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第39話 捨てたんじゃない、生き抜いたんだ!!

 ソチアーノの突然の投了で僕が初勝利を挙げた対局の翌日、3日目の対局会場に現れた彼女は明らかに精彩を欠いていた。


 目の下には真っ黒な隈があり、まったく眠れなかったようだ。


 そのせいかこの日は僕の2連勝。これで僕の3勝3分。残り5局のうち1勝1分け、又は3分け以上で僕の勝利となる。

 下手したら最終日を待たずに勝敗が付いてしまう。


 あまりにもあっけない展開に呆然としていると、ソチアーノがフラフラと立ち上がり、舞台袖の方に歩き出した。


 あの様子だと明日も精彩を欠いたままだろう。

 とうとう最後まで、あの憧れの天才少女ソーニャと対局することはできなかったか…。


 急に寂しさがこみあげて来た。僕が憎み、同時に尊敬していた彼女との対局がこんな不完全燃焼で終わってしまっていいのか?


 気づけば僕も立ち上がり、まだ舞台袖にいた彼女の肩を掴み、そして叫んでいた。


「僕と対局してください。」


 彼女は、一瞬驚いた表情をしたが、すぐに肩をすくめ、自嘲気味な笑いを浮かべた。


「焦らなくても、明日対局できるでしょ。君がグランドマスターになって、最年少記録を更新する記念すべき対局が…。」


「違うんです!そういうことじゃなくて、本当のソーニャと対局したいんです!」


「ソーニャって呼ばないで…って、まあそれはいいわ。それよりわけのわからないことを言わないで。君が対局しているのが本当の私。さんざん偉そうに大口叩いておきながら、これが実力よ。情けないわね。」

彼女はまたフッと自嘲気味に笑った。


「違います!僕は見ました。12歳のソーニャが指した対局の棋譜を。正直言って、それまではただの高慢で憎らしい勘違い女だと思ってました。僕もそんな女からグランドマスターの称号を奪って一泡吹かせてやろうとしか思ってなかった。だけど、あの棋譜を見て認識が変わりました。このソーニャという天才と、盤上で駒を通じて会話したいと本気で思いました。だから、勝敗なんて関係ない!ソーニャとして僕と対局してください。お願いします。」


 僕が深々と頭を下げたけど、彼女は冷笑したままだった。


「無理よ。君の前にいるのは24歳のソチアーノ。12歳のソーニャじゃない。正直、昔を思い出して対局しても君に勝てる気がしない。わざわざ恥の上塗りをするつもりはないわ。」


 そのまま彼女は背中を向けて立ち去ろうとした。


「じゃあ、選手権で僕が勝ったら結婚して欲しいという話は無しにしてもいいです。代わりにここで僕と指してください!」


 僕の言葉に彼女は足を止めた。振り返ったその顔は、あの賭け事を無しにできるなら…と言っていた。



 帝国チェス選手権決勝が開かれているホールの舞台袖。誰もいない薄暗い場所で、人知れず僕と彼女の対局は始まった。


 僕は、対局開始からすぐに、がむしゃらに駒を前に前に進めた。でも、彼女はそれに応じてくれず、ひたすら手堅く守りを固めている。


「そういえば、ソーニャの記事を読みました。盤上の対戦でも騎士道を守るべきだって。そんな美学がかっこいいと思いました。」


 僕の言葉に、彼女は上目遣いでギロリと睨んできた。


「時代遅れだとか言うつもり?いや、違うわね。私は昨日の第4局で自ら誓いを破って、勝ちたいばかりにクイーンを捨て駒にしようとした…。口では偉そうなことを言って、いざ追い込まれると卑怯な真似をする…。どこが騎士なんだか…。」


「そうじゃありません。あの対局では、クイーンを捨て駒にしたんじゃありません。キングを守るためにはそれしかなかったんじゃないですか?だったら騎士道に反するわけじゃありません。」


「‥‥‥。」


 ソーニャは無言になった。ただナイトを前に進め、ようやく攻めに転じたようだ。


「12歳の時のソーニャの対局、棋譜でしか見てないけど驚きました。駒たちが天衣無縫に自由に盤上を跳ね回り、躍動して…。すべての駒が存分に生かされて、取られてしまった駒も役割を果たし、天寿を全うしてました。僕はそんなソーニャの指し手に心酔しました。」


「……。」


「昨日の対局でのクイーンもそうです。あれもクイーンが駒として存分に生かされたんだと思います。クイーンがキングを守らず動かなければ、それこそ死に駒になっていました。クイーンは自分の役割を全うすることで、生きたんだと思います。」


「……。」


 ソーニャはずっと仏頂面で指し手を進めている。僕の言いたいことが伝わらなかったのだろうか。少し不安になった瞬間、彼女が口を開いた。


「わたしのパパは、私が13歳の時に死んだ。空から王国の悪魔たちが襲撃してきて、帝都を火の海に沈めた時に。」


 ソーニャはうつむき、また黙って駒を進めた。


「ずっとパパは捨て駒になったんだと思ってた。皇帝を守るために命令で身を捧げなきゃいけなくなって、悔しく思いながら戦死したんだって…。それから捨て駒ができなくなった。それを騎士道なんて言ってごまかしてたけど、本当はパパと捨て駒を重ねただけ…。」


ソーニャはが僕のキングにチェックをかけた。僕はビショップを盾にしてそれを交わす。


「でも、君はパパは捨て駒になったんじゃなくて、その使命を果たすために自らの意志で役割を全うしたって言ってくれてるの?」


「お父様のことは……すみません。お悔みします。そのような話を知らなくて…。」


 僕がうなだれると、「チェックメイト!」という声が響いた。

 気づけば僕のキングが絡めとられている。


「捨て駒じゃない。役割を果たして生き抜いたんだってだ…そんなこと言ってくれたのは君が初めてだよ。ねえ、もう一局指さない?」


 彼女の吹っ切れたような笑顔に釣り込まれるように、僕はこの日遅くまで、何度も彼女と対局した。



 翌日の公式対局、ソーニャはそれまでの不調が嘘のように、のびのびと指し、僕に2連勝した。


 最終日の第9局も彼女が勝利し、これで3勝3敗3分の五分になった。


 10局目は引き分け。

 そして運命の11局目は、攻め合いに次ぐ攻め合い、一進一退の大熱戦の末、僕の指運がわずかに勝り、グランドマスターの称号を得ることができた。


 僕が盤上を何度も確認し、間違いないと確信し、震える声で「チェックメイト」と告げた時、目の前に彼女の右手が差し出された。


「ありがとう!楽しかったよ!君のおかげで私も生かされた!」


 顔を上げると、何の屈託もない12歳のソーニャの笑顔がそこにあった気がした。



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