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花の影を慕いて  作者: 深森
第二章 忘れえぬ面影
20/92

アシュコート伯爵領…交差点〔二〕(前)

翌日のゴールドベリ邸。正午に近い時間帯。


アンジェラが書斎で郵便物や文書の整理をしていると、ゴールドベリ邸の住み込みの家政婦スコット夫人がやって来た。


「お客様が、おいででして……」


スコット夫人は、意味深な笑みを浮かべている。


――もしかしてエドワード卿!?


アンジェラはギョッとした。いそいそとした様子でスコット夫人が立ち去って行った後、アンジェラは文字通り、ヘナヘナと床に手をついた。


――いい年してて、動転するなんて赤っ恥だわ! 昨日の今日で、一体どんな顔をして会うべきか……!


実際、アンジェラは、昨夜は余り眠れなかったのだ。70%がエドワードのせいで、30%がリリスのせいだ。


これまでにも、真剣に好意を抱いた男性と腕を組んだり手を繋いだり――友情のキスもしたり――した事は、一応ある。


ただし、それはアンジェラが動転していない状態での話だ。


エドワードは紳士的だった。それは間違いない。まさに『縁組サービス』の目玉商品だ。競売で売り飛ばす方式にすれば、こちらも大儲け出来るのは確実だ。


だが、動転した状態を突かれたせいなのか――今後、エドワードに接近されると落ち着かなくなるであろうという確信がある。


昨日の『キスの演技』にしても、口の端に触れていたから半分は演技では無い。『場合が場合だから本物のキスでもOK』と言う思いが一瞬よぎっていたと言う事実は、エドワードには、絶対に内緒だ。


アンジェラは気合を入れ直し、シャキッと背筋を伸ばし、殊更におすまし顔を作って戦闘態勢を整えた。


しかし、今日の訪問客は……アシュコート伯爵一人のみであった。


アシュコート伯爵は、オリヴィアへの求婚も兼ねて、ロックウェル事件の経過報告にやって来ていたのだった。


このご時勢だから、身辺警備を兼ねた従者を一人連れて来ているのだが、伯爵がオリヴィアと会見している間は、従者は別の部屋で、御者スコット氏と、共通の趣味でもある魚釣り談義に興じているのである。ちなみに御者スコット氏は、家政婦スコット夫人と夫婦である。



いつものように応接間にお茶を運びつつ、ホッとしたような、残念なような……と複雑な気分のアンジェラであった。持ち前の気の強さもあって反発しきりではあるが、エドワードに翻弄されているのは確かだ。


アシュコート伯爵は、いつものように応接間のソファに座ると、一枚の紙を取り出しながら、オリヴィアにロックウェル事件の説明を続けた。


「昨日、バラバラ死体の人相書が完成したんだ。この人相書について奇妙な点があったので、見て欲しいのだが」


人相書を眺めた後、オリヴィアも「実に奇妙ね」と同意する。


オリヴィアは暫し考えていたが、いつものように傍に控えていたアンジェラを呼んで、人相書を手渡した。


「法廷に出ていた、ロックウェル公の代理の弁護士かしら?」


アンジェラは人相書を手に取り、慎重に観察した。


線描に水彩という簡潔な人相書ではあったが、肖像画と同じくらいの精度で、人物の特徴が描き出されている。想像以上に貴族的な面差しの男だ。


人相書に描かれた男は、褐色の髪をしていた。40代から50代の年頃であろうか。


――この人が、ロックウェル事件のバラバラ死体の、主。元の顔が分からない程に破壊されていたと言う――


「復活祭を境に行方不明になった、父の代理の弁護士では無いですね……」


「では、バラバラ死体の主は、弁護士では無いわね。謎の、第三の男」


「彼は一体、誰……?」


オリヴィアは真剣な面持ちになり、アンジェラを見やった。


「アンジェラは当時は生後六ヶ月だったから、覚えていないのも当然ね。ロックウェル公ユージーンに似ているのよ」


「父に……!?」


絶句するアンジェラ。


アシュコート伯爵は眉根を寄せて灰色の目を伏せ、白髪混ざりの銅色の髪に手を突っ込んで、かき回していた。伯爵も、相当に困惑している様子だ。


「弁護士は生死不明、バラバラ死体はロックウェル公に良く似た男。捜査本部も大混乱なんだ」


オリヴィアは緑色の目をわずかに細めた。その目の輝きが、深みを帯びる。


「……死体をバラバラにしたのは、本人を正確に特定するための身体全身の特徴を、ごまかすため。顔面が、つぶされていたと言うのも……」


そう言って、オリヴィアは暫し目を伏せて思案した……透視能力の発動だ。やがて、オリヴィアは一つ、うなづいた。


「アンジェラ。書斎に、25年前のライト夫人のカルテと一緒に来ていた、ユージーンのカルテがあるから、持って来て。あれには馬車事故で出来た傷痕の全ての記録があるから、何かに役立つ筈。ヒューゴさんに提供しておきましょう」


「承知いたしました」


アシュコート伯爵は青い顔をして、そのやり取りを眺めていたが、やがて、気を取り直した様子で、茶カップを手に取った。


慎ましく応接間を退出し始めたアンジェラの耳に、アシュコート伯爵の説明が届いて来る――


「今、エドワード君が、ヒューゴ君と共にリリスに接近しているところだ」


エドワードの名が急に出て来た――アンジェラは思わず耳をそばだてた。


応接間を退出した後も、アンジェラは慎重に身を潜め、扉の隙間から洩れ聞こえて来る会話に耳を澄ます。


「リリスの私的なパーティの招待状を、うまく入手したそうでね。彼らなら、リリスから新しい情報を引き出せるかも知れん」


アンジェラは、プルプル震え始めた。怒りにコブシを握りしめ、勢いよくその場を離れる。


「……エドワード君は、以前、大臣や側近たちを巻き込んだ首都の疑獄事件でも、ジャスパー判事と組んで……」


アシュコート伯爵の声が続いていたが、その内容は急に不明瞭になっていった。


応接間からシッカリ離れた廊下に到着すると、アンジェラは地団太を踏み、コブシを振り回した。空気を相手にボクシングを始める。


「リリスのパーティ、『いかがわしい噂』がごまんと流れてる代物じゃないの! アヘンが出るとか、ナイジェルの如き変態が出るとか……仮にも名門公爵家の三男が、そんな場所に出入りするなんて! 縁組ビジネスの商品価値が暴落するじゃ無い! ヒューゴさんなら、場数を踏んでるから良いけど……! あの放蕩ドラのバカッ!」


エドワードの、余りにも軽率な行動に、腹が立って来るアンジェラであった。


****


翌日は絶好の散策日和に恵まれた。気持ちの良い昼下がりである。


あのメインストリートの交差点の名所、レイバントンの公園の一角には、今しも縁組作戦に取り掛かろうとするイザベラとアンジェラが居た。


「えええ!? そうなの、アンジェラ!?」


「もう、ホントに信じられない!」


「我らが『縁組サービス』特別プロジェクト、カータレット嬢とエドワード卿の縁組は見込み薄だわね……?!」


「朝、ちょっと弁護士事務所に寄って来たけど。ジャガー氏の話では、リリスの噂の饗宴に出て、みだらで異常な一夜を過ごして朝帰りだとか」


アンジェラはぷりぷりしながらも、男物のシルクハットを頭に乗せた。肩肘を張り、詰め物をした男物の上着が崩れていないかどうか、チェックする。


アンジェラの準備が済むと、イザベラは訳知り顔でアンジェラの腕を取った。あちこちで『縁組ビジネス』スタッフ嬢が合図をし合っている。


「この件は、今は忘れましょう。さあ、今日の縁組作戦、開始よ! アンジェラの勘でも、間違いないわよね、あの二人!」


「もちろん! あの黒ネコには、良く言って聞かせたわ!」


イザベラが『縁組サービス』の仲間たちと注意深く手筈を整えた通り、公園の一角では、可愛らしいララ嬢と好青年クリプトン氏が、黒ネコを追っている内に、如何にも偶然と言った様子で出会っていた。


なかなか良い雰囲気だわ……とうなづきつつ、イザベラとアンジェラ、その他の『縁組サービス』スタッフ嬢の面々は、その様子を物陰から注意深く窺う。


しかし――かなり時が経ったのであるが、ララ嬢もクリプトン氏も無言で連れ立って公園を散策しているばかりで、なかなか事態が進展しない。明らかに、お互いに照れまくっていているのだ。


「クリプトン氏……! このヘタレ、昨夜あれほど仕込んだってのに。そろそろ当て馬をけしかけるわよ……!」


イザベラは短気な性質だ。当て馬の男役のアンジェラの腕を取って物陰を引きずり回しながら、クリプトン氏に向けた不満を呟いていた。


しかし、照れまくりだった恋人たちは、無事婚約と相成ったのだった。


*****


クリプトン氏とララ嬢が良い雰囲気になって立ち去った後。


「縁組成立!」


「大成功よ! 大勝利よ!」


「礼金ゲット! イェイ!」


『縁組サービス』スタッフ嬢たちは、勝利のダンスを踊ったのだった。


黒ネコが「ニャー」と鳴きつつ、調子を合わせている。


*****


レイバントンの町のメインストリートで互いの健闘を称えつつ、イザベラとアンジェラは分かれた。


アンジェラはヒューゴの弁護士事務所に向かった。


――あの金髪の不良紳士、ヒューゴさんの弁護士事務所で、よろしくない行為をいたしている筈よ!


アンジェラの勘は、外れた事は無い。


自信満々で歩き続けるアンジェラは、やがて、小さな黒ネコが後を付いて来るのに気付いた。


「今日は縁組作戦、頑張ったわね、この間の木登り黒ネコ君。後でエサあげるわ」


アンジェラが手招きすると、黒ネコはピョコンと飛び跳ねて駆け付け、並走して来た。


やがて、ヒューゴの弁護士事務所の窓の前に到着する。


アンジェラは表の窓から中を窺った。早速、ソファの上で寝入っているエドワードを発見する。


「アシュコート伯爵がおっしゃった通り、ヒューゴさんがエドワード卿を誘惑して、アブナイ道に引き込んでたわね!」


アンジェラは、殊更に足を踏み鳴らしてヒューゴの弁護士事務所に押し入った。黒ネコも後を付いて来る。


ヒューゴの定位置は分かっていた。文書資料の山が乗っている机の所だ。


アンジェラは、毛布を被ったまま机に突っ伏して寝ぼけているヒューゴを叩き起こした。


――予想通りだ!


不健全な目的が窺える趣味の悪い夜会服は、上着を脱ぎ捨てただけで、まだ着替えられていない。アヘン特有の、胸の悪くなるような邪悪な匂いが漂っている。それに、アルコール臭にタバコ臭も――媚薬っぽい、アヤシイ香水の香りも、混ざっている!


「ヒューゴさん! 私の商品の価値、暴落させたわね!」


「変な事はしてない筈だわよ、魔女紳士サマ……ごめん、昨夜は一睡もしてなくて……クソ眠くて」


「呆れた! それじゃ、こんな時間になっても眠い筈ね」


「……何だったかなあ、先輩のお父上に手紙を書いて……此処に来てもらって……」


詳しい説明がすっぽ抜けたため、その弁解は、アンジェラの誤解を一層深める羽目になった。アンジェラの勘は外れた事は無いが、オリヴィアの透視能力ほどには、正確なビジョンを示す物では無いのだ。


「ハクルート公爵にまで迷惑が掛かる程の失態って事!? 情けない!」


ふとヒューゴの机に目をやったアンジェラは、その手紙が一応最後まで書かれ、発送待ちの状態である事に気付いた。面倒な発送準備をしているところで、ヒューゴの体力が尽きていたようだ。


「私が一筆、書いてあげるわよ」


「うんうん……宛先はもう書いたけど、まだ封してないから……」


「その寝ぼけ眼じゃ、封蝋にも失敗するじゃ無い。封蝋したら、発送すれば良いのね」


「そうそう」


ヒューゴは意識混濁に陥りながらも受け答えしていた。しかし、そこで最後の根性が切れたのか、ヒューゴは瞬く間に深い眠りに落ちて行ったのであった。


黒ネコが「ニャー」と鳴いた。


アンジェラは、控え室でくつろいでいた御者ジャガー氏を呼び、手紙の発送依頼を済ませた。経験の長いジャガー氏は、アンジェラの男装姿にも、全く驚いていない。


ヒューゴはまだ若く資金不足もあったので、ヒューゴの生家・レスター家の御者の一人ジャガー氏が、個人的好意で、御者を兼ねて弁護士助手も務めているのだ。ジャガー氏はレスター家では古参のスタッフであり、ヒューゴの事を小さい頃から可愛がっていた人である。


一連の作業が済んだ後、暫くの間、弁護士事務所は静まり返っていた。


「寝覚めには濃いコーヒーだわね」


アンジェラはそっと呟くと、次いで、散らかり放題で埃っぽい事務所を批判的に見回した。


「片付けに……お掃除もしなくちゃ」


コーヒーが出来上がってくる間、アンジェラは手際良く掃除を進めた。


ゴールドベリ邸の家政婦スコット夫人が、アンジェラが何処へ行っても困らないようにと家事全般を教授していたので、アンジェラは、家事全般は平均程度には上手くやれるのだ。これはルシールも同じである。

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