立つ鳥、跡を濁さずと言う……」


ナイジェルは、無銭飲食の常習犯といった風だ。ガチムチとした大柄な体格に相応しく、ナイジェルの大声は、表通り全体に響く音量だ。



「金欠らしきセクハラ紳士は、元気だわねえ」


アンジェラは表通りの向かい側で進行中の騒動を観察し、呆れるばかりだ。面白そうな騒動を聞き付けたのか、物見高い野次馬たちがだんだん集まって来ている。


ナイジェルの金欠ぶりは、今季シーズンの三晩連続の舞踏会の間に、あっと言う間に方々に知れ渡っていた。『縁組サービス』代表イザベラ嬢もまた、ナイジェルに料金支払いを要求している一人である。


「セクハラに、縁組詐欺もやらかしてるのよね。法廷の召喚状が作成される前に逃げ出すなんて、何て勘の良いヤツ!」


イザベラ嬢いわく、ナイジェルは、セクハラ行為だけでは無く、縁組詐欺もやらかしているという。たった数日の間に、悪い意味で感動させられるほどのハッチャケぶりだ。縁組ビジネスを手がける全てのグループが、それぞれ代表を立てて、その犯罪を裁判所に訴えているところだ。


アンジェラが弁護士事務所の窓でブツブツ呟いている間にも、人だかりが出来始めた。


カフェの前の路上で、ナイジェルの周りを、カフェのスタッフがズラリと取り囲む。何処からどうやって集めて来たのか、いずれも筋骨隆々の大柄なスタッフだ。


路上プロレス試合が始まろうとしていた。まさに一触即発だ。野次馬がどよめき、にわかに表通りは賑やかになった。


ほどなくして、開いた窓から聞こえて来るその賑やかさに気付き、エドワードが目を覚ます。


近くのテーブルには、ヒューゴとエドワードがその時間に起きる事を予期していたかのように、飲み頃のコーヒーが置かれている。エドワードはコーヒーを手に取り、当惑の面持ちで、アンジェラを見やった。


「コーヒーを淹れたのはアンジェラ? 何で男装を?」


「縁組の仕事に関する扮装よ。当て馬らしい、誘惑の美青年に見えるでしょ!」


掃除用のハタキをステッキよろしく構え、気取ったポーズで颯爽と答えるアンジェラである。目をパチクリさせるエドワードに、アンジェラは顔をしかめて見せ、更にたたみかけた。


「縁組ビジネスでの、エドワード卿の商品価値、目下、暴落の危機なのよ! みだらな行動、慎んで頂けるかしら!」


「私が商品? 参ったな」


エドワードは頭に手を当てて、ガックリするのみだった。


縁組ビジネスの商品として売り飛ばされるという状況は、正直言って、余り楽しい気分ではない。表通りで今まさに盛り上がり始めた路上プロレス騒ぎを見物している方が、幾分かマシな気もする。


エドワードはアンジェラをじっと見つめた。


生真面目な表情を向けられ、アンジェラは途端に落ち着かなくなる。アンジェラはクルリと背を向けて、ハタキを収納するための物置の棚に向かった。


「結婚相手が決まったなら、男だろうと女だろうと当て馬の役をお務めするわ。割増になるけれど、前日、ロータリーでリリスの目から隠してくれたから、サービスって事で」


何処かで見たような小さな黒ネコが、アンジェラの足元をクルクルと歩き回り、「ニャー」と鳴いている。


「異常な夜を楽しんでたらしいわね。もうお昼過ぎだわ、不良紳士様。お父上へのお手紙に、私から一筆入れたわ。感謝するのよ!」


「――さっきの手紙? 一筆入れた?」


今まさに起きたと言った風のヒューゴが思わず反応し、毛布の中から訝しそうにアンジェラを眺めた。


「勿論よ! 下手に近付いたら死体になると言う忠告も、ちょっと入れたし」


「ああッ……まさか! ハクルート公爵への書状ッ……!」


ヒューゴは一気に顔色を変えた。毛布をはねのけ、机の上を探し回る。ある筈の書状が無い事に初めて気づき、動転するばかりだ。


一瞬、呆気にとられた後、エドワードは笑い転げた。バカ笑いである。ソファの中に倒れ込み、全身をひねって大爆笑だ。


「アッハハハ! ……それは、父への脅迫状と受け取られるかも知れんな」


――首都で大臣を務めているハクルート公爵が、そんな怪文書を受け取る羽目になる訳だ。ロックウェル公爵令嬢からの脅迫状。


エドワードの爆笑は止まらない。


ヒューゴは途方に暮れて、オロオロするばかりだ。


「笑い事じゃ無いでしょ、先輩! 週末にはもう、ロックウェル城で仮面舞踏会で!」


鋭くヒューゴを振り向くアンジェラ。


「仮面舞踏会? ロックウェル城で?」


アンジェラは目を光らせ、ヒューゴの机に駆け寄った。直感の赴くままに、机の上の書類の山から、ひとつの文書を抜き出す。


「招待状ね!」


「ああッ! 待って!」


ハッとしたヒューゴが手を振り回したが、もはや後の祭りであった。


アンジェラは招待状に素早く目を通し、顔を引き締める。


「マダム・リリスの、気まぐれの遊戯!」


アンジェラはコブシを堅く握った。アンジェラの決心が固まった事を見て取ったヒューゴは、青くなるばかりだ。


「ゴールドベリの血は事件を呼ぶ! 復活祭の時はバラバラ死体! 今度も何が出るか不明だってば!」


「ロックウェル城……仮面だろうが仮装だろうが、私も行くわ!」


「危険だよ、アンジェラ! 第一、それには贅沢なドレスとかが必要で」


しかし、アンジェラは既にヒューゴの警告を聞いていなかった。クルリと身をひるがえし、大股で玄関へと走り出す。ワンピース姿では無いだけに、小気味よいまでに素晴らしいスピードだ。


「母のドレスなら問題は無い筈! 古着屋に売る予定だったけど新品の状態だし、ローズ色の絹でレースとフリル一杯だから」


物騒な計画を口にしながら、アンジェラは弁護士事務所のドアを開いて飛び出して行った。あの不思議な黒ネコも、一緒に飛び出して行った。


ヒューゴは必死の形相でエドワードに飛びかかり、その襟元をつかんでガクガクと揺さぶった。


傍目から見れば、互いに恋愛感情を抱いている男二人が、ソファの上でくんずほぐれつしていると言う、アブナイ光景にも見える。


「先輩ったら、黙ってないで、何とか止めて下さいよ!」


「ローズ色のドレスか……」


エドワードの方は、感心したようにアンジェラを見送るばかりだった……

第二章「忘れえぬ面影」終了


お読み頂きまして有難うございます。第三章「庭園ラプソディ」に続きます。

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