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ブラウン管の向こうへ、王手を。  作者: メモ帳パンダ


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第2話 もう一度、将棋を

「たっくん! たっくん、大丈夫?」


 幼い女の子の声がする。肩を揺すられている。

 たっくん。懐かしい呼び名だ。

 俺が子供の頃にそう呼ばれて以来だ。


 最後に覚えているのは、胸の痛みと、頬に触れた机の冷たさだ。

 息を吸ってみる。もう苦しくない。

 あのまま、死んだのだろうか。


 ここは天国だろうか。


 目を開けると、古い木造家屋の廊下に寝転がっていた。

 上体を起こして、自分の体を見下ろした。

 小さな手、目線の低い体。

 何かのキャラクターが描かれた、よれよれのTシャツ。


「あっ、たっくん起きた! おじいちゃん、たっくん起きたよ!」


 女の子が走り去っていく。

 廊下からは、今どき見ないような本畳の、和風な客間が見えた。


 その中心には……脚付きの将棋盤があった。


 俺は何かに取り憑かれたように、将棋盤の前へ向かう。

 国産榧の板目かぁ。


 このくっきりとした見た目からすると、日向榧かもしれない。

 もう国産の榧の木で作られた将棋盤は珍しい。


 国産榧の伐採は、今ではもう禁止されている。


 今の時代に、こんなに真新しい日向榧の将棋盤を拝めるなんて嬉しいことだ。

 榧は年月が経って飴色になったものも美しいが、誰の手にも触れられていないものも美しい。


 そういえばここは天国だった。

 天国にはマニアックな備品もあるもんだな。


「たっくん、おじいちゃんすぐ来るって。救急車、呼んだ方がいい?」


 俺は生前、何かいいことをしたわけではない。

 母にろくな孝行もできなかったし、人付き合いもよくなかった。


 それでも、大好きな将棋をしながら死後を過ごせるってことかな。

 ありがたいことだ。


 そんなことを考えていると、女の子に肩をつかまれ、強引に振り向かされた。


「もう、たっくん、いつまでぼーっとしているの!?」


 目の前にいるのは幼女だった。

 えっと、何だろう。


 俺の転生先を決めてくれる女神様だったりするんだろうか。

 可愛らしいが、特に知性は感じないな。


 とりあえず、駄目元で転生先の希望を言ってみることにした。


「えーっと、次は将棋を幼い頃からできる人生を生きたいです」

「?……たっくん、何言ってるの?」


 俺の頭に手を置いてくる幼女。

 俺より少し身長が高い。

 転生の話は、まるで通じていない。

 どうやら、ただの幼女だったらしい。


「たっくんはね、未央の家で急に倒れたんだよ。心配したんだから」


 本人によると、彼女の名前は未央ちゃんらしい。

 その名前には少しだけ聞き覚えがあった。

 子供の頃、引っ越した先で仲良くしていた女の子も、同じ名前だった。


 大きくなったら結婚しようなんて言い合っていたっけ。


 だけど、高学年になるにつれて俺は勉強一筋になり、疎遠になった。

 中学は遠い私学に行ったので、完全に縁が切れてしまった。


 自称、未央ちゃんの顔をじっと眺める。

 あれ、こんなに可愛い女の子だったっけ。


 彼女は少しずつ顔を赤くし、俺の肩を揺すり始めた。


 そこへ初老の老人が駆け込んできた。


「達郎くん、良かった。君のお母さんに連絡を取ろうとしたけど、なかなか電話が通じなくてのぉ」


 この人は、状況からすると未央ちゃんのおじいちゃん? でも、未央ちゃんは俺と同学年だった。

 俺と同じだけ年を取っているはずだ。

 その祖父が、こんなに若いだろうか。


 ……いや、そもそも未央ちゃんが幼女な時点で何かがおかしい。

 あれ、俺は小学生の頃に戻ったのだろうか。


「あれ……俺は、やり直せるのか……?」

「たっくん、少し変なの。しばらくテレビ見とく?」


 未央ちゃんが俺の手を取って、部屋の隅に座らせる。


 そこには昔懐かしい、箱型のアナログテレビがあった。

 未央ちゃんがテレビをつけた。


 将棋の中継をしていた。

 チャンネルを変えようとした未央ちゃんを、手で制する。


 将棋はすでに中盤を過ぎ、駒の配置は入り組んでいた。

 それでも、二人の棋士が何を指そうとしているのかはよく分かった。


「たっくん、どうしたの? これ、いつもじぃじが見てるつまんないテレビだよ?」

「うーん、相矢倉か……お互いにやたら重厚だな」


 俺の呟きに反応したのは、未央ちゃんではなかった。

 未央ちゃんの祖父が近づいてきて、腰をかがめる。


「おぉ、達郎くん。中盤の盤面を見ただけで分かるのか。具合が悪くなければ、儂と一局指さんか?」


 そう聞かれた。

 俺は反射的に頷いていた。


「いやぁ、達郎くんも人が悪いのぉ。さっきはあんなに興味なさそうにしてたのに、将棋に詳しかったとは」


 何のことだろう。

 おじいちゃんの話に耳を傾ける。


 俺が未央ちゃんの家に来たのは、今日が初めてらしい。

 引っ込み思案な孫娘が連れてきた初めての友達だからと、

 おじいちゃんは最近買った自慢の宝物――あの将棋盤を見せびらかしたのだという。


 俺が興味を示さないので、おじいちゃんは奥へ引っ込もうとした。

 その時、俺が急に倒れ、大騒ぎになったそうだ。


 おじいちゃんの話を聞いて、俺は気づいてしまった。


「あはは……そういうことだったのか」


 突然笑い出した俺の顔を、未央ちゃんが心配そうに覗き込む。


「おじいちゃん、たっくんが変になっちゃった……」


 さっきまで見惚れていた将棋盤に、もう一度目を向けた。

 前の人生の俺は、これを見ても何とも思わなかったらしい。


 俺は高校生になって、将棋に初めて出会ったと思っていた。

 母子家庭で、母親は生きていくのに必死で、その期待に応えようと俺は勉強ばかりをしていた。


 だから将棋と出会えなかった。そんな言い訳をしていた。

 そんな俺に、将棋の神様は言いたかったわけだ。


『将棋がお前を選ばなかったのではない。お前が将棋を選ばなかったのだ』


「どうした、達郎くん。ほら、そこに座りなさい」


 俺は促されるままに、座布団へ座った。


「もう一度、できるんだ……」


 子供には少し大きい脚付きの将棋盤。

 その前でする正座。この身体は慣れていないのか、足がじんじんとし始める。

 それでも、俺は心が躍るのを抑えられなかった。

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― 新着の感想 ―
お前が選ばなかった…ですか。 悩んでる事があるからかもしれませんが、自分にはかなり沁みる言葉でした。 かっこいい!
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