第47話 プロローグ(第4章)
目を開けると、僕は四角いリングの上、青コーナーの前で座っていた。
リングを囲う4本のロープ、リングを照らす眩いライト。そして観客席からは「倒せ!」「殺せ!」と野蛮な怒声が飛んでくる。
ふと手元を見ると、僕の手には青色のボクシンググローブ。
僕は、今ボクシングリングに立たされている?
「よく粘った!あと1ラウンドだぞ!」
僕の背中を叩きながら叫んでいるのは、海坊主おじさん!?あの、帝国の平和祈念公園の賭けチェス仲間だった?懐かしいな……。
「ぼんやりするな!あと1ラウンド乗り切れば、次はチェス対局だ!そしたらお前なら絶対に勝てる!!」
海坊主おじさんが顎をしゃくった先を見ると、リングの脇にチェス対局場が設けられていた。
ああ、そうだった。僕はチェスボクシングで闘っているんだった。
チェスとボクシングを交互に繰り返して、どちらかでKOするかチェックメイトを奪えば勝利という、格闘技とボードゲームのミックスルール。
彼女のような武闘派と、僕のような文化系が平等に戦うための競技。
んっ?彼女のような武闘派?そういえば対戦相手は誰なんだ?
顔を上げるとリングの対角線上、赤コーナーには、凶悪そうな表情をして舌なめずりをする彼女がいた。
ゴングが待ちきれないのか、インターバルタイムなのに赤いグラブをバチバチぶつけ合いながら、せわしなくピョンピョン跳ねて、機敏なフットワークを見せつけて来る。
えっ?アリシア?何でここに?何で僕とボクシングで対戦してるの?
カ~ンッ!!
ゴングが鳴った!
「よしっ、行ってこい!」
海坊主おじさんに背中を押され、フラフラとリングの中央に押し出された。
「ファイト!!」
闘いをうながすレフェリー。
あれっ?ユーキ?なんでここでレフェリーを?
でも、二度見する余裕はなかった。
アリシアが猛ダッシュでこちらに向かってくる。その目は獲物をロックオンした狼のように鋭い。
「うわ~っ!」
僕はその勢いに押されて、一気に後ろに下がり、逃げ回る。
しかしリングは狭い。あっという間にロープ際に追い詰められてしまった。
ビュンッ!!
間一髪、飛んできたアリシアの右ストレートを躱した。だけど少しだけ耳にかすり、耳が吹っ飛んだのかと思うくらい痛い。
アリシアは、すぐに左ストレート、右フック、左フックと間髪入れず、連続して拳を繰り出す。
頭だけは守らなきゃ!!両手でガードを固める。
しかし、アリシアは構わずガードの上から殴り続ける。
たちまち両腕に痛みが走り、痺れてきた。
ボクシングは1ラウンド3分。このラウンドを耐え切ればチェス対局になる。
だから耐えろ!このガードだけは下げちゃだめだ!!
ガードの隙間からちらりと見ると、アリシアがニヤリと唇を歪めていた。
「どりゃっ!!」
内臓が押し上げられるような衝撃!ボディーブローをくらった!!
たまらずアリシアに抱きつく。クリンチでしのぐしかない。
しかしアリシアは構わず僕の腹をドスドス殴り続ける。一発一発が鉛のように重い……。
思わずホールドする腕が緩み、アリシアの体との間に隙間ができた。
まずい!!
そう思ってクリンチを締め直す前にドンと突き放された。
一、二歩下がった僕の視界に、アリシアが腰を落とし、力を溜め、右ストレートを繰り出そうとしている姿が見えた。
やられるっ!
反射的にガードを上げて顔を守った。
しかし、そんな僕の反応を楽しむかのようにアリシアが歯を見せる。
そこからはすべてがスローモーションのようにゆっくり見えた。
アリシアは、顔面への右ストレートをフェイントにして、がら空きの僕のみぞおちを左ストレートで打ち抜いたところまで。
僕は腰から崩れ落ち、リングに仰向けに倒れた。眩い天井のライトを遮るように、傲然と見下ろすアリシアの顔が見える……。
……それがすべて夢だったと気づくのに、しばらく時間がかかった。
僕の心臓はまだ激しく動悸している。寝間着も寝汗でぐっしょりだ。
「なんで今さら、アリシアの夢なんか見るんだ…。しかもチェスボクシング?」
アリシアに最後に会ったのは、もう1年以上も前になる。
あの忌まわしい魔鉱石の鉱脈を探すため、一緒に樹海の奥まで探検した時以来だ。
僕とソーニャは、魔道具ギルドのダントンの陰謀で暗い洞穴に生き埋めにされ、僕だけが助かった。
もちろんダントンも憎いが、アリシアにも複雑な思いがある。なぜ、彼女は、生き埋めになった僕たちを見捨てて立ち去ったんだろうか?
そんな目にあったから、できればアリシアのことは忘れたい。だけど、最近はずっとアリシアのことばかりを考えざるを得ない状況にある。
今や、アリシアは僕が仕える帝国の敵だからだ‥‥。
彼女が進めている魔道兵器の大量生産計画をどうやって食い止めるのか。帝国では、上は皇帝から下は庶民に至るまで、最大の懸念事項となっている。
時計を見ると、まだ朝6時前だった。だけどもう眠れそうにない。少し早いけど役所に出勤して御前会議の準備をしよう。
「それにしても、アリシアとチェスボクシングする夢を見るなんて……。アリシア率いる公国との戦争の予兆じゃなきゃいいんだけど……。」
僕は憂鬱になりながら、ベッドから身体を起こし、出勤のために身支度を始めた。
きっと今日も長い一日になるぞ……。




