第7話 屋上遊園地
情報誌に載っていた将棋大会の会場は、阪急塚口駅の前にある大型商業施設だ。遠くから見ても一目でわかる。
なんたって、巨大な赤い観覧車が屋上にあるんだから。
屋上遊園地にある観覧車は、塚口の街のランドマークだ。
駅前のロータリーを囲むように、三つの建物が並んでいる。建物同士は歩道橋でつながっていて、下にはバスが出入りしていた。
塚口には特急こそ止まらないが、それ以外の電車はだいたい止まる。梅田にも乗り換えなしで出られるし、なかなか便利な街だ。
「遊園地へはどこから上がるんだったかな。三番館だっけ」
三番館の中にはダイエーが入っている。『価格破壊』と書かれた真っ赤なポスターがそこらじゅうに貼られている。
賑わう店内を尻目に、エレベーターで屋上に上がった。
外に出た途端、日差しに目を細めた。屋上まで来ると、さすがに暑い。遊園地で将棋大会とは面白いが、できれば涼しい店内でやってほしかった。
屋上遊園地の片隅には机がたくさん並べられていて、その手前に受付があった。
「こんにちは! 将棋大会に参加しに来ました!」
「おや、一人で来たのかい?」
受付のおじさんは、珍しそうに目をぱちぱちさせながら、俺が差し出した大会案内に目を落とした。
「はい。今日は母が仕事なので」
一人で来たのがそんなに珍しいんだろうか。塚口は全国的に名高い尼崎市の一部だ。治安を心配されるかもしれないが、塚口は大丈夫。尼崎の北部は閑静な住宅街なのだ。
なお、南部はちょっとアレ。阪神尼崎駅前には一人では絶対に近づかないように親から言われている。ヤクザの事務所もあるし、しゃーなしだな。
「保護者同伴必須とは書いてないし、まぁいいか。小学生かい?」
俺は大きく頷いた。
おじさんからもらった番号札を胸の辺りにつけて、会場を見渡す。
この大会は三つの部門に分かれている。
大人の部と中高生の部、小学生の部だ。
それぞれの優勝者は、プロ棋士と記念対局ができる。
その一文を見つけてから、俺はこの日を楽しみにしていた。
今回の大会には二人のプロが出ているらしい。一人は八段の棋士。そして、その弟子の堀川四段。
どちらかと対戦できるらしい。俺個人としては堀川四段と戦いたいところだ。去年の奨励会リーグを抜けたばかりの新人だが、その実力はすごい。
しかも俺は知っている。彼は後に王将のタイトルを取る実力者だ。
堀川四段と指せるかもしれない。そう考えただけで、口元が緩んでくる。先に小学生の部で優勝しないといけないのが、少々面倒なくらいだ。
——この時代のプロに、俺の将棋がどれくらい通用するのか。雑誌の棋譜を並べるだけでは分からないことが、ようやく確かめられる。
ふらふらしているとスタッフの女性に声をかけられて、対局場に案内される。
他の部門には長机が並び、その上に将棋盤が置かれていた。小学生の部だけは、地面に敷物を広げ、その上に座布団と小さなテーブルを置いている。どうやら座布団に座って指す形のようだ。
背の小さい子供に配慮しているのだろうか。俺は三年生にしては背が低いので助かる。
見た限り、高学年が多いようだな。
駒を並べている子もいれば、隣の子と喋っている子もいる。
俺も案内された席へ向かう。プロを目指すなら、この程度の大会は優勝しないと話にならない。
◇
「よろしくお願いします」
「お願いします」
初戦の相手は、俺よりひと回り身体の大きな男の子だった。駒を並べる手つきにも慣れている。
俺はまず、7六歩と角道を開けた。相手も3四歩と角道を開ける。
俺が7五に歩を伸ばすと、相手も飛車先の歩を伸ばしてきた。
そして、俺は7七に桂馬を跳ねた。
相手が小さくつぶやいた。
「っ……! 鬼殺し……」
普通なら、こんなに早く桂馬を跳ねたりしない。『桂の高跳び歩の餌食』なんて格言もあるほどだ。歩に簡単に取られてしまうからだ。
それでも、この形なら跳ねる手がある。
相手がつぶやいたとおり、『鬼殺し』だ。
相手は少し考え込んだ後に、8五歩と飛車先を伸ばしてくる。その先にいるのは無防備な俺の角。自然な一手だ。
でも、それは同時に鬼殺し相手に指してはいけない一手でもある。
俺の桂が跳ねる。
「……ん?」
相手の手が盤の上で止まった。
俺の桂馬の行き先を確かめるように、7三の歩と、その後ろにある駒を見ている。そして、銀を上げてくる。
そこで俺は7筋の歩を突いた。
相手はその歩を取るが、俺はすぐに角を持ち上げ、角交換する。相手が角を銀で取り返してきたのを見て、今手に入れた角を盤の真ん中、5五に打った。
その角が睨んでいるのは……。
「あっ」
相手が飛車を見て、それから銀を見た。
両取りだ。どちらを逃がしても、もう片方を取られる。典型的な鬼殺しの成功例となる。
そのあとは一方的だった。俺は特に何も考える必要がない。ハメ手の手順に従って料理していく。
「……負けました」
「ありがとうございました」
係の人が来て、盤面と俺たちの顔を順に見た。俺が頷くと、胸につけた番号札を確かめている。
「三国くんだね。少し待っていてね」
「次の相手は、まだですか?」
「まだ対局しているからね」
振り返ると、会場のほとんどの席が埋まったままだった。俺の対局は数分で終わったからな。
そこから、何人かと対局した。
大抵の小学生たちは奇襲戦法に対応できず、瞬殺だった。
気がつくと、周りに少し人が集まっていた。
準決勝は俺の先手。いつものように鬼殺しを狙うと、相手は△6二金と上がった。
お、知っているのか。鬼殺しを廃れさせた特効薬だ。ここまで正しく対応できたのは、この子だけだった。
まぁ、別に棋力は他の小学生と同じなので、適当に方針転換して楽勝だったんだけど。奇襲戦法を破られた時のセカンドプランも用意しているのだ。
終盤、相手が駒に伸ばした手を引っ込めた。
「……あ、やっぱり……」
指す前なんだから、好きなだけ考えればいいのに。相手はなぜか俺の顔色をうかがっている。
ちなみに鬼殺しというのは先手でしか使えない。
基本的には先手なら鬼殺し、後手なら早石田だ。どちらも正しい対処を知らなければあっという間に崩壊する。
奇襲戦法を使うというのは、将棋においては一般に忌避される行為だ。子供が使うとなれば、なおさらだ。
ちなみに、俺が奇襲戦法に頼っているのには理由がある。——何も考えないようにするためだ。
「このお子様ボディ、最高出力は高いんだがなぁ」
俺は頭を使わずに優勝する必要があった。
この成長途中の身体は、高度な演算を長く続けられない。一時的にならなんとかなるんだが、読み続けると強烈な睡魔が襲ってくる。
憧れの堀川四段との対局中に爆睡するわけにはいかないだろう。そのために体力を温存しているのだ。
「小学生の部じゃなくて、大人の部に出ればよかったな……。ちょっと大人気なかったかもしれない」
先ほどの準決勝で、対戦相手が見せた怯えた表情を思い出しながら、俺は小さく首を振った。




