山神様。
そこは特に変わった所のない山頂だ。上を見れば空があり、横を見れば草原があり、下を見れば景色がある。
けれど、そこに宿る霊力だけは普通ではない。
「ちょっとしたパワースポットの比ではないですね……。」
月葉は思わずそう呟いた。その呟いた声でさえ、この場ではどこか特別なものへと昇華されたように特別な響きを持って宙を通った。
「そりゃあ山神様の御座す場だからな。」
黒夜は誇らしげにそう言って、青年の姿に変化する。
「わざわざ変わるんですか?」
「当たりめぇだろ。山神様がわざわざ人の身に姿を変えて来て下さるんだぜ?こっちが何もせず、ってわけにはいかねぇだろ?」
「じゃあ私も人に変化すべきか?正直目と髪の色が変わるだけなんだが。」
「勝手にしろよ……。」
黒夜が呆れたようにセアを見るのを見て、月葉はふと思ったことを聞く。
「では、普段人に変化している理由は山神楽さんですか?」
黒夜は一瞬驚いたように凍りつきつつも頷き、
「まぁな。」
肯定する。それにセアが首を傾げるのを月葉は横目で見て、
「山神楽に『これ』という実体はないんです。誰かの思考で作られた外見が彼らの外見になる……そんな妖怪ですから。」
そう短く説明する。セアは頷いて理解したことを示し、
「……あ。」
正面からやってくる人影を見つけ、小さくつぶやいた。
★
「よ……っと。」
小さな掛け声とともに夜歌は人に変化する。しゅたっ……と小さい音を立てて地面に降り、後ろからついてきているせいで山頂に着くのに時間差のある黒夜達を置いて、夜歌はさらに前に進む。
進んで行っている先は山頂の中心にある小さな祠。山頂には木はあまり生えていないのだが、そこだけは今までの道のようにもっさりと生えている。
そこは、山神様と夜歌達が交流する際に用いられる場所だ。
妖怪の中には人にその姿が映らないものがある。それは時に妖怪の力が弱く、人がそれとして認識するだけの力を持たないからだ。
そして、その逆。
妖怪の力が強すぎて、認識したものの存在を染めてしまう者がいる。
後者の数はあまり多くない。俗に神と呼ばれるものがそれに当たり、山神もその中に含まれる。さわらぬ神に祟りなし、というのも、神の次元の違いすぎる……天と地に比べるのもおこがましい程の強い存在の力に触れすぎるのを阻止するためだ。
普通ならそれでいい。神との接点の場は必要なく、『近づくな』と語り継ぐだけですべてが解決する。
けれど、名無谷村に住んでいて神と接点を持てないという事はいろいろと困ったことがある。名無谷村の起源は他との抗争を嫌った妖怪たちが集まって、自分たちの落ち着ける場所を作ったことに由来する。故にその内部での抗争は少なかったが、他からの侵略の可能性は少なからずあった。問題視するほどの問題に発展したことはなかったが、神の助力を仰ぎたいことは意外に多い。
その時、神と交流を図るために作られたのがこの祠だ。神の存在は妖怪にも影響を及ぼすが、その一端ならば影響はない。
「山神様……長様。」
だから、夜歌は話しかける。
その対象は祠の中心にある小さな鏡だ。
(これって第三者から見たら変人だよねー。)
そう内心で考えながらも、夜歌は再び声をかける。
「長様、宜しいでしょうか?」
――――――――――何用ぞ?
それに応えたのは低い男性の声だ。それは鏡の表面を揺らし、どこかぼんやりした音として届く。
「はい。名無谷村に危機が迫っていると申す者がおりまして、是非長様にもその件についてお聞きいただき、今後についての助言を賜りたいものと。」
(これで動いてくれるかな……?)
不安に思う。名有山の山神……長は基本的に人前に現れない。出不精というやつだろうか?夜歌達に助言をするときも基本的に助言だけで、出てくることは滅多にない。普通はそれで十分だが、
(『鏡月』がわざわざやって来るぐらいの出来事……。助言だけでなく、直接の協力を頂きたい。)
そう思いながら夜歌は長の返答を待つため沈黙する。しばらく間が開き、
――――――――――よいだろう。語り合おうぞ。
そう、鏡が揺れる。鏡の前にぼんやりした影が出来始め、男性を形作ってゆく。
(よかった承諾してくれて。)
夜歌はほっと息をつき、けれどすぐ気を引き締める。
きっとこれからなのだろう。月葉やセアが来た理由が動き出すのは。
★
「……あ。」
セアが正面からやって来る人影を見つけ、声を上げる。こちらに歩んでくる影は二つ。一つは夜歌で、もう一つは初老の男性だ。
「あれが山神様……長様の人に変化なされたお姿だ。」
黒夜の囁きで月葉はその男性の正体を知り、月葉は彼の前に立って一礼した。
「お初にお目にかかります。妖狐の月葉と申すものです。」
(何事も第一印象です。僕の場合は今はこうであることも事前に言わねばいけませんし。)
月葉は内心でそう呟き、丁寧なあいさつを心掛けてそう言う。例も挨拶の方法もすべて安倍家での生活で学んだものだ。
長は月葉に頭を上げるよう言って、
「月葉……というと、『妖狐の里』の……。」
「すいません。その件については伏せていただけますか。」
問う声を、月葉は途中で遮った。背後で夜歌と黒夜が何か言っているが気にしない。月葉はまっすぐに長を見て、
「過去ですが……僕の罪です。誇れることではありませんから。」
「しかし知っておるものも多いと思うが?」
「齢千年を超える妖怪の方々のみです。今広げ、周知の事実とすべきことではありません。」
「成程……血の香りとともに消えぬ過去か。故に、月葉であろうと思ったのだろう?」
(この人は何処まで知ってるんでしょう……?)
月葉は頷き肯定しながら思う。
(どこまで……僕の罪は知れ渡っているのでしょう?)
それを問うてもいいのだろうか、と考えていた月葉の思考を裁断するように、長が月葉の背後にいるセアたちに視線を向け、
「そなたらも集え。……そして語ろうぞ。」
開始を告げる。
「名無谷村のこれからを……!」