第8話 不戦勝と出会い
俺はフラフラと屋上遊園地の片隅を歩いていた。
「決勝が不戦勝ってなんかしまらないな……」
なぜか、俺の決勝の相手が棄権してしまい、することがなくなってしまったのだ。
まぁ、別にいいんだけどね。することもないので、他の会場を回ってみることにした。
まずは大人の部を見にいくことにする。こちらはすでに決勝が開始されているようだ。
お互いに飛車を振っている相振りという状況だ。
「この時代のアマは振り飛車好きな人多いよなぁ」
振り飛車というのは基本的にはカウンター戦法だ。飛車を振ることで、空いたスペースに美濃囲いという優秀な囲いを組める。これは将棋の世界で、最も完成度の高い囲いと言い切ってもいいだろう。
戦況に合わせて柔軟に形を変えることができる。横からの攻めに非常に強く、上からの攻めにもそこまで弱くはない。
そして何より、振り飛車には飛車をダイナミックに振る楽しさがある。
二筋、三筋、四筋、五筋、どこに振っても違った展開ができる。
だけど、この時代でもプロではそこまで主流ではなかった。それは80年代に大流行した、対振り戦術『居飛車穴熊』の影響だ。
振り飛車がタラタラしている間に、自陣をガチガチに固めてしまう戦術だ。その威力はすさまじく、振り飛車はあっという間にプロから引きずり下ろされた。
だが、振り飛車側も黙っているわけではない。90年代は振り飛車の反撃の狼煙が開いた時代でもあった。
「まぁ、令和ではオワコンなんだけどね」
振り飛車はコンピュータ将棋において否定された。飛車を振るだけで評価値が-100されるのだ。トッププロの対局においては致命的。もう振り飛車を使うトッププロはいない。
まぁ、指してて楽しいんだよなぁ、振り飛車。そんなことを思いながら、少しだけ見ていたレベルの低い決勝戦を見るのをやめる。
大人の部を離れ、高校生までの部へ向かう。こちらでも決勝がやっているようだ。
珍しいことに、片方は女の子だった。見たところ女子高生くらいだろうか。
しかも、かなりの美人さん。服装もかなりオシャレ。肩まで伸びたウェーブの髪がよく似合っている。
もう片方は典型的な将棋指しって感じのメガネの高校生だ。
俺はテーブルの横まで歩いていって、将棋を見ようとする。
背が低すぎて、テーブルの上にある将棋盤がよく見えない。ジャンプを五回くらいして、全体像を把握する。
――思ったよりレベルが高いな。
それが最初に抱いた感想だった。二人ともアマ五段はありそう。この二人なら南塚口の帝王である花巻さんといい勝負できるんじゃないだろうか。誰か知らんけど。
もう終盤で完全には断言できないが、女の子の方は振り飛車のようだ。
急戦で端攻めされて美濃囲い自体は崩れたが、上部に逃げて入玉を狙うってところだろうか。
男子高校生は、相手が入玉する前になんとか止めようとする。入玉すれば、彼の薄い囲いでは勝負にならないからな。
ピョンピョン跳ねながら指し手を見ていると、女子高生の方がこちらを見てニコッと笑った。かわいい。
彼女はすぐに真剣な顔に戻り、終盤の激しい戦いに身を投じる。
……数分後。駒台の上に手を翳したのは女子高生の方だった。
「負けました」
「ありがとうございます。検討をお願いしてもいいですか?」
女子高生が頷く。どうやら、感想戦を始めるようだ。ちょっと気になるな。どちらもそれなりの実力者だからな。
感想戦のために駒を盤面に戻しているのをボケーっと眺めていると、女子高生に手招きされた。
テクテク近づいていくと、脇の下に手を入れられる。
――そして、そのまま彼女の膝の上に乗せられた。
「お名前なんていうの? 将棋に興味あるなんて偉いね!」
「あっ……。うっ。達郎です」
いかんいかん、年甲斐もなく動揺してしまった。どうやらジャンプしながら観戦していた俺を見かねて、膝の上に乗せてくれたらしい。もう俺、小学三年生なんだけど。早生まれでちょっと見た目は小さいかもしれないけどね。
ここからなら、盤面がよく見える。
女子高生に頭を撫でられて動揺する俺を尻目に序盤の検討がテキパキ進んでいく。この辺りは定石通りだ。特に検討することはない。
定跡を外れるのは、最初の駒交換が一段落したところだった。
男子高校生はコビン(斜め方向)と端歩を絡ませた攻めによって美濃囲いを解体しようとする。
女子高生は感想戦をしながら、俺が退屈しないように話しかけてくれる。優しい。
「達郎は振り飛車って知ってる?」
「もちろん。四間飛車は大好きだよ!」
そういうとニコニコしながら撫でてくれる。いい匂いがしてドキドキする。
しかも、時々俺の背中に彼女のささやかな胸が当たる。
……俺のマイサンはピクリともしないけど。
その間も、二人は本譜の続きを並べていく。
男子高校生は歳の割に老獪な攻め手で、女子高生の対応も悪くはない。女子高生はここまで明確な悪手を指していないが、それでもジリジリ追い込まれる。
そして女子高生の玉は何人かの側近を連れて、上に逃避行を始める。ここが俺が最初に見た場面というわけだ。
二人は活発に感想戦をやっている。普段の生活では決して会わないような二人でも、将棋を通して心を繋げるのがいいところだ。
「達郎くんは今の対局、どうだったかなぁ? お姉さん負けちゃったぁ」
感想戦の合間に、彼女は俺にも話しかけてきた。俺はすぐに返事せず少し考えて口を開く。
「後手・振り飛車側が4七金、としたところに盤面を戻してもらえますか?」
女子高生が息を呑んだ。俺が感想戦を理解していると全く思っていなかったらしい。まぁ、お子様ボディだしな。
俺の言葉を受けて盤面を戻してくれる二人。
「先手・居飛車側は6三飛車として対応しましたが、これは悪手ですね」
俺は本譜どおりに、飛車を6三へ動かした。
男子高校生のこの手によって、評価値でいうと+1000くらいの優勢から-1000くらいに落ちてしまっている。
「……それはなんでなのかな?」
女子高生に聞かれたのでその理由を説明する。
「6六銀打と詰めろをかけた時に受けにくいからです」
俺は駒台に手を伸ばし打ち込む。この詰めろは受けるのが難しい。守りに効いていた飛車がずれてしまっているからだ。
俺は続けて駒を動かし、先手が受けた場合の手順も並べてみせる。
「もちろん、この手順でここに金を打てば逃げられますが……」
「そうしたら私の入玉は防げなかったってわけね」
男子高校生は化け物でも見るような目で俺の顔を見つめてきていた。女の子の膝に座ってるチンマイ小学生が突然自分が負けていたことを説明してきたことにびっくりしているんだろうか。
一方、俺は女子高生の膝に座っているから、彼女の表情は見えない。だが、彼女の手が震えていたのが見えた。
「私はすぐそばまで来ていた勝利を見落としていたわけね」
そう呟く。そんな時、近くにあるスピーカーからノイズが走りアナウンスが流れた。
『小学生の部、優勝の三国達郎君。指導対局の準備ができましたので、大会本部までお越しください』
俺はそれを聞いて女子高生の膝から降りる。
「お姉さん、ありがとう。呼ばれたから僕はいくね」
「うん……。君は三国君っていうのね……」
声をかけても心ここに在らずのお姉さん。俺は少しの心残りを感じながら大会本部に向けて走り出した。




