第2話:正円の呪い②
蛎殻翔(30)はカーエアコンの効いた軽自動車を運転しながら、路肩を眺める。路肩には僅かに穂が実り始めた稲が、青々と揺れていた。やはり今日みたいな暑い日は、車で移動するのが一番だな。
ふと彼が道端に目をやると、一人の若い女性の姿が見えた。一体何をしているのだろう。翔は目を細める。
彼女は道端につっ立ったまま、ホワイトボードに汚い字で「ヒッチハイク募集中」と書かれたものを掲げていた。翔はそれを見て、目を疑った。ヒッチハイクなんてアメリカでやってるやつだろ、と思ったためである。でも無視することもできず、結局彼女の前で停まってしまった。
彼女はまず翔にお礼を言うと、早明浦絆です、と名乗った。翔は腕を組んだまま、絆のことを眺める。彼女はカーキ色のシャツに深緑のズボンを着ており、足元にはスニーカーを履いていた。胸元には緑色のペンダント。そして彼女の長い髪は、淡いオリーブ色に見える。
そして、彼女はこの猛暑が襲う8月に、わざわざ分厚い白衣を着込んでいた。暑くないのだろうか。
翔は軽自動車の窓を開け、彼女に話しかける。
「なあ、あんた」
「はい」
「白衣なんか着込んで、暑くないのか?」
絆は白衣の裾をつまむと、両手を腰に当てた。
「いえ、白衣は科学者の正装ですから」
「え、あんたは学者さんなのか?」
「ええ、まあ」
絆は白衣のポケットから名刺を取り出すと、翔に見せた。
「私、零壱大学で生物学の研究を行っていまして」
「...零壱大か」
翔は眉間にしわを寄せる。この大学は日本の最高学府であったため、東京に行ったことの無い彼でも名前は知っていた。しかしそんな大学の学者さんが、何故こんな田舎まで来たのだろうか?
「...もう一つ良いか?」
「はい」
「なんでそんな学者さんが、愛知のど田舎まで来ているんだ?」
絆は周囲を見渡した。遠くには山々がよく見え、目の前には田んぼが広がっている。事実、翔が走っていたのも田んぼの間の一本道だ。
「...調査の旅です。愛知県近海に生息する海藻について、調べようと思っていまして」
「そうか。同行者とかはいねえのか?」
「居ません。一人の方が気楽ですから」
「はあ」
翔は空を見上げる。いつまでもこうして話していても、仕方無いだろう。
「あんた、どこまで行くんだ」
絆は少し思案してから答える。
「そうですね...K漁港まで行ければ、十分です」
「...分かった。後部座席に乗ってくれ」
翔が溜め息混じりに軽自動車の扉を開けると、絆は頭をぺこりと下げて後部座席に座った。翔も運転席に腰掛ける。
「...じゃあ行くか。シートベルト、忘れるなよ」
「はい」
翔と絆が乗った軽自動車は、田んぼの隙間を縫うように敷かれた道を走って行った。
「あの、すみません」
発進してすぐ、後部座席の絆は手を挙げた。
「ん、どうした」
「暑いんで、窓を開けても良いですか?」
翔は黙り込む。車内にカーエアコンの音が響いた。数秒後、彼は目を見開く。
「おい待て、それだけはやめろ!」




