第三話「Don't say "lazy"」(後編)
教会の堅牢な構造が防音性も持って居る事を、私は長年知らなかった
しかし、それは知らなかった月日を取り戻せる程に、とても有用だった
事実として、隣の部屋の扉の下からは、今なお廊下に溢れる程の血液が滲んで居たが、一切の音が無い
窓の無い廊下は日中でも昏く
やがて廊下に永く永く広がる敷物は、その総てが部屋から溢れた鮮血に染まり、紅くなっていった
「なんという事は無かったな」という言葉が、自然と口を付いた
罪を犯すことも、
無辜のものたちを踏み躙ることも、
また、罪を隠すことそれ自体も
振り返り視れば、取るに足らなかった
これまでの善行で、私は関わったものたち総てから『善人』として認識されて居た
これは、その事のちょっとした応用に過ぎない
私が唆すと、『無辜のものたち』は疑いもせずに一人、また一人と教会に足を運んだ
そのため彼らを『売る』に際し、ほとんど手間は掛からなかった
こうした悪徳が発覚しない大きな理由が、もう一つ有る
私は彼らを『買った』ものたちに、多大な金銭を要求しなかった
実のところ、私の暮らしはとても豊かなものにはなったが、『裕福』と呼べる程にはならなかった
想像も出来ないような少額で生命を売却する事により、私は買い手たちから『感謝』や『敬服』を獲得した
『感謝と敬服を覚えた人間は、裏切らない』
『ばかりか、守ろうとさえしてくれる』
これは、かつて自分が神父だった事により、思い付き得た考え方だった
当然、そのような暮らしをして居ると「野心は無いのか」という事を聞いてくる者も居る
その都度、私は諭すように「お金は」「必要なだけ在れば良いのだよ」と答える
「それよりも」「好きな事を仕事にしなさい」と続ける
「きっとそれは、人生を豊かにするのだから」
或る時
聴罪室の若者以来、久しぶりに不意の来客が有った
明るい色の長い髪を頭の後ろで束ねた、美しい青年
視た瞬間、表情一つ変えこそしなかったが『これは高く売れるな』と私は確信した
聞けば、『小説のモチーフを探して居る』のだと云う
■■という名前の若者で、教会を訪れたのは気まぐれによる偶然であるらしかった
各部屋を案内して居るが、猫の様に好奇心が旺盛で、次々と私を置いて先に歩いてしまう
心配する私の意に反して、彼はものの数分もしない内に、あの血染めの廊下まで辿り着いてしまった
「……………」
こちらからは、■■の背中しか視る事が出来ない
廊下の照明は消えて居たが、それが総てを隠してくれたかと言えば疑問ではあった
「殺すか?」とも思ったが、出来そうに無かった
自慢では無いが、私にはまだ殺人の経験が無い
不慣れな事をして失敗する位であれば、私は平静を装ってこの場が過ぎる可能性に賭けた
■■青年は、まだ何も言わない
かと言って、視線は廊下に向いたままだ
これまでの私の生涯よりも、更に永いと思える程の時間のあと
彼はようやく踵を返し、軽く礼を述べたあと教会を後にした
私は嗤った
『正義は私を視捨てたが』
『悪は、悪の神は私を視捨てなかった!!』
私はふと、「十字架は売ると幾らになるのだろう」と思った
そして、「きっと二束三文にもなるまい」と感じた




