第17話 夕暮れの邂逅
正午
アストレア公爵邸の廊下。
ステンドグラスから差し込む陽光が、床に斑入りの光を落としていた。
「『夢の主』……?」
(……なんだこれ、めちゃくちゃ中二っぽい名前だな。)
「異邦人だから、この地の歴史は知らないだろう。じゃあ最初から話そう」
先を進んでいたペドロが足を止めた。
「六百年前、ニサンクスで大きな動乱が起きた」
レイの瞳がかすかに煌めく。
「そうだった……確か『大災厄』って呼ばれてたよね」
彼が話を受け継ぐ。
「ドミリーが話してくれたんだ。あの災厄はとても大きくて、ニサンクスの二つの大陸がどちらも大打撃を受けたって」
ペドロは振り返り、重い面持ちでゆっくり頷いた。
「そうだ」
一瞬間を置き、声が少し掠れる。
「その災厄の首謀者の一人が……彼女なのだ」
(ブンッ——!)
「?」
レイの表情が瞬く間に歪み、まるで蝿を丸呑みしたような嫌悪感が顔に浮かぶ。
視界が霞んでいく。
それと同時に、耳元にぬるい吐息が漂ってくる。
「あなたのこと……知りたい」
ねっとりとした、どこか不気味な声だ。
「オェッ——!」
レイは膝の力が抜け、冷たい石畳にそのままひざまずき、抑えきれずにえずきだす。
冷や汗が一気に背中を濡らした。
(くそ……また彼女かよ!)
「おい、大丈夫か?!」
ペドロは慌てて身をかがめ、レイの肩をしっかり支える。
レイは壁にもたれ、荒い息を繰り返し、ぐったりとした様子だ。
「だ、大丈夫……」
弱々しく手を振る。
「ただ……急に気分が悪くなっただけだ」
「……」
ペドロは眉を寄せ、深くレイを見つめた。
それ以上問い詰めず、後ろから黙って従っていたメイドに目を向ける。
「ドミリー、彼を客室まで送ってくれ。今日の話はここまでにしよう」
「はい、ご当主様」
ドミリーが一歩前に出て、優しくレイの腕を支える。
廊下には、二人の足音だけが静かに響いた。
「レイ、大丈夫?」
少女が少し顔を上げ、澄んだ瞳に心配の色を浮かべる。
「本当に大丈夫だよ、気にかけてくれてありがとう」
レイは無理に笑顔を作り、少女を見る。
その言葉を聞くと、少女は再びうつむき、黙ったままだ。
……
客室の扉の前。
赤髪の青年が立っていた。
「剣聖様?」
レイは少し意外そうに目を向ける。
赤髪の青年は振り返り、照れくさそうに後頭部を掻く。
「やあ、レイくん……どうしたんだ、顔色あんまり良くないぞ」
「気にしないで。ちょっとしたアクシデントだよ」
レイは体を起こす。
「それで、何か用事があるの?」
赤髪の青年の笑顔がさらに気まずくなる。
「本当に申し訳ない!アタロール図書館へ連れて行く約束だったけど、急な用事が入っちゃって……」
「ああ、気にしないで大丈夫だよ」
レイは軽く首を振る。
「ほんとにすまない。では失礼する!」
赤髪の青年は手を振り、廊下の奥へ足早に去っていった。
「……」
午後
客室内。
夕暮れの陽射しがレイの頬に降り、ほのかな暖かさを届ける。
彼は窓際へ歩み、退屈そうに外の景色を眺めていた。
窓の先、公爵邸の門前。
黒髪の少女がゆっくりと歩いてくる。
「ん?」
レイは訝しげに眉を上げる。
「こんな時間に……この邸を訪ねてくる人なんているのか」
彼女はきちんと仕立てられた黒いドレスを身にまとい、歩くたびにスカートがそっと揺れる。
夕陽に照らされ、少女はふと足を止め、少し顔を上げて二階の窓際にいるレイを見た。
レイは一瞬、見とれる。
二人の視線が重なった。
(……すごく綺麗だ)
「こんにちは」
少女がレイに声をかける。
「あ……こんにちは」
「……」
風がそよぎ、窓の外の木々が揺れる。
「公爵邸のお客さんですか?」
レイが問う。
少女の口角がそっと上がる。
「そういうことになるわね」
スカートを少しつまみ、優雅に貴族の礼を取る。
「これからも、どうぞよろしくお願いします」
「そんな堅くしないでよ。俺もここのお客さんだし」
レイは照れくさそうに後頭部を撫で、ぎこちなく笑う。
「では、先に行きますね」
「うん、さようなら」
少女は振り返り、視界から消えて邸の中へ入っていった。
翌朝
公爵邸、応接室。
黒髪の少女がソファに腰を落ち着け、主席に座る公爵を穏やかな目で見つめる。
「ペドロ様」
「遺品を取り戻す任務を、私に任せてください」
公爵は黙って少女を見つめる。
しばらくの間。
「カリスタ」
ペドロがティーカップをテーブルに置く。
「君の心意気はわかっている。だが、私は君の父と約束したのだ……」
カリスタは勢いよく立ち上がる。
「だから、行かせてください」
「恩知らずな人間には、なりたくないのです」
青い瞳には、疲れを滲ませたペドロの姿が鮮やかに映る。
「はあ……」
ペドロは長いため息をつく。
「やはりか」
首を振り、苦笑いを浮かべる。
「君は父と同じだ……この頑固な性格が」
緑の芝生が広がる場所。
穏やかな陽光が降り注ぐ。
レイは芝生の端に立ち、遠くの木陰にいる赤髪の少女を眺めていた。
少女は静かに空を見上げている。
「……」
「フィオナ」
レイがその名を低く呟く。
「こんにちは、またお会いしましたね」
突然、柔らかい女声が斜め後ろから届く。
レイが振り向くと、黒髪の少女がゆっくりと近づいてくる。
(……また彼女かよ)
「そういえば、昨日自己紹介していませんでした」
少女はレイの前で足を止め、微笑みを絶やさない。
「私はカリスタ。あなたは?」
「天宫レイだ」
その瞬間——
「シュッ——!」
木剣が突如上空から飛んできて、レイとカリスタの真ん中の地面に突き刺さる!
草くずが勢いよく飛び散った。
「わっ!」
レイは驚いて慌てて二歩ほど後ろに下がる。
だがカリスタは異様に冷静で、ただ横目で木剣を眺めるだけだ。
遠くに黒髪の青年が立っていた。
「偽善者め!」
「俺が懲らしめてやる!」
カリスタがそっとため息をつく。
「またあなたか……」




