第12話 もう君に一人で背負わせない
朝だ。
冷たい空気がまだ辺りに漂ったまま。
公爵邸の彫刻鉄門前は、妙にざわついていた。
階段下に、見知らぬ連中が居座っている。
先頭の男が少し腰を折り、
「アストレア公爵、どうか一聴していただきたい」
「いい加減にしろ」
ペドロが冷たく言葉を遮る。
偽善ぶった連中を目でなぞり、眉を煩わしげにひそめた。
「何の権利があって、俺の公爵邸で人を奪おうとする?」
声は大きくない。
だが骨まで刺す冷たさが滲んで、居合わせた全員が思わず身震いした。
ペドロが一歩前に出る。
「今、俺は帝国アストレア公爵として、」
「命じる。さっさと立ち去れ」
「だが公爵殿……」
相手は理屈を並べて圧をかけようとしたが、
ペドロは無駄な言い分を聞く気などさらさらない。
一歩下がり、背を向ける。
ゴンッ——
重い黒鉄の門が勢いよく閉まる。
白い息を吐き、ペドロは館の奥へ歩を進めた。
「ロ……」
階段の上。
赤髪の少女、ノラが立っていた。
うつむき、指を不安そうに揉み合わせ、指先は不自然に青白くなっている。
いつも強い輝きを宿していた紫の瞳には、後悔の雫がたまっていた。
足音を落とし階段を上り、彼女の目の前へ。
「大丈夫だ、ノラ」
中庭。
太陽光があふれんばかりに降り注ぐ、刺すような明るさなのに、空気に漂う重苦しさは消えない。
「ロ、私……」
ベンチに座っていたノラが細い声を上げる。
弱い響きの裏に、譲れない決意が隠れていた。
ぬくもった指が唇を塞ぐ。
ペドロが人差し指でそっと彼女の唇を押さえた。
「何も心配しなくていい」
腰を曲げ、彼女の目線に合わせ、安心させるよう口角を上げる。
この紫の瞳を見ていれば、どんな面倒事もちっぽけに思える。
「公爵殿」
折悪しく、唐突な声が穏やかなひとときをぶち壊す。
渡り廊下の陰から召使いが姿を見せ、息を切らし慌てた面持ちだ。
ペドロは何事もなかったかのように手を引き、身を起こす。
「どうした?」
「ヴァレリウス家から、一気に圧力がかかり始めました」
召使いは声を潜め、隠しきれない怯えを滲ませた。
ペドロは黙り込む。
先ほど緩んでいた眉が瞬く間に固く寄る。
ヴァレリウス……。
「ロ」
ノラが立ち上がる。
陽光の下、赤い髪が燃え盛る炎のように煌めく。
「なら、再び決闘しましょう。」
真っ直ぐ彼を見つめ、決意を込める。
決闘で白黒つけ、自分が代わりに代償を払えば、公爵邸に迷惑はかからない。
またそんな考えか。
いつも一人で全部背負おうとする。
「必要ない」
迷いなく即答する。
「俺が何とかする」
青い瞳に揺るぎない自信が宿り、少女を見据えた。
「約束したろ、お前は俺が守る。
ただ、そばにいてくれればそれでいい」
だけど最後に、彼女は姿を消した。
自分なりの優しさを抱えたまま、何も告げずに去ってしまった。
王都の謁見の間。
ドームの瑠璃から冷たく煌めく光が床へ降り注ぎ、
少女の赤い髪を照らし出す。
ノラは片膝をつき、
「ノラ・ウスゲア、殿下にご挨拶申し上げます」
落ち着いた声だ。
壇上の男は上から彼女を眺め、満足げに頷く。
「うむ。お前がいれば、今回の戦も安心だ」
「違う、彼女にそんな資格はない」
唐突な声が空気を裂く。
場の貴族たちが一斉に振り返る。
いつの間にか、部屋の真ん中に人影が立っていた。
全身黒いマントに包まれ、顔はうまく隠れて見えない。
「衛兵っ——!!」
なぜ見知らぬ不審者を謁見室まで通した!?
騎士たちが次々剣を抜くが、黒衣の男は一切気にも留めず、
フードの奥から鋭い視線をノラへ突き刺す。
「決闘を申し込む」
狂っているのか。
部屋中が一瞬静まり返る。
無数の勝利を収めた剣士ノラに、いきなり決闘を挑むなど。
ノラがゆっくり立ち上がる。
剣は抜かず、ただ横を向き紫の瞳で黒衣の男を眺め、
「受けて立つ」
言葉が落ちるや否や、
カキーン——
甲高い剣戟の音が響き、火花が宙に弾ける。
居合わせた大半は二人の動きを捉えられず、
黒と赤の残像が中央でぶつかり絡み合う様だけが目に入る。
刃同士の擦れる音が耳に刺さる。
「まさか……?」
「あの男の剣術、もしや……」
最初は軽んじていた貴族や騎士の目が、次第に驚きで染まる。
「聖階クラスだと!?」
どういうことだ。
突如現れた謎の男が、ノラと互角?
いや、よく見れば違う。
黒衣の剣は絶え間なく迫り、完全に優位を握っている。
カラン。
澄んだ音が天井まで響き渡り、
ノラの制式剣が手から弾き飛び、大理石の床に重たく転がる。
冷たい剣先が、少女の白い喉元で寸止まる。
「負けだ、ノラ」
黒衣の声には勝利の歓びなどなく、ただ切ない諦めが滲む。
ノラは逃げも怯えもせず、むしろ穏やかに笑みを浮かべた。
顔を上げ、目の前の男を見上げる。
「わかってる。ロ」
周囲から一斉に息を呑む音が上がる。
少女は迷いなく手を伸ばし、フードを一気に引き落とす。
黒い布が滑り落ち、茶髪に青い瞳の青年が現れる。
剣を握ったまま複雑な眼差しで、荒い息を整えながら彼女を見つめる。
次の瞬間、
ガラッ。
剣を床に投げ捨て、一歩踏み出す。
「ノラ、待たせた」
王族だの殿下だの、今は何も関係ない。
「俺と来い」
青年は彼女を脇から抱き上げ、
全員が呆気に取られて見守る中、窓から外へ飛び出した。
クスティ……
空は晴れ渡り、風がそよぐ。
一面の花畑が波打ち、
タンポポの綿毛が舞い落ち、まるで溶けない白い雪が降っているかのよう。
緑と白の景色の中、少女の赤い髪が鮮やかに浮かぶ。
「ノラ」
花の真ん中に立つ青年が、まっすぐ彼女を見つめる。
青い瞳に彼女の姿が映り込む。
「欲張りだって、自覚はある」
自嘲気味に口角を緩め、
「だから……ずっと、ずっとお前をそばに置きたい」
風に乗って細い言葉が彼女の耳元へ届く。
ノラは黙ったまま紫の瞳で彼を見つめ、瞳の奥にも青年の姿を宿す。
一歩踏み出し距離を詰め、つま先を立て目を閉じ唇を重ねる。
余計な言葉は要らない。
風が少し強まり、舞うタンポポが二人を包み込み、二人だけの空間を作り上げる。
唇を離し、少女は目を開けて目の前の顔を眺め、柔らかく笑う。
「この瞬間のあなたを、ずっと抱きしめていられたら」




