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残響の記憶  作者: 寝そべり魔丸
第一章「王都編」
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第11話 紅髪と約束

「ペドロ!ちょっと待って——」

背後から澄んだ呼び声が響く。

振り返る。

鮮やかな赤が、目に飛び込んできた。

赤髪の少女が、息を切らしながらこちらへ駆け寄ってくる。


「もう……」

やっと追いついた彼女は、腰に手を当て、少し前かがみになって頬を膨らませる。

「また一人でこっそり帰ろうとしてたの?」


「……こっそりじゃない」

目を逸らし、小さくつぶやく。


クスティの小さな坂道。

夕日が斜めに降り注ぎ、二人の影を長く引き伸ばす。

並んで歩き、誰も先に言葉を発さない。

そして、何の違和感もなく、乾きかけた芝生に肩を並べて座り込む。

そよ風が吹き抜け、土のにおいと、彼女の淡い香りが漂ってくる。


「ねえ、ペドロ」

ノラは膝を抱え、顎を膝に乗せて横からこちらを見つめる。

「あなたの家……今日も何かあったの?」


「……別に」

胸の奥がふっと重く沈む。

言葉がうまく繋がらず、どうしようもない無力感に襲われる。


「また、そんな顔するんだから」

少し呆れながら顔をそむける彼女。

「わかった」

妥協するようにため息をつき、地面を手でついて立ち上がる。

数歩前へ進み、遠くの町並みを眺める。

袖の中の指が、かすかに震えていた。


「そうだ」

「数日後の一族代表選抜……どうするつもり?」


「え?」


「全力を出せば大丈夫だよ。だって——」

彼女は立ち上がり、スカートについた芝くずをはらう。

「ペドロの実力なら、絶対一位になれるもの」


目の前の少女を見つめる。

夕暮れの光を受け、その赤い髪がほんのり輝いて見える。

心の中の決意が、だんだん固まっていく。


「ああ……頑張るよ、ノラ」

拳をぎゅっと握り締める。

(君のために。)

(絶対、負けちゃいけない。)


二週間の日々は、寝る間も惜しんだ剣の稽古の中で、あっという間に過ぎ去った。


決闘場。

息が詰まるような喧騒と熱気が空気に充満し、観覧席には正装した貴族たちが席を埋め、無数の視線が降り注いでくる。


「さすがアストレア家の嫡男だな」

「噂通りの端正な顔立ちだ……」

「実力も期待できそうだ」

四方から細やかな囁きが漂い、耳元でぶんぶんと響く。


決勝戦。

砂埃が舞うフィールドに立ち、剣を握る手のひらは汗でぬるついている。

向こう側に、見覚えのある姿。

目に刺さる鮮やかな赤。


……ノラ?

彼女を見た瞬間、心臓がぎゅっと痙攣する。

言葉にできない違和感が、全身を這い上がってくる。

おかしい……


カン——!カン——!

金属同士の鋭い衝突音が思考をぶち破る。

考える暇もなく、体は反射的に受け流す。

重い。


「ま、待て……」

衝突のたび、手首の虎口がうずいて疼く。

観客の雰囲気が一変する。

褒め言葉は消え、戸惑いや、やじ、嘲笑の声が広がる。


「どういうこと?ペドロが女の子に押されてる?」

「まさか劣勢になるなんて」

「アストレアの天才はこの程度か?」


ちくしょう。

隙間なく迫る剣閃に視界を塞がれ、どこにも崩すポイントが見つからない。


パキッ——

唐突な音が響き渡り、世界が一瞬静止したかのよう。

剣身が真っ二つに折れ、冷たい弧を描いて砂地へ落ちる。

切っ先が、喉元すぐ手前で止まる。


「……負けた」

掠れた声が喉から絞り出される。

会場は一斉にどよめき、屋根を吹き飛ばさんばかりの歓声が轟く。


「さっきの剣術、冗談だろ?」

「あの娘の腕前、間違いなく師範クラスだ」

「信じられない……」

「勝者——ノラ!」


試合後。

控え室へ続く廊下、革靴のカタカタという足音が近づく。

大柄な中年の男が行く手を塞ぎ、無表情に少年を睨む。


パッ——

白い頬に、鮮やかな手の跡が残る。


「ペドロ」

「期待を裏切ってくれたな」


「……申し訳ありません、父上」

うつむき、自分のつま先を見つめ続ける。

頭上で衣擦れの音。

再び上がった父の手が宙で止まり、最後に無力なため息と共に下ろされる。


「……帰れ」

冷たく言い捨て、横を通り過ぎていく。

一人きりの影だけが、廊下の青白い照明に長く引き伸ばされる。


クスティの坂道。

地面にへたり込み、両手で頭を抱え込む。


ふう——

西から冷たい風が吹き、髪を乱していく。

草がそそぐ細やかな音、軽い足音。

赤い影がゆっくり目の前まで来て、最後の夕日を遮る。


「……何しに来たの」

しゃがれた、自嘲の混じる声。


ノラは黙ったまま、澄んだ瞳で俯いた彼を見つめ続ける。


「またこれだよ……」

拳を握りしめ、爪が肉に食い込んで血が滲みそうになる。

「私の気持ち、わかってるの?」

勢いよく顔を上げ、彼女の目を捉える。

「勝った私を見て可哀想だと思って、優越感に浸ってるの?答えろ!」

迫り詰めるような怒鳴り声。


だけど彼女は、小さくはっきりと囁く。

「わかってるよ」

一歩踏み出し、二人の距離が一気に詰まる。

土のにおいが消え、彼女特有の甘やかな香りが包み込む。


ちゅるっ。

熱く柔らかな、微かに震える感触が、乾いた唇に唐突に重なる。

頭の中が真っ白になり、すべての憤りが霧が風に消えるように跡形もなく消え去る。


ノラが少し後ろに下がり、頬を紅らめながらも、紫の瞳は揺るぎなく真剣だ。


「つらいのは知ってる」

真っ直ぐこちらを見据える。

「だけど、この程度の挫折で立ち止まるなら」

少し顎を上げる。

「私、あなたのこと軽蔑しちゃうよ?」


呆然と立ち尽くす。

頬の殴られた箇所はまだ疼くのに、唇に残る温もりの方が強く心を掴む。

心臓が胸の内で激しく鼓動を打ち鳴らす。


「……」

しばしの沈黙の後、息を深く吸い込む。

「ノラ」

「もう、がっかりさせない」

「だから、私が君を守る」

考える前に言葉がこぼれ、体が先に動く。

手を伸ばし、目の前の赤髪少女を強く腕に抱き寄せる。


「ありがとう」

耳元でつぶやく。

「ノラ……」

抱かれた体は一瞬硬直した後、力を抜いて身を委ねる。


それから、寝食を忘れ剣の練習に明け暮れた。

振り、斬り、同じ動作を繰り返し続ける。

彼女に追いつきたい、夕暮れで誓った守る約束を叶えたい。


だけど。

二年の月日が、刀身の擦れ合う音の中で過ぎ去った。


「ノラ!アストレアの当主になったんだ!」

抑えきれない喜びで、よろよろと駆け寄る。

「父上も私を認めてくれるようになった!」

興奮して手足の置き場に困り、昔のような笑顔を見たくて目を輝かせる。


風に揺れる赤髪。

彼女はすぐに返事せず、底知れぬ切ない悲しみを宿した瞳でじっと私を見る。

一歩ずつ近づき、そっと私の肩に頭を預ける。


「ロ……」

羽根のように柔らかい声、微かな震えが混ざる。

「私のもとを、離れちゃうの?」


心臓が一拍抜け、戸惑って顔を傾けようとするが、彼女はぴったり寄り添い顔を確かめられず、慣れ親しんだ香りだけが漂う。

だけど決意を固め、両手で彼女の肩を抱く。


「約束しただろ」

「君は、私が守る。今も、これからもずっと」


言葉を聞いたノラはゆっくり身を起こし、一歩下がって私を見つめる。

唇を開き何か言おうとしたが、結局静かに閉じる。


一瞬の沈黙、空気が固まったかのよう。


「じゃあ、決闘しよう」

唐突に切り出し、地面から二本の稽古用木剣を拾って一本を差し出す。


「え?」


生気のない真剣な瞳を見て、疑問を飲み込み木剣を受け取る。

「受けて立つ」

構えを取る。


カンッ!

一撃だけ。

動きを捉える間もなく、手首に激しいしびれが走り、木剣は空回りして遠くの草むらへ落ちる。


頭が真っ白に。

どうして……二年間必死に稽古したのに。


ノラは黙ったまま、手から木剣を落として鈍い音を立てる。

背を向け、一度も振り返らず遠くへ歩いていく。


「ノラ……」

手を伸ばすが、掴むのは虚しい風だけ。

「行かないで——!」

しゃがれた叫びも空しく、少女の背中はだんだん小さく霞み、道の先へ消えた。


ノラが去って一ヶ月後、彼女が最前線の戦場へ赴いたと知る。

あの頃は毎日が怖かった。

悪夢で汗まみれに目を覚まし、前線の戦報を見るのが恐ろしく、彼女を失う恐怖に苛まれ続けた。


半年後、アストレア公爵邸の中庭。

夕日が庭を血のような朱色に染める中、疲れにまみれた馴染みの赤い姿がゆっくり現れる。


「ロ……」

疲労で掠れた声、今にも崩れ落ちそうなノラが佇んでいる。


「ノラ!戻ってきたんだ!」

我を忘れて駆け寄り、肩を掴む。

「よかった……これからまた昔みたいに一緒にいられる」

嬉しさで支離滅裂に話し続ける。


「ロ?」

ノラは生気のない人形のようにぽかんと私を見つめる。

「家督を継いで、これから……」

未来の話を弾ませる私を、彼女が柔らかい声で遮る。


「ペドロ」

重く息苦しい響きを帯びた声。

血走り、虚ろな瞳から雫がぽつりとこぼれ、枯れた落ち葉の地面に落ちる。

長年押し込めた苦しみが、堰を切って溢れ出す。


言葉を止め、勢いよく彼女を胸に抱き締め、タコのできた手で乱れ乾いた赤髪を何度も優しく撫でる。


「大丈夫だよ」

耳元で囁く。

「もう平気、ノラ。すべて過ぎ去る」


抱かれた少女はついに私の襟元を掴み、迷子が家を見つけた子供のように号泣する。


その後二週間、ノラは公爵邸で過ごした。

今思えば当時の私は愚かだった。

傍にいて安らぐ場所を与えれば傷が癒えると思い込み、彼女の心の奥の傷だらけを見落としていた。


夜、冷たい月光がテラスに降り注ぎ、少女がぐったりと私の胸に寄りかかる。


「不思議だね」

空に浮かぶ二つの冷たい月を眺め、浮ついた口調で呟く。

「たった半年なのに……いろんなことが起きちゃった」

「父が亡くなって、弟も戦死して……」

冷え切った声が夜の空気に溶ける。

「あの時は一滴も涙を流さなかったのに」


ぽたっ。

熱い雫が私の手の甲に落ちる。

「どうして、今になってこんなに悲しいの」

抑えきれない泣き声が漏れ、肩が激しく震える。


「ノラ……」

泣き崩れた彼女を見下ろし、柔らかく笑みを浮かべて指で涙の止まらない目元を拭う。

「昔は滅多に泣かない子だったのに」

「でも大丈夫、私がいるから」

さらに強く抱きしめ、自分の体温で彼女の冷たさを和らげる。

「もう二度と傷つけない」


彼女の震えが次第に収まり、顔を深く私の胸に埋める。


「……ありがとう」

「ロ」

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