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第40話 充実した日々

 僕が帝国での日々を思い出している間、ソーニャは両手で頬杖をつきながら僕をじっと見つめていた。


「……あの帝国チェス選手権決勝でカガミきゅんと対局できて、わたしの人生が大きく変わっちゃったんだよね。カガミきゅんと結婚することになって、公国に来ることになって……。カガミきゅんには一生かけて責任取ってもらわなきゃいけないな~。」


 そう言うと彼女は、いたずらっぽい笑顔を浮かべた。


「あれっ?そういえば、あの時、ソーニャに対局してもらうことと引き換えに、勝ったら結婚するって権利は放棄しなかったっけ?だったら別に結婚しなくても―」


 僕がそこまで言ったところで、ソーニャは人差し指で僕の唇を触れて言葉を遮った。


「だ~か~ら~!さっきも言ったでしょ。わたしは、決勝での賭けとか関係なく、カガミきゅんと結婚したいって思ってるよ。カガミきゅんは違うの?」


 潤んだエメラルドの瞳が僕を見つめている。

 思いのほか真剣な表情にドキリとして、勢いよく首を横に振った。


「えっ、いやそんなことない。僕は……、ソーニャと……結婚したいです……。」

 

 照れて顔を赤らめながら、そう伝えるとソーニャは満足そうにニンマリと笑った。


「あっ、ちょっと待っててね。」


 ソーニャは戸棚に近づくとそこから、よく磨かれて黒く輝く重厚な木製の箱を取り出した。箱には鍵も付けられている。


「これは?」


「我がスワロフスキー家に伝わる家宝で当主の証。我が家では大事な話を決める時は、この家宝を前に誓うことが決まっているの。」


 ソーニャが箱を開けると、そこには煌めくエメラルドで装飾された銀の鞘に納められた短剣が納められていた。


「その昔、スワロフスキー家のご先祖様が叙爵された時、皇帝陛下から下賜されたものなんだって。じゃあ、この家宝の前で、もう一度さっきの言葉を言ってくれるかな?」

 

 ソーニャは居住まいを正した。そのエメラルドの瞳には熱い期待の色がこもっている。


 僕は立ちあがり、片膝を付き、それから咳払いを一つした。


「ソーニャのことはずっと尊敬していました。そんな尊敬できる方と一緒に生きられれば他に何もいりません。こんな僕でよければ結婚してください。」


「嬉しい。こちらこそよろしくお願いします。」


 僕の差し出した右手を、ソーニャは優しく握ってくれた。


「あっ、でも正式な結婚はカガミきゅんが成人してからよ。あと2年か、楽しみだな~。」


 その後、僕の人生には様々なことがあったけど、ソーニャの顔を思い浮かべる時、いつも彼女はこの日の屈託のない笑顔をしていた。



 それから短い夏を挟んで、秋が来て、厳しい冬を乗り越えて、またやっと春が来てくれた。


 今日、僕が王国から公国へ戻って来てからちょうど1年になる。思えばこの1年はすごく充実していた。


 僕が帰国してからほどなく開かれた閣議で、公王太子であるアリシア、そして宰相であるソーニャは公国を貿易立国にする方針で意見が一致した。


 この方針に従って、アリシアと僕たちが締結してきた王国との通商・経済支援条約は公国でも批准され、続いてソーニャが帝国との通商協定の締結にも成功した。


 これは、これまでのような密貿易ではなく、公式に交易を行うことができるようになったことを意味する。


 貿易の振興のためインフラも整備した。王国との経済開発支援協定で引き出した資金を活用して両国へつながる街道を整備し、荷役場や公営市場も設置した。

ちなみに、このインフラ整備には、僕も少なからぬ貢献をしている。


 まず、僕の発案で、城下町と両国の国境近くに物流拠点となる冷蔵・冷凍設備を備えた倉庫を設置した。


 もともと王国では野菜などの農作物が国内では消費しきれないくらい豊富に生産されている。一方で帝国は海産物が豊富だ。だから両国ともに余剰分を輸出したかったけど、いずれも足が速い生鮮食品だから長距離輸送や在庫保管に耐えず、せいぜいピクルスや干物などの保存食に加工して細々と売り買いするしかできなかった。


 でも、僕は、王国で冷気を発する魔道具の複製に成功した。


 これを使えば、大型の冷蔵装置や冷凍装置を備えた倉庫を作ることができるんじゃないだろうか?


 僕はこのアイデアを王国にいるユーキに手紙で相談した。


 ユーキは、かつて僕が公国へ帰ることを差し止めようと策略を巡らせていた。そんな彼を出し抜いて、唐突に帰国した僕のことをどう思っていたかはわからない。


 だけど、僕のアイデアにビジネス上のメリットがあると考えたようで、すぐに手紙の返事が届き、表向きは快く協力してくれた。


 ユーキは現世での工学知識を生かし、僕が作った冷気や温熱が出るだけの魔道具を、実用性のある冷蔵・冷凍装置や空調装置に加工してくれた。


 しかも、ジャコバン商会のブランシェさんを説得して、公国が立ち上げた倉庫業公社に出資までしてくれた。


 他にも、温熱が出る魔道具を利用した野菜の促成栽培や発酵装置といったアイデアにも力を貸してくれて、今ではこれらも実用化して公国の食生活を潤している。


 ユーキとはビジネスパートナーとしてウィンウィンの関係を築けた。手紙のやり取りばかりで直接話す機会はないし、その手紙もビジネスライクな内容ばかりだけど、今では勝手にそう思っている。


 そしてこれらの施策が功を奏し、今年の春までに公国の貿易量、そして税収高は指数関数的に増えた。


 しかも貿易量が増えるにつれて、商人が公国の城下町に長期滞在するようになり、彼らをお客とする宿屋とか商店も開業され、彼ら向けの商品も輸入され、市場の品ぞろえも豊富になった。

 ついでにアリシアがガリアに任せている警備業も急成長。アリシアも懐が潤ってほくほく顔だ。


 そして、ついにはジャコバン商会の支店も設けられて、社員が常駐するようになった。


 かつては寒村のようだったお城の周りも、建設ラッシュに沸いていて、今や城下町と呼んでも恥ずかしくない規模になりつつある。


 もうすぐ公国にも高度成長期がやってくる予感がする!


 人口も増え、公国の税収も増え、公国民の働き口も増えて、もっともっと国が豊かになるはずだ!


 朝っぱらから、そんな成功の高揚感を感じながらニヤニヤしていると、ソーニャから声を掛けられた。


「カガミきゅん、今日はこれを着てってよ。」


 ソーニャがクローゼットから取り出してきたのはグレーのジャケットとパンツの上下、それから真っ白なシャツだった。先日、ソーニャの勧めでジャコバン商会が経営する洋装店で仕立ててもらったのだ。


「それは礼装だし……何か大事な日に下ろそうかと思ってたんだけど。」


「カガミきゅん、最近ぐんぐん背が伸びてるから、すぐに着られなくなっちゃうよ。今日、着て行ってよ!」


 ソーニャは僕の体にシャツを当てながら、上目遣いで見上げて来る。ちょっと前までは僕の方がソーニャを見上げていたのに、いつの間にか見下ろすようになってしまった。


 僕は婚約者の言葉に素直に従って、彼女が差し出した服に着替える。


「うんっ!よく似合ってる!今日は、アリシア様に早く来るように言われてるんでしょ?いってらっしゃい!わたしも後から行くからね!」


 ソーニャに見送られ、家を出てお城へ向かう。


 1年前、公国に戻って来たその日にソーニャにプロポーズし、それから婚約者としてずっと一緒に暮らしている。


 思えば、現世では、仕事をしてもろくに続かなかったし、結婚もうまくいかなかった。


 だけどこの世界に来てからは、仕事は大変だけどやりがいがあるし、家に帰れば大好きなソーニャがいる。


 4年前にこの世界に転生した時には、国は貧しく、食事にも事欠き、上司は乱暴者の上にケチで給料ももらえず、毎日生きるのに必死だった。でも、どうやら僕は幸せを掴みつつあるらしい。


 人間万事塞翁が馬だな……。


 お城に向かう坂を駆け上がる僕の足取りは、今日も軽かった。


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