第52話 チェス勝負(2)
アリシアは、第1局では終始黙っていたが、第2局では急に饒舌になった。
「貴様とチェスを指すのは初めてじゃな。剣の稽古はさんざんつけてやったがのう。」
「稽古をつけるというか打ち込みの相手にされて、さんざん叩きのめされただけですけどね。」
「わらわは鍛えてやったつもりじゃがな。貴様がいつまでたっても強くならないのが悪いのじゃ。」
「そんなこと言ってないで早く指してください。僕はもう指しましたよ!!」
第2局の途中からアリシアの狙いが何となくわかってきた。
第1局では、アリシアは一手一手を時間いっぱいかけて指していた。最初はただ慎重に指しているのかと思ったけどそうじゃない。
きっと対局を引き延ばし、正午までに3局終えさせないで、剣闘勝負に持ち込む作戦なのだろう。
しかも、さっきから僕の手番の時だけやたら話しかけてくるのも、時間稼ぎの一環じゃないだろうか。
結局、1局目は勝敗が付くまで2時間近くかかった。正午まで3時間半くらい。
たしかにこのペースだったら正午までに僕が3勝することはできず、アリシアの目論見通り、剣闘勝負に持ち込まれてしまうだろう。
「おっと、この駒はここに動かせないんだったか……。」
盤上ではアリシア5分近くかけて一手を指した所だった。ただ、その手は反則手。アリシアは駒を元に戻して、また考え込み始めた。
「……そうやって時間稼ぎをしてるんですか?案外せこいんですね。」
「なにっ?」アリシアが鋭い視線を僕に向ける。
「だってそうでしょう。ポーンを3コマ進めるなんて、そんな基本的な駒の動きを知らないわけないじゃないですか。審判!遅延行為は反則負けにすべきじゃないですか?」
僕に話を振られたユーキは目を細めたまま眉を下げて困ったような表情をした。
「持ち時間をどう使うのかは対局者の自由やからな~。ルールの範囲内やったら遅延行為でも文句は言えんわ。でも、反則手指して手を戻した場合でも、合わせて5分以内に指さないとあかんで。」
「とんだ言いがかりだ!わらわがそんな卑怯なことするはずなどない!」
アリシアは憤慨している。ただ時間稼ぎをしていたのは間違いないだろう。この後、ピタリと反則手を指さなくなったからだ。
まあいい。僕が最短手数で勝利できる戦術を選択して、かつ間髪入れずに指せば時間を短縮できる。そうすれば、僕の計算ではアリシアが一手5分いっぱいかけても正午までに余裕をもってあと2勝できる。
実力が近い相手にそんな舐めた真似をすれば足元をすくわれる危険がある。だけど、アリシアはチェスの初心者、対する僕はグランドマスターだ。
まったく問題ない。
2局目の途中からギアを入れ替え、猛攻を仕掛けるとアリシアの陣形はあっという間に崩れた。
アリシアは投了せず、惨めに逃げ回っていたけど、ほどなくしてチェックメイトに追い込むことができた。
2局目終了時点で、僕の2勝0敗。あと1勝すれば剣闘勝負をしなくても僕の勝利が確定する。
しかも正午まであと2時間余りある。本気を出した僕が初心者相手に勝つには十分すぎる時間だ。
この時、僕の前には、生きて帰れる勝利への道がはっきりと見えていた。
アリシアは、第3局でも相変わらず、一手指すのに持ち時間の5分を目いっぱい使ってのろのろと指してきた。それに対して僕は間髪入れずに応手する。
第3局でも、僕は短手数での勝利を目論んで序盤から猛攻を仕掛けた。猛攻の代償に手駒が犠牲になるのは胸が痛んだけど、帝国の勝利のための必要な犠牲。
このペースなら、あと20手以内にチェックメイトできるだろう。もしアリシアが目いっぱい時間を使って指し続けてもせいぜい50分、僕の指し手の時間を合わせても1時間で終局できる。対して残り時間は1時間半あまり。
いくら時間稼ぎをしたって無駄なあがきだ。
その時、アリシアが静かにビショップを動かした。やったキングへの道が開けた!これでさらに手数が短縮できる!僕は手駒のクイーンを進めた。
しかし、アリシアはすぐにビショップを元の場所に戻す。そうすると僕もクイーンを戻さざるを得ない。
そうしないとクイーンが取られてしまう。しかしアリシアはまたビショップを動かしてキングへの道を開け、僕はクイーンを進め、アリシアはビショップを戻し……。
「あっ、あっぶな、危なかった!」
うっかりするところだった。
スリーフォールド・レピティション
同一の局面が3回現れると、引き分けになってしまう。アリシアがその場面に誘導するなんて高度なことをできるとは思えない。偶然だろうけど、油断していた。
引き分けを避けるためには、同一局面にならないよう僕が手を変えなければいけない。
だけど、ここで別の手を選ぶとクイーンを取られちゃうんだよな……。どうしようかな…。
アリシアの様子をチラリとみると、無表情で盤面を見つめていた。何も考えていないようにも見える。
まあいいか。アリシアが相手だ。クイーンを取られたってどうってことないか……。
そう思って、僕は手を変えて前とは別の駒を動かした。
すかさずクイーンにアリシアのルークが襲い掛かる。
あれっ?早くない?今回は時間を目いっぱい使わないの?
またアリシアの方をチラリと見ると、アリシアは口角を上げてニヤリと笑っていた。だけど目はまったく笑っていない。
「いつから勘違いしていた?わらわが初心者だと‥‥。勝手にわらわをあなどっていたな?」
「えっ……?」
「残念だったな!チェスは貴人の嗜み。わらわとてチェスの心得ぐらいあるわ!!」
僕はナイトでアリシアのルークを倒した。すかさずアリシアはビショップで僕のナイトを取り上げる。
「……もっとも、貴様はチェスのグランドマスター。正面からぶつかれば勝てないことはわかっていた。だけど貴様は、油断してどれだけの過ちを犯してきた?わらわの時間稼ぎに苛立ち、わらわをあなどって最短ルートで勝とうとして、しかも持ち時間をほとんど使わずに雑に指して……。そんな状態で勝てるのかな?」
たしかにクイーンを失った。猛攻を仕掛けたせいで、他の手駒もだいぶ少なくなっている。
でも、アリシアの手駒だって同じように減っている。たしかに多少は不利だろうけど、立て直せない形勢じゃない。
僕が返事の代わりにナイトを進めると、アリシアは、それを無視してルークを繰り出し反対側にある僕のビショップを狙って来た。お互いに駒を取り合い、また盤上の駒の数が少なくなる。
「アリシア様、そんな小競り合いばっかりして勝つ気があるんですか?キングにチェックを仕掛けないといつまでたっても勝てませんよ。」
「ククッ…。いくらなんでも貴様に勝てるなんて思っていない。だからチェックを掛ける気もない。」
「えっ?じゃあどうするつもりなんですか?」
「忘れたのか?わらわはチェスで勝つ必要はないのじゃ……。」
はっとして盤上を見つめる。チェスでは取った駒を使うことはできない。だから局面が進むごとに盤上の駒が少なくなる。
そして駒が一定数以下になって、チェックメイトがかけられない状況になったら、自動的に引き分けになってしまう……。
「これだけ手駒が減ったら、もうお互いにチェックメイトは難しかろう。ここでドローにしないか?」
微笑みを浮かべながら右手を差し出してきた。しかし、正午まであと30分……。
この対局をドローにして次の対局に入っても、正午までに勝つことは難しい。
僕はドローの提案を断り、アリシアのキングに猛然とチェックを掛け続けた。アリシアは時間をたっぷり使いながら、余裕を持ってキングを逃がす。
「チェック!!」
僕が何度目かのチェックをかけた時、アリシアが逃げる場所を間違えた。よしっ!これで次の手でチェックメイトに持ち込める!!
僕が駒に手を伸ばそうとした瞬間、僕は肩を叩かれた。
「……残念だけど、ちょうど正午や。この対局は引き分けやな……。」
ユーキの無情な一言で、チェス対決は僕の2勝1分けに終わった。
これはすなわち、勝敗の行方が次の剣闘に委ねられたことを意味する。
「クククッ、貴様と剣を交わらせるのはいつぶりじゃ?いや、真剣では初めてであったのう……。」
盤の向こう側で悪魔が笑っていた。




