第9話 将棋大会に参加してた少年目線
■ 将棋大会に参加してた少年目線
三人の少年が楽しそうに塚口の改札から出てきた。
三人で真っ赤な観覧車を見上げる。あの屋上遊園地が、将棋大会の会場だ。
一番背の低い少年、和樹が口火を切った。
「誰が優勝するかで500円ずつ賭けようぜ!」
「えー、それだとB1級の和樹だけ有利じゃん」
三人は学校の同級生ではない。研修会と呼ばれる育成機関で知り合った仲間だ。
研修会というのは、街にあるただの将棋教室ではない。日本将棋連盟が直轄する、全国に三つしかない特別な育成機関だ。
「だいたい和樹はあとちょっとで奨励会に手が届きそうだろ? こんな市民大会に出てもいいのかよ?」
その研修会の先にあるのが、今しがた少年が口にした奨励会だ。
——新進棋士奨励会、通称奨励会。研修会よりも、こちらの名前の方が知られているだろう。全国に二つだけある、プロ棋士の養成機関。
それが棋士への登竜門だというなら、研修会というのは奨励会への登竜門。
和樹のいる『B1クラス』は、研修会においては実質的に最高クラスだ。なぜなら、B1クラスを抜けると同時に自動的に奨励会への編入資格を得るのだから。
奨励会には二つの入り口がある。全国大会で結果を残して入会する方法、研修会から上がる方法だ。
和樹はこのやんちゃそうな見た目でも、奨励会六級に相当する、アマ四〜五段の棋力を持っていた。
天才。地元の将棋教室では敵う人間はいなかった。
けれど、研修会に入れば話は違う。
和樹は友達が棋力を褒めてくれるのを聞きながら、奥歯を食いしばった。
「(だけど、奨励会には俺くらいの奴はゴロゴロいる……)」
まだ、小学六年生。だけど、もう小学六年生だ。研修会B1なら、地元では天才で通る。だけど、小学六年生でまだそこにいるのは、プロを目指す身としては早くない。
奨励会に入る年齢は平均で12歳。今期の対戦成績を考えると、これから全て勝っても、奨励会に上がれるのは中学一年生、13歳になってからだ。その時点でライバルより一歩出遅れているのだ。
「賭けは冗談だよ。だいたい、500円も持ってねぇよ」
500円というのは和樹たち小学生にとっては大金だ。なにしろ、マクドナルドでハンバーガーが5個も買える。
一か月のお小遣いくらいの金額だ。
奨励会とは違い、研修会の会員は大会出場を禁止されていない。
研修会は、実態はともあれ、建前としては緩い将棋交流の場という扱いだからだ。そんな彼らが、この小学生大会に出るのには、とある理由があった。
◇
「「え〜っ、堀川四段が風邪!?」」
大会に来ている柏木八段に挨拶しに行った和樹たちは、揃って大きな声を上げた。
実は彼らの目当てが堀川四段だったからだ。大阪の研修会出身のプロ棋士、彼らの憧れの棋士だ。
棋戦での活躍はすさまじい。
そんな堀川四段の師匠が、今、目の前にいる柏木八段だ。柏木八段は関西所属の棋士だが、もう引退しているので実力的には堀川四段に遥かに及ばない。
C級一組で『恩返し』されたのを契機に、柏木八段は引退した。恩返しというのは、弟子が師匠に勝つことだ。
元A級棋士も寄る年波には勝てないということだろうか。
柏木八段はがっかりする研修会の悪ガキどもに、苦笑いしながら告げた。
「代わりにワシの弟子からとびっきりイキのいいのを連れてきてるよ」
それでも少年たちの顔は晴れなかった。なぜなら。
「……えぇ、柏木先生の弟子って他に棋士いないですよね?」
巨人帽を被った少年が、和樹の横で残念そうに聞き返す。
柏木八段は将棋教室を開き、普及に努めている棋士だ。こういう大会を商業施設に持ちかけて、貴重な対戦の機会を作る努力もしている。
将棋教室の強いおじさんでも連れてきたんだろうか……? 和樹がそんなことを考えた時、足元に人の影が伸びてきた。
そして、巨人帽の少年の頭の上に拳骨が落ちる。
「棋士じゃなくて悪かったわね」
突然殴られた少年。だけど、彼は声を聞いてなぜか嬉しそうに振り返った。
「真央ちゃんだ! 今日は真央ちゃんが指導対局してくれるの?」
和樹が見上げた先には、少し気の強そうな女性がいた。
「真央ちゃんじゃなくて、天宮女流初段と呼びなさい」
見た目に反して、子供たちにかけるその声は優しかった。彼女は女流棋士、天宮真央。
一昨年に名門大学を卒業し、現在は女流棋士として活躍する才女だ。
師匠の柏木八段が研修会の世話役をしていた関係で、彼女もたまに顔を出す。だから少年たちにとっては、女流棋士というより顔なじみのお姉さんに近い。
もっとも、親しいからといって、将棋で勝てる相手ではない。
女流棋士の中でもかなりの実力派。何しろ、去年まで奨励会一級だったのだ。
年齢制限により奨励会を退会したが、その実力は折り紙つき。
まだ女流棋士になったばかりだというのに、女流戦で勝ちまくっている。今のところ全勝だ。
「真央ちゃ……じゃない。天宮さんがこういう大会に出てくるのって珍しいね」
「堀川さんに頼まれたしね。それに子供相手の対局だからね」
和樹は天宮女流の話を聞く。彼女によると普及の場はなかなか大変らしい。
天宮自身が負けるという話ではない。厄介なのは、女流棋士というだけで最初から軽く見てくる相手がいることだった。
「でも、天宮さんなら負けないし、勝てば認めてもらえるんじゃないの?」
和樹の質問に天宮女流は困ったように頬をかく。
実際そうだ。奨励会一級というのは、それだけ強い。アマチュアに負けることはまず無いし、女流の中ではタイトルが取れるレベル。
「勝っても、今度は相手のプライドが傷ついちゃうみたいなのよ……。困ったわ」
ため息をつく、天宮女流。今回は、小学生の部と中高生の部で、指導対局を担当するらしい。
まぁ、確かにそれなら拗らせているおじさんは少ないか。
和樹がそんなことを思っていると、横から声が聞こえた。
「俺絶対勝って、真央ちゃんと戦うんだ」
巨人帽の少年だった。
和樹も実は彼と同じ気持ちだった。よくせがんで指導対局を指してもらっているので、そこまで特別感はないが、それでも楽しみだった。なぜなら、彼女は和樹の身近にいる人の中で最も強く、憧れの存在だったからだ。
◇
和樹はトーナメント表を見ながら、準決勝と決勝の戦略を考えていた。
組み合わせを見る限り、研修会三人衆が潰し合うのは準決勝からだ。それまでは問題ないだろう。
実際、和樹は危なげなく勝ち上がっていた。休憩スペースで休んでいると、巨人帽を被った少年が近づいてきた。その表情は暗い。
「どうしたの? そんな辛気臭い顔して」
「和樹。俺負けちゃったよ……」
どうやら馬鹿みたいに強いちびっ子がいるらしい。和樹は焦り気味の彼に詳しく聞いた。とりあえず、相手が早石田を使ってきたことは聞き出せた。
どれくらい強いのか聞いても彼は首を振るばかり。
そうこうしていると係員が呼びにきた。
係員のあとについていく。その先に座っていたのは……、低学年の子供だった。二年生くらい、もしかしたら一年生かもしれない。
「こんにちは、対戦よろしくお願いします。では振り駒をお願いします」
「お、おぅ……」
その口調は見かけに反して大人びていた。振り駒の結果、和樹が後手になった。
お互いに角道を開けたあと、少年は7筋の歩をもう一つ伸ばした。和樹も飛車先の歩を突く。
すると、少年はいきなり7七へ桂馬を跳ねた。
和樹のこめかみがピクピク動いた。
「(鬼殺し……! 舐めやがって)」
代表的な奇襲戦術の一つだ。鬼殺し。
しかも、破壊力こそ高いが狙いは単純な、原始鬼殺しだ。
和樹は考えるまでもなく、6二に金を上げた。
鬼殺しにこの受け方があることくらい、研修会に通っていれば知っている。飛車先の歩をさらに伸ばして、相手の注文どおりに指すつもりはなかった。
そこで、低学年の子供が初めて顔を上げた。
和樹はそれを無視して、桂が跳ねてくるのを待った。
ところが、少年は7八へ飛車を回した。
鬼殺しには完璧に対処した。それなのに、相手は少しも困った様子を見せない。
そこからだった。少しずつ、和樹の読みが外れ始めた。
7筋で歩がぶつかってからは、受ける手ばかり指していた。いつの間にか飛車が陣内へ入り、交換した角まで打ち込まれている。
桂と歩も玉のそばに残っていて、どれから追い払えばいいのかわからない。
——かなりうまい。
そこでようやく、和樹は盤面の向こうに座る少年を見た。そのあどけない表情、小さな体。彼がこんな棋力を持っているとは思えない。
少年は飛車で和樹の金を取り、そのまま駒を裏返した。
王手ではない。しかも、その竜は銀で取れる。切り札である飛車を、金一枚と交換してしまったのだ。
「(ようやく、悪手を指してくれた)」
和樹はようやくホッとした。小学生同士の対局では、無理に決めにいくより相手の悪手を待つ方がいい。じっくり守って、相手が間違えたところで駒を取る。そうやって和樹はここまで勝ってきた。
そして、今がその瞬間だ。
和樹は銀へ手を伸ばした。
銀で竜を取り返すと、その銀がいた場所へ金を打たれた。
思い出王手か。和樹は銀を戻して金を取った。ところが、相手の桂がその銀を取り、そのまま成った。
和樹が歩でその桂を取ると、相手も歩で取り返して成った。駒を取っているのに、王手が途切れない。
和樹は玉を逃がそうとして、手を止めた。その先まで読んでも、助かる手がない。
飛車を取れた時には、まだ指せると思っていた。だが、あの飛車切りで、すでに必至をかけられていたのだ。
駒台には、飛車も金も桂もあった。それでも、目の前の王手には何の役にも立たない。
和樹は駒台の上に手を置いた。そして、顔を上げて見た。
目の前の少年の姿をしたソレ。本物の才能の輝きを。




