第56話 平和の代償
ローデシア王国の王府パリス。荘厳な宮殿の鏡の間。
アリシアとのクレハ高原の決闘から2か月、僕はルーシー帝国の特命全権大使として平和条約に署名するという栄誉に浴していた。
勲章が付いた礼服を着た僕が万年筆でさらさらと署名した後、次にアリシアが署名し、最後に王国の宰相が署名する。
平和条約では、サザランド公国で見つかった魔鉱石の鉱山について、公国、王国、そして帝国で共同管理し、平和利用することがうたわれている。これで帝国と公国の戦争は避けられた。
「約束通り、遺志を果たすことができたよ…。褒めてくれるかな?」
心の中で小さく語り掛けると、僕の心に住むソーニャはいつものように優しく微笑んでくれた。
◇
鏡の間での調印式を終えた後、僕はティールームへ案内された。王妃様が、僕たちをお茶会に招待してくれたのだ。
「しかし、あんなおチビちゃんだったのにこんな立派になっちゃって。」
ティールームまで案内してくれたのはジャンヌである。今や王子の婚約者という立場だけど、侍女としての仕事は続けているらしい。
「だいぶ背が伸びたでしょう?いつまでもチビッ子じゃないですからね。」
「違うわよ。身長もそうだけど、信じられないくらいの出世ぶりのことを言ったの。今や帝国の侯爵様なんでしょ?しかも今度は…」
「出世って言うならジャンヌも同じじゃないですか。次期王妃様ですもんね。アンリ殿下の即位式と結婚式は来年でしたか?その時はぜひお祝いさせてください。」
「お祝いだったら、あなたたちの方が先だと思うけど…。」
その時、扉が開いて話が中断された。案内されて入って来たのはアリシアである。
先ほどの鏡の間では礼服だったが、今は淡い赤色のドレスに着替えている。
あのアリシアでも、こんな貴婦人みたいな格好をすると、その可憐さに思わず目を奪われてしまうから不思議だ。
馬子にも衣装?羆にもドレス?
「アリシア様、ご無沙汰をしております。お怪我のお加減はいかがでしょうか?」
僕が話しかけると、アリシアは何も言わず真っ赤な顔になってプイっと横を向いてしまった。
まだ怒っているんだろうか?化粧でうまく隠しているけど、アリシアの額には僕に付けられた傷痕が残っているはずだ。いや、それよりも僕に剣闘で負けたことにプライドが許さないのかもしれない。
奥の扉が開かれ、侍従による王妃様の到着を知らせる声が響いた。
しずしずと入って来たのは、黒髪の女性。ローデシア王国の王妃にして摂政であるカオリ様だ。
「王妃様、この度は……。」
立ち上がり、儀礼通りの挨拶をしようとした僕を王妃様は手で制した。
「いいのよ。まだお怪我が痛むでしょう。楽にしてちょうだい。」
その言葉には甘えず、僕は胸に手を当て、恭しく頭を下げる。
「王妃様、平和条約の仲介をしていただいたこと、帝国を代表して篤く御礼を申し上げます。王妃様には仲介をしていただけでなく、王国の魔道具ギルドや出資者たちを説得いただき、何とお礼を申し上げたらよいか……。」
「ホホッ…いいんですよ。カガミ殿とは、前にこの部屋で約束しましたものね。昔の誼で困ったことがあれば、いつでも頼るようにって…。その約束を守っただけよ。」
王妃様は何でもないことのようにニコニコ笑っている。僕は深い感謝の気持ちを示すため、さらに深く頭を下げる。
「まあまあ、やめてちょうだいな。それよりも今日はお祝いの言葉を伝えたくてお二人をお招きしたのよ。この度はおめでとうございます。姪であるアリシアの縁談のことはずっと心配していたのよ。それがこんな急に決まるなんてね…。」
「……ありがとうございます……。」
言葉とは裏腹にアリシアは口を尖らせ、憮然とした表情をしている。
今回の平和条約には鉱山の共同管理だけではなく、アリシアが関係する条項が入っている。
元々、帝国と公国が締結していた以前の平和条約には、帝国から公国へ宰相を派遣するという条項が入っていた。
しかし、過去派遣した宰相は、アリシアによって失脚させられたり、帝国へ追い返されたり、事故に見せかけて殺されたりした……と帝国では信じられている。
そこで、今度は宰相ではなく、帝国の皇族又は上級貴族から人物を選び、公国に送り、アリシアと婚姻させることを平和条約に盛り込んだのだ。
さすがのアリシアも夫となる相手を無下には扱うまい。情が移れば丸くなるはず。子ができれば世代を超えた帝国と公国の架け橋にもなるであろうという皇帝陛下の深いお考えである。
しかし、あのアリシア様も結婚なさるのか。ちょっと感慨深いような、さみしいような……。
「アリシア様もとうとう年貢の納め時ですね。」
思わずぽつりと漏らした一言に、アリシアがギロリと僕を睨みつけて来たので、慌てて目を逸らす。
そんな顔をしないでください。僕だって苦労したんですよ。
皇帝陛下の指示でアリシアの結婚相手を探したのは他ならぬ僕である。ただ、これがなかなか難航した。
候補となる20代から30代の皇族・上級貴族である独身男子は、当初30人以上はいた。しかし、このうちの誰かをアリシアに婿入りさせるという噂が漏れると、一気に候補者が減った。
なぜか皇族・上級貴族の間で結婚ラッシュが起こったのだ。
無理もない。帝国ではアリシアは狂犬の二つ名で呼ばれている。婿入りなんかしたら、噛みつかれて食い殺されてしまうと思ったのだろう。
結婚ラッシュの波に乗れず、残った候補たちはオタクとか陰キャとかそんな奴ばかりだった。
そんな奴に僕のアリシアを任せられない。
そう思って地方貴族まで範囲を広げて必死で探すと、ようやく良さそうな候補が見つかった。
彼の名前はアレクサンドル辺境伯。軍人出身のマッチョ。
趣味は剣術だし、きっとアリシアとも気が合うだろう。
しかし、予想外……でもないが、アレクサンドル辺境伯には強く固辞された。
「どうしたものかのう……。」
困り切った皇帝に相談されたのは、いつもの私室でのチェスの対局中だった。
「どうもこうもありませぬ。黙って公国へ婿入りしろと毅然と命じなさいませ。」
「しかし……。朕の発案とはいえ、あの狂犬と結婚させるなど、不憫でならない……。」
皇帝は顔を手で覆い、髪を掻き毟った。
「陛下はお優しい。しかし、貴族は陛下の臣下であり、帝国にその身を尽くす義務があります。帝国の平和のために、陛下の命令に喜んで身を捧げない貴族がどこにいましょう?」
「しかしのう…。あのアリシアじゃ。下手をしたら命が危ないかもしれぬ…。」
皇帝陛下の臣下を思う姿に深く感じ入った。この人を悩ませてはいけない。僕は一つの決意をした。
「僕も帝国と皇帝陛下のために身を捧げます。僕も公国に随行することをお許しください。僕が公国へ行けば、決してアリシアに無法なことを許しません。」
これは前から考えていたことだ。
クレハ高原の戦いに勝利し、帝国に平和をもたらした僕は、今や救国の英雄。
このまま帝国に残れば宮廷での出世は思いのまま。宮廷生活に飽きたら褒美に貰った侯爵領に引きこもってスローライフを楽しむことだってできる。
だけど、ソーニャはそんな僕を望まないはずだ。彼女なら、生きているならもっと帝国の平和に尽くせ、身を捧げ尽くせと言うはず。
だから、僕は婿入りするアレクサンドルに従って公国に赴き、彼を支えよう。帝国と公国の常世の平和のために。
「カガミ、そう言ってくれるか……ありがとう……。すまんな。一度ならず、二度までも帝国のために犠牲になってくれて…。」
皇帝陛下は涙を流しながら喜んでくれた。
こんな立派な上司なのだ。彼のために何があっても頑張ろう。そう思えた。
◇
「いや、しかしどんな人がアリシア様の相手なんでしょうね…。まあ僕は知ってますけどね。ここだけの話ですけど、軍人出身の筋肉ダルマみたいな人ですよ。」
アレクサンドル辺境伯のボディビルダーのようなムキムキの体を思い浮かべながら、アリシアにいたずらっぽく笑いかけた。彼だったらきっとアリシアも気に入るだろうな……。
しかし、意外にもアリシアは目を剥いて僕を睨みつけてきた。
「なんだとっ!!貴様わらわをからかっておるのか?」
「えっ……?」
意外な反応に戸惑って目を逸らすと、王妃様もジャンヌは僕を戸惑ったような表情で僕を見つめていることに気づいた。
「あの……、もしかしてカガミ様はまだ聞かされていないのではないですか?」
ジャンヌが控えめに口を挟んで来た。
えっ??どういうこと???
「カガミ殿……私達は平和条約を締結するにあたり、皇帝陛下から親書をいただいて既にアリシアの婚姻相手も伝えられています。アリシアも知っているはずです。」
王妃様の問いかけに、アリシアは憮然としたままうなずく。
「そうでしたか~。失礼しました。そうなんです。アレクサンドル辺境伯という方なんですよ。彼は、爵位こそ低いですけど、軍人出身で剣技の達人で、気が良いけれど力持ちを絵に描いたような人で、きっとアリシア様と馬が合うと……」
そこまで話したところで異常な空気に気づいた。王妃様とジャンヌが何か言いたそうな、それでいて言いにくそうな微妙な表情をしている。
アリシアに至ってはゆでだこのように真っ赤になりながら歯を食いしばっている。思わず僕も口をつぐむ。
しばらくの沈黙の後、やがて王妃様が決意したように口を開いた。
「本当はカガミ殿には皇帝陛下から直接聞かされるべきことだと思うのですが…。皇帝陛下からの親書には、こう書いてありました。『平和条約の履行のため、公王太子アリシア殿下のお相手として、我が国はソニャロフ・スワロフスキー侯爵を選定し、正式に裁可いたしました』と。ソニャロフ・スワロフスキー侯爵とは、カガミ殿のことですよね?」
えっ?えっ??ええっ???ちょっと何言ってるのかわかんない。
それってつまり、僕がアリシアと結婚する?えっ?まさか……。
皇帝陛下には、確かに僕が婿入りに随行しても構わないと伝えた。だけど、僕自身が婿入りするなんて聞いてないぞ!!
「サザランド公国もその提案を受け入れ、既に帝国に正式にお返事をされたとも聞いております。だから、今日はお二人をお祝いしようと思って、このお茶会に招いたのですが…。」
王妃様の言葉にさらに驚き、アリシアの方を見ると、視線に気づいた彼女は、急に早口でまくし立て始めた。
「ま、まあ……もし貴様が婿入りして来れば、貴様を取り戻すという目的は果たせるわけだし、それならあの勝負も引き分けになると思ったわけじゃ。それに、そうじゃっ!!婿入りすれば給料も領地も無しに貴様をタダ働きさせることができるぞ!王族としてどうせ誰かと結婚せねばならぬなら、タダで使える労働力が手に入るに越したことはないと思ったわけじゃ。貴様が言う通り、わらわはドケチだからのう…。それだけじゃっ!!それ以上の意味はない。決してないのじゃ!!勘違いするなよ!!」
アリシアの必死の弁解はほとんど耳に入って来なかった。
僕は、突然目の前で起った話が、到底自分のこととは思えなかった。
次回、いよいよ最終回です。




