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残響の記憶  作者: 寝そべり魔丸
第二章 「旅路編」
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第16話 夢の主

「あぁ——」


公爵邸の中。

少年は目を覚ました。

虚ろな目で天井を見つめる。

口角が勝手にひきつった。


キィ——

部屋の扉が開かれる。

軽やかな足音と共に、

鮮やかな金髪が視界に飛び込んでくる。


「零様、どうかしました?」

澄んだ声だ。

察しのいい微かな不安が混ざっている。

少女は素早くベッドまで駆け寄り、

腰を屈め、髪の房が宙に垂れる。

手が伸びてきて、そっと額に重なった。


「冷たい……」

少年は反応もせず、天井を見つめ続ける。

熱っぽい体液が制御きかず、ひきつった口角を伝ってゆっくり伝い落ち、

枕に滴り落ちた。


次の瞬間——

「はぁっ——!」

深海で溺れかけた人間が、瀬戸際で水面へ飛び出したみたいに

彼は勢いよく起き上がり、荒い息を切らして喘ぐ。

冷や汗があっという間に背中の布を浸してしまう。

硬直したまま身を翻し、ベッド脇に立つ少女を見た。


「ドミリ?」


だけど少女は何も反応せず、

ただ死んだように佇んでいるだけだ。


「ドミリ……?」

声に慌てが滲む。

不安が心底に瞬く間に広がっていく。

零は慌てて起き上がり立ち上がって、振り返った。


「……え?」

瞳孔が一瞬で極限まで収縮した。

視線の先のベッド、乱れた布団の隙間。

目が虚ろで顔色は青ざめ、口角によだれが一筋垂れた姿——

それは自分自身だった?


自分の肉体が、まだベッドの上に横たわっているなんて。


「これ、一体どういうことだ……」


その時、静寂を割く声が響いた。

「天宫零閣下、こんにちは」

背後から声が響く、何の前触れもなく現れた。


ブン——

「なんだよこれ!?」

体が抑えきれず震え出す。


(逃げろ……)

(早くここを離れろ!!!)


身を翻し足を踏み出し、部屋を駆け出した。

風が耳元を鳴らし、廊下の景色が狂ったように後ろへ流れていく。

だけどまとわりつく冷気は一切薄まらず、

見えない大きな手が脳みそを掴んで離さない。


「やめて……」

声に泣き崩れそうな響きが混ざる

「近づかないで!」

切り裂くような叫びが空間に響き渡る。

どれだけ走ったか分からない。

唐突に足元に何か引っ掛かり、


ドシッ。

地面に激しく叩きつけられた。

痛みなど一切ない、残るのは恐怖だけ。


「どうして……」

体を起こそうともがくが、両足は力が抜けきって動かない。

「どうして私を放してくれないの……」


少年は地面に丸まり、自分自身を強く抱きしめる。

肩が激しく上下し、砕けるようなすすり泣きが漏れる。

窒息しそうな絶望が彼を飲み込んでいった。


どれほど時が過ぎただろう。

柔らかな感触が頭上に降りてきて、

そっと髪を撫でてくれた。


「大丈夫だよ……」

柔らかな声だ。

「もう平気だよ……」

一度、また一度、髪の流れに沿って。

狂っていた鼓動が不思議と次第に落ち着き、

すすり泣きも小さくなっていく。


零は涙で腫れた目をゆっくり開ける。

視界はまだ霞んでいて、

目に入ったのは灰色のマントをまとった少女だった?

裸足で、細く青白い足首が地面に触れている。

灰の長い髪が無造作に肩へ落ち、

彼女は零の前にしゃがみ、手はまだ彼の頭に置かれたまま。

濃い灰色の瞳が静かに零を見つめている。


「お前は……」

零は呆然とし、喉がカラカラに乾いていた。

目の前の少女は見た目十三歳程度なのに、

どうしてあれほど精神が崩壊しそうな恐怖を抱かせたのだろう?

矛盾が神経を引き裂く。

だけど恐怖は確かに消え失せていた。


少年は最後のすすり泣きもやめ、無表情に少女を見つめ続ける。

少女は手を引っ込め、ゆっくり立ち上がる。


彼女が身を起こした瞬間、異変が起きた。

さっき自分を躓かせたものが、いつの間にか柔らかな芝生へと変わり、

やがて一面の白へと塗り替わる。

ただの白、果てしない白だ。

上下も方角も存在しない、虚無の空間。


零は手の甲で乱暴に顔の涙を拭い、地面を支えにゆっくり立ち上がった。


「……」

沈黙が白い空間に濃く溜まっていく。

どこか不気味な穏やかさが空気に漂っている。

遠くに佇む少女を見て、

声はまだ掠れていた。


「どうして……私の名前を知ってるの?」


少女は彼を見て、

唇を浅く引き上げた。

捉えどころのない、淡い笑みだ。


「私の名前は——」

唇が開閉するが、

「○○○。」


……え?

発音そのものが消されてしまった?


「……?」

少年は一瞬頭が回らず眉を寄せる。


(聞き逃したのか?それとも言葉が通じない?)

脳が合理的な理由を探そうとする。

だけど少女は名前を繰り返すことなく、ただ静かに彼を見つめている。

濃灰の瞳に白い空間は映らず、映るのは呆然とした零の顔だけ。

返事はない、視線だけが注がれ続ける。

それから彼女が口を開いた。


「私はあなたを知りたい」

平坦な口調なのに、拒絶できない魔力が宿っている。


「え?」


次の瞬間、何の予兆もなく少女が軽やかに歩を進め、瞬時に零の目の前まで迫る。

つま先立ちをして少年の耳元まで顔を寄せ、

温かい吐息が耳殻にかかる。


「私はあなたを知りたい」


チン——!

この瞬間、何か名状しがたいスイッチが起爆されたかのように、

目の前の白い空間、頭上も足元も、すべてが砕けたガラスみたいに崩れ落ちていく。


……


「はぁはぁ——!」

零は勢いよく目を覚ます!

荒い息を繰り返しながら叫んだ。

「ドミリ!?」

目の前の少女を捉え、

布団のシーツを両手で強く掴み締める。

ざらついた布の感触、確かな温度。

時は正午、強い陽光が公爵邸の窓から射し込み、零の顔を直撃して目に刺さる。

舞う微塵が光の柱の中で鮮明に浮かんでいた。


「アストレア家当主……」

少し離れた場所から零の声が響く。

ペドロは顔を捻り、部屋の半分ほど距離を隔てた汗びっしょりの零に視線を落とした。


「零、何か用か?」


少年は顔を上げペドロを見据え、

喉仏が苦しそうに上下する。

呼吸はまだ細かく震えていた。


「……」

「聞きたいことがあるんだ」

視線を離さずペドロを捉え続ける。

「灰髪の少女にまつわる件について」


空気が一瞬凍りついたように止まる。

ペドロの表情に大きな変化はないが、

幾多の世事を見てきた瞳の奥に、驚きが一瞬過ぎった。


ペドロは手元の物を置き、身を翻して少年をじっと見定める。

陽光が彼の影を長く床に伸ばす。

窓から微かな風の音が流れ込んでくる。

長い沈黙の後、ペドロが低い声で語り出す。


「お前は知らないはずだ……」

「彼女の名前を」


零は脳内で文字化けしたような発音を思い返し、唇をきつく結んで頷いた。

ペドロは目の前の少年を観察するように眺め、

「世間で彼女はこう呼ばれている——」

「『夢の主』だ」



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