第18話 決意
太陽が照りつける暑い日
耳にうるさい蝉の声が響いてくる
「——」
黒髪の青年は歯を食いしばった。
灼けつくような視線でレイをじっと睨みつける。
「偽善者め、俺と決闘しろ!」
声は大きく、少し掠れていた。
「……?」
(えっと?)
レイの頭がフル稼働し始める。
記憶の断片を必死に辿る。
……一秒。
……二秒。
「……」
(全然覚えてないんだけど!)
「あの……」
レイはそっと息を吸って
「私たち……知り合いでしたっけ?」
「——!」
黒髪の青年の頬がぴくりと痙攣した。
シュッ。
鋭い風切り音が響く。
木剣がまっすぐこちらへ突き出される。
剣先は、鼻先から数センチのところで止まった。
青年の目つきはさらに鋭くなり、
まるでレイの体に穴を開けてしまいそうな勢いだ。
「今さら知らないふりをするな!」
「俺はもう……お前のすべてを見透かした!」
「はぁ?」
(マジで言ってるの?)
「まずはフィオナ様のこと……」
「それからあのメイドの方……」
口調に憤りと悲しみがまた強く滲む。
「今に至っては、カリスタ様まで——!」
「——ちょっとちょっと、待って」
レイは慌てて手を上げる。
「何を考えてるの!」
思わず声が出た。
「全然心当たりないんだけど!」
だが、木剣はさらに半歩前に突き出された。
「余計なことを言うな!」
「とにかく——俺はお前に挑戦状を叩きつける!」
「いい加減にしなさい、ウルリック」
冷ややかな声が唐突に響いた。
黒髪の少女がそばに立ち、
足を進めて前に出る。
細い腕を伸ばし、青年をそっと押しのけた。
「無駄な癇癪を起こすのはやめて」
「俺は……」
押しのけられた青年はよろめき、
勢いよく張っていた態度が一気に崩れる。
木剣の剣先が地面に垂れ下がり、
口を開けたまま言葉が出てこない。
「……」
黒いスカートが空に断固とした弧を描き、
少女は振り返りもせず、そのまま足を運んで去っていく。
青年だけがぽつんとその場に取り残された。
「え?」
「だから……」
レイは手を上げて髪を掻き、
地面に置き去りにされた木剣と、遠ざかる少女の背中を見比べる。
「なんだったんだろう……さっきの」
(唐突な決闘申し込み)
(身に覚えのない誤解)
(そして、唐突な終わり)
レイはため息をつき、
少し考えてから、重たく感じる足元を運び、
近くの木陰へと向かった。
影の中へ踏み入れると、
赤髪の少女が木陰の奥に静かに佇んでいた。
レイはゆっくりと
彼女の前まで歩き、
背中を向けたまま空を眺める。
「……」
周囲からは風が葉をなびかせるさらさらとした音が届く。
「今日はいい天気だね」
「そう思わない?」
レイはそっと顔を横に向け、
目の端で、太陽よりも鮮やかな彼女の赤い髪と、
水晶のように透き通った紫色の瞳を捉える。
瞳には頭上の青い空が映り込んでいた。
「……」
レイは足元の芝生を見つめ、独り言のように続ける。
「ドーンももう普通に歩けるようになったって聞いたよ」
唐突に少女が背後から、
折れそうに細い腕で抱きついてきた。
「——?!」
「ごめんなさい……」
背中から声が漏れてくる。
「でも、遺品を探しに行ってほしいの……レイ」
背中の布地が次第に湿っていく。
温かい滴がじわりと染み込んでくる。
「こんなお願いをするのは間違ってるって分かってる……」
少女は顔をレイの背中に埋め、こもった声で話す。
「レイには何の関係もないのに、私の問題なのに……」
「だけど、お願い……」
耳元に途切れがちな、細いすすり泣きが響く。
レイは振り返らず、ただ呆然と立ち尽くし、涙に服を濡らされるままにした。
「……」
「前まで……いつも同じ表情しかしなかったから」
「無表情な人だと思ってたよ」
背中で震えていた体がぴくりと硬直する。
「だから……」
レイは手を伸ばし、腰に回された冷たい指に重ね、
ゆっくりとそっと離す。
それから振り返り、涙で霞んだ紫色の瞳をまっすぐ見つめる。
「ありがとう、フィオナ」
レイは彼女の目を見て、心から告げる。
「私を信じてくれて……ありがとう」
「だけど、遺品のことは……」
少女の肩がびくりと縮こまり、
長いまつげが震え、ゆっくりとうつむいた。
「行くよ」
「え……?」
フィオナは顔を上げてレイを見つめる。
「ここにも長く住まわせてもらってるし」
レイは指で頬を掻き、視線をそらしながら続ける。
「ただ居候してるだけじゃ、何もしないわけにはいかないよね」
少女はレイを見つめ、紫色の瞳に黒髪の少年の姿がくっきりと映る。
涙がまたこぼれ落ちた。
「ありがとう……」
声は小さいけれど、はっきりと響いた。
「本当に……ありがとう……」
「もう大丈夫だよ」
レイは少しぎこちない手つきながらも、鮮やかな赤い髪にそっと手を置き、優しく撫でる。
「……」
翌日の朝。
邸宅の門の外。
「カリスタ」
唐突な声が朝の静けさを破った。
黒髪の少女は手の動きを止め、振り返る。
戸惑いがちに、そこに立つ黒髪の少年を見つめた。
少年はまっすぐ前に出て、カリスタに深く頭を下げる。
「仲間に入れてください」
「——え?」
カリスタは目の前の少年を見て
「レイくん……」
「まず、顔を上げてください」
しばらくして、少年はゆっくりと身を起こす。
朝の陽射しが木々の梢を越え、少しあどけなさの残るその顔に降り注いだ。
「……」
カリスタは黙って長く見つめてから問う。
「私たちがどこへ行くか、知っていますか?」
「知らないです」
カリスタはそっとため息をつく。
「……では、なぜ仲間に入りたいのですか?」
「……」
風が吹き、額の前髪が目元をなびかせる。
なぜだろう。
頭の中に唐突に、涙で濡れた紫色の瞳と、泣きじゃくる声がよぎる。
「たぶん……」
レイはゆっくりと口を開き、柔らかい声で告げる。
「だけど、仲間に入れてください」
カリスタをまっすぐ見つめ、視線を一切逸らさない。
「私は……この世界で、誰かに必要とされる人になれたのかもしれない」
過去の自分は、何の取り柄もない、どこにでもいる普通の人間だった。
特別な才能もなければ、大きな志もない。
毎日をぼんやりと過ごし、困りごとが起きれば真っ先に逃げ出す、現実から目をそらす臆病者だった。
だけど、今は違う。
少なくとも今、私は誰かに必要とされている。
だから。
「力になりたいです」
声は大きくはないが、揺るぎない重みを宿していた。
「強い力など持っていないし、足手まといになるだけかもしれません。
それでも……」
「受け入れてください」
少年は再び腰を曲げて頭を下げた。
「……」
庭は再び静けさに包まれた。
カリスタはずっとお辞儀を続けるレイを見つめる。
「……」
そばのウルリックがゆっくりとレイに目を向け、胸元に腕を組んで少し不満そうに鼻を鳴らす。
「さっきまでのお前の行いは、確かに納得いかないけど」
「フィオナ様の件も、唐突な振る舞いも……」
言葉を少し止め、青年は揺るぎない少年の瞳を見つめる。
「だけど、今の言葉には嘘がないって分かる」
そう言って、黒髪の青年はぎこちなく口角を上げ、少し笑みを浮かべる。
「遅れるなよ」
大きな手を伸ばし、レイの前に差し出した。
「……」
差し出された手を見て、レイは笑顔でその大きな手を握り返す。
「ありがとう。これからも、よろしくお願いします」
「天宮レイです」
朝の陽光の下、二つの手が固く握り合わさった。
「ふん……」
ウルリックは視線をそらすが、握った手は離さない。
「ウルリックだ」




