第10話 令和最新版
「堀川四段は今日来てないんですか?」
俺はスタッフのおじさんから話を聞いて小さくため息をついた。
「でもね、今日は代わりにあの天宮女流が来てるからね」
堀川四段の代わりに女流棋士か……。
この時代の女流棋士はよく知らない。天宮女流……。なんか、『将棋世界』で名前ぐらいは見たことはあるかもしれないけどって程度だ。
まぁ、ため息をついていても堀川四段がくるわけでもない。俺は小さくため息をついてスタッフの案内する対局スペースにいった。
主催者に案内されたのはテーブルの席だった。俺みたいな低学年が勝ち上がってくるとは想定されていなかったみたいで、椅子の上には座布団が何個も置かれて、高さをかさ増ししている。
俺はスタッフに手伝ってもらい、椅子の上に座った。
尻の下で座布団がずれたので、俺は両手で端を押さえた。
周囲から、微笑ましそうな目線が向けられる。
ただ、将棋関係者からはギラギラした目を向けられていた。実は優勝した後に何度も声をかけられていた。
俺の名前を手帳に書いたおじさんは、その横に『小3』と大きく書き足していた。
アマチュアの将棋の世界において最重要視されるものが、強さの他に一つある。若さだ。
プロ棋士編入試験が整備されていないこの時代は特にそうだ。アマチュアがプロになるには奨励会に入るしかない。そして、それには年齢制限があるからだ。
……だから年齢が一番大事。前の人生で高校3年の俺がいくら強くても見向きもされなかったように。
「一枚撮るよ」と声をかけられ、俺は顔を上げた。おじさんはカリカリとフィルムを巻いてから、ファインダーをのぞいた。
そんなことを考えていると人影が差した。
「天宮です。今日はよろしくね」
「三国です。座ったままですみません」
手を差し出してきたのは若い美人な女性だ。ものすごく顔立ちが整っている。平成アイドルって感じだ。だけど、ちょっと目元が怖いからあまり好みではない……。
俺は差し出された手を握った。
駒を並べながら、ここまでの将棋を形式的に少しの間褒められた後に、聞かれる。
「三国くんは何枚落としてほしい?」
「平手じゃダメですか?」
俺の言葉に苦笑する天宮女流。そして子供をたしなめるように優しい口調で言ってきた。まぁ、俺は子供だけど。
「大会のルールで、駒を落とさないとできないの。ごめんね」
「じゃあ、香落ちで」
「まったく……。奨励会を思い出すわ」
お、天宮女流は奨励会出身なのか。女流の中ではかなり強いんじゃないか。なんかちょっとドキドキしてきた。
「奨励会はどのくらいで退会されたんですか?」
「一級よ。そのまま、女流一級になったの」
おぉ、しかもかなり強いじゃないか。
ちなみに奨励会では、下級の会員と戦うときは香を落とすことがよくある。香を落としているから負けても仕方ない、とはならない。その一敗で昇級を逃すことだってある。だから、みんな必死に研究する。
俺の体力は四割くらいってところか……。準決勝の相手が予定より強かったのと、女子高生と検討を一緒にしたせいでちょっと疲れ気味だ。もちろん、全力を出せばもうちょっといけるが、ここで倒れるわけにもいかないからな。
定跡から極端に外れた将棋を指すのは難しそうだ。
前の人生で調べた手順なら、序盤で頭を使わずに済む。
◇
元奨励会員に香落ちで挑むなんて、普通なら無謀もいいところだ。香落ちは駒落ちの中でも最も軽いもの。そのうえ、相手はその手合いを散々研究している。そんな相手との香落ちは、平手よりも難しい。
プロだって、普段指さない駒落ちにまで研究時間は割けない。どうしたって平手の研究が中心になる。駒落ちを本気で研究するのは、勝ち星が懸かっている奨励会員くらいだ。
だが、令和には、その駒落ちの研究にも将棋AIが使われるようになった。昔からの定跡も、コンピュータの評価をもとに見直されている。
将棋AIの強さを競う電竜戦では、香落ちの大会まで開かれていた。
――仕方ない。最初に披露するのが香落ちとは少し役者不足かもしれないが、使わせてもらおう。
将棋AIの進化が生み出した、『令和最新版の香落ち定跡』ってやつを。
「お願いします」
「よろしくお願いします」
天宮女流が自分の左端の香車を盤の脇へ置いた。俺から見れば右端、一筋の香車だ。まずは素直に、香車のいない方から攻めよう。
駒落ちなので、香車を落とした彼女から指し始める。互いに角道を開け、彼女が歩を突いて角道を止めたところで、俺は一筋の歩を突いた。
天宮女流が三筋の歩をもう一つ伸ばすと、俺は反対側の九筋の歩も突いた。彼女も九筋の歩を突いて受ける。
両端の歩を突いたところで、一筋の歩をさらに進めた。彼女が三間飛車に振ると、俺は飛車を一筋へ回した。
「へぇ、ちゃんと香落ちも勉強してるのね」
天宮女流が、少し感心したように俺を見た。
「まぁ、少しは」
彼女は飛車を三四へ浮かせた。一筋は、その飛車が横から守っている。俺の玉も最初の位置から動かしていないが、ここは囲わずに攻める。
俺は一筋の歩を▲1四歩と突き、相手の歩にぶつけた。
「思い切りがいいね」
天宮女流は小さくうなずくと、その歩を取った。彼女の視線は俺の飛車に向いている。俺の一筋の歩がなくなったので、飛車の前が空き、そのまま取り返せる形だ。
俺はその歩を取らず、九筋の歩を一つ進めた。▲9五歩。
「……ん?」
天宮女流の笑みが消えた。一筋に残った歩から九筋の歩へ目を移し、眉を寄せて俺の顔を見た。




