第8話 剣聖
王都、外郭地区。
街並みはもう、無残に壊れ果てていた。
カレン・ヴァレリウスは、廃墟だらけの景色の中を、ひとり歩いていた。
その白い衣装は、夜闇の中でやけに目立つ。
彼は焦ってなどいない。
この動乱の黒幕が、この街のどこかに潜んでいることを、知っているからだ。
唐突に——
カレンは足を止めた。
瞳の奥に、かすかな光が走る。
『予知の予感』。
針で刺すような直感が遠方から伝わり、空気には高位魔物と、何か不穏な力が混ざり合った気配が漂っていた。
「見つけた」
小さく呟くと、彼の姿は瞬く間に白い残像となった。
数キロ先——
爆発音が耳をつんざく。
遠くの廃墟で、黒い短髪の帝国女軍官が歯を食いしばり、手にした槍から強烈な雷光を迸らせていた。
「くそっ……」
女軍官は苦しそうに息を切らし、手の平は槍の衝撃で裂け、血が穂先を伝って流れ落ちる。
その向かいには——
蒼白な髪の男が立っていた。
上半身は裸で、筋肉には不気味な赤い紋様が走り、狂暴な気配をまき散らしている。
完全な、一方的な蹂躙だ。
白髪の男は冷笑し、身を翻すと一瞬で間合いを詰めた。
ドンッ!
重く強烈な一撃が、女軍官の腹に突き刺さる。
「ぐはあっ——!」
女軍官はまるでぼろ人形のように吹き飛び、瓦礫の山に叩きつけられ、戦闘不能になった。
白髪の男は首を鳴らし、まだまだ物足りない様子だ。
「帝国皇家の手先め、この程度か——」
言葉は続かなかった。
戦場の端から、穏やかで礼儀正しい声が唐突に響いたからだ。
「大丈夫ですか、女史?」
女軍官は必死に目を開ける。
目の前に立つ、赤髪の背中を見た瞬間、顔には信じられない驚きが広がった。
「帝国皇家守備第三分隊……剣聖様に、お目にかかります!」
重症を負いながらも、無理して礼をしようとする。
カレンは少し呆れたように息を吐き、近づいて極めて柔らかい力で女軍官を起こした。
「こんな時に礼儀なんて気にしなくていい」
肩の埃を払いながら、変わらず穏やかな口調で告げる。
「後は俺に任せろ」
「……承知いたしました、剣聖様」
遠くの埃が晴れていく。
白髪の男が影から現れ、野生的な瞳でカレンを睨みつけた。
「剣聖の名、伊達じゃないな」
残酷な笑みを唇に浮かべる。
言葉が途切れると同時——
男は咆哮を上げ、『怪力』が一気に解放された。
片手で地面に突っ込み、数トンもある巨岩を生身で引き剥がすと、まるで砂袋でも投げるかのようにカレンへ叩きつけた!
巨岩が凄まじい風圧を伴い、襲いかかる。
だが——
カレンは腰の剣を抜こうともしない。
ただ手を上げ、指を剣に見立てる。
シュッ——
肉眼で捉えるのが難しい気刃が、突如生まれ出た。
巨岩はカレンの三尺手前に届く前に、空中で滑らかに真っ二つに切り裂かれる。
ゴロン、ゴロン。
二つに割れた岩が、カレンの左右に落ちる。
その瞬間——
カレンは片足で地面を蹴る。
先ほどの穏やかな瞳は、刃のように鋭く変わった。
速すぎる!
白髪の男が防御態勢を整える間もなく、カレンの拳がまともに顔面に叩き込まれた。
ドゴンッ!!
空気に白い衝撃波が広がる。
だが意外なことに——
女軍官のように吹き飛ぶことはなかった。
男の両足は地面に突き刺さり、深い溝を抉っている。
鼻骨は陥没し、血が噴き出しているのに、男の顔には依然として身の毛もよだつ笑みが残っていた。
ゆっくりと顔を上げ——
「第七位の大命侍、『月』だ」
しゃがれた声で、自らのコードネームを名乗る。
そして体内から更に膨大な力が噴き出し、カレンを勢いよく弾き飛ばした。
月は顔の血を拭う。
左の瞳が突如、刺すような紫に輝く。
『全視の眼(擬似)』。
「見せてもらおう……世界の意思に愛されたお前の、隠された切り札を」
視線が交わった瞬間——
月の脳内に、大量の情報が滝のように流れ込んでくる。
【付加解析】
即死耐性:致命傷を一度無効化
終焉耐性:致命攻撃の威力を一度90%軽減
蘇生:死後に一度即時復活
魔力再編:全魔力を消費し、一回限りの付加効果をリセット
魔力回復:魔力枯渇時、一日一度全回復
元素の極:任意属性の世界級元素精霊を召喚可能
魔物使役:剣聖の命令で全ての魔物と意思疎通・支配
力(強):筋力超強化
神速(強):速度超強化
靭性(強):体質超強化、耐久・打たれ強さ上昇
全方位知覚:気配・魔力変動を感知、不意打ち無効
精神防壁:精神攻撃・幻術・魅了・恐怖を完全遮断
予知の予感:致命的な危険を事前感知、本能的に回避
破魔:魔術師・魔物に対し追加ダメージ
源力増幅:源容量・回復速度二倍
魔力吸収:敵の魔法を自身の魔力に変換
適応耐性:同種攻撃を受け続けると耐性が段階的に上昇
極・昇華:生まれてから数値が年々上昇(毎年自身数値の約5%)
剣聖:???
帝剣:???
……
月は呆然とした。
紫の瞳に、珍しい戸惑いが走る。
「なに……」
見えない。
というより、その力があまりに膨大で、彼の権能では解析しきれないのだ。画面いっぱいに、解読不能な文字化けとはてなマークが浮かぶ。
「他人の力を覗き見るのが好きなようだね」
カレンの声が響く。
だが今は、穏やかな口調に抗えない威厳が宿っている。
カレンの手が、ゆっくりと腰の剣の柄にかかる。
鞘は質素で飾り気がない。だが指が柄に触れた瞬間——
戦場の空気が、凍りついた。
「帝剣」。
この世で一番の剣。
澄んだ抜刀音と共に、心を抉るような寒々しい光が夜を切り裂く。
帝剣が抜かれた瞬間——
カレンの雰囲気は一変した。
先ほどまで穏やかな旅人だった彼が、今や世界の頂点に立つ強者そのものになる。
遠くで倒れている女軍官を含め、この場の全員が魂の奥から押し寄せる無形の圧力を感じる。
それは、ルールによる抑圧だ。
「ついに本気を出したか!」
月は狂ったように叫ぶ。
『怒』発動!
筋肉が更に膨れ上がり、血管が竜のように浮き出る。
「剣聖との差を、この目で確かめてやる!」
言うと、両拳を合わせ地面に叩きつけた。
ゴゴゴゴ——!!
街区一帯の地面が波打つように隆起し、無数の鋭い石の棘が地獄の牙のように、カレンへと押し寄せる。
天災とも言える光景に、カレンは無表情に空中へ跳躍するだけだ。
月は地面の反動を利用して飛び上がり、空中で鋼鉄を引き裂くほどの強打を数十発繰り出す。
だが——
カレンは手首を軽く返すだけ。
帝剣が空中に完璧な弧を描く。
カチカチカチカチ——!
あらゆる攻撃は、刃に触れた瞬間、あっさりと弾き返される。
その直後——
カレンは空中でありえない回転を決め、刃を上から下へ一閃させた。
華やかな光などない。
ただ、極限の『鋭さ』だけが存在する。
「ブチ——」
歯軋りするような衝撃音が響く。
月は眉間から股下まで、真っ二つに切り裂かれた。
それだけじゃない。
背後の隆起した地面まで、この一撃で真っ二つに割れ、底知れぬ巨大な裂け目が生まれる。
「ちくしょう……」
二つに割れた肉体が廃墟に落ちる。
だが月は死なない。
『燃罪』の驚異的な回復力が、ここで発揮される。
二つの体は地面に触れた瞬間に蒸気を上げ、無数の肉芽が蠢き、肉眼で見える速さで癒え、繋がり合っていく。
だが——
剣聖は、彼に反撃の隙を与えない。
月が癒え終わり、息を整える間もなく——
カレンは地に足を着けていた。
手にした帝剣に、極めて眩しい光が集まる。
それは魔力ではない。極限まで研ぎ澄まされた物理的斬撃が引き起こす、空間の歪みだ。
再び一撃!
ドゴォォォォォ——!!!!
先ほどの十倍はある凄まじい衝撃音が響き渡る。
この場の全員の耳が一瞬で塞がり、聴覚を失う。
狂暴な気流が周囲の建物を一掃する。
埃が晴れる。
その場に、月の姿はもうない。
核爆弾にも匹敵する一撃が落ちた瞬間、月は跡形もなく消え、地面には凄惨な血痕と、数キロに渡る剣の痕だけが残っていた。
カレンはゆっくりと剣を鞘に収める。
気配は穏やかで、呼吸さえ乱れていない。
その時、背後から息を切らし、掠れた声が届いた。
「剣聖様!」
カレンは振り返る。
遠くの通りの突き当たりで、本来城外の野戦病院にいるはずの黒髪の少年が、出血した足を引きずり、息を切らして立っていた。
ゼロだ。
——
同時刻。
アストレア公爵邸、中庭。
絶望が広がっていく。
セイラスは剣を杖代わりにし、血の中で片膝をついていた。
額、腕、胸の傷から絶え間なく血が流れ、全身が凄惨な紅に染まっている。
強すぎる。
『濁』とコードネームされた男の能力は、あまりにも不穏だ。
魔剣士の爆発力も、風属性の加速も、全てを弱体化させる擬似権能の前では、無意味に等しい。
フィオナは剣を握り、気絶した当主の前に立ちふさがる。
紫の瞳に恐怖はなく、ただ死を覚悟した決意だけが宿っている。
だが震える腕が、彼女が限界まで追い詰められていることを物語っていた。
「終わりにしてやる」
濁は冷笑し、ゆっくりと彼らに近づいてくる。
手に黒く濁った魔力を凝縮させ、フィオナの心臓に狙いを定める。
間一髪——
戦場の遠くから、声が響いた。
「ただいま、みんな」
濁は勢いよく顔を上げる。
セイラスとフィオナも、必死に声の方を見渡す。
夜風の中——
少年が走ってくる。




