第35話 高慢な彼女
僕の手を掴んだ彼女は、長い銀髪をフワッとなびかせ、対局相手のおじさん方に顔を向けた。
「こんな小さな子と賭けチェスをしてお金を取り上げるなんて、恥を知りなさい!」
彼女のあまりの剣幕に僕の対局相手はたじたじになって何も言えなくなっている。
「あの……僕も納得の上で対局をお願いしたので……心配していただかなくて大丈夫ですよ。」
慌てて相手のフォローに回る。ちなみにこの対局は2局目で、渡した銀貨も1局目に勝って相手から奪ったものだ。
しかも、この後の3局目で倍にして奪い返す予定。だから邪魔しないで欲しいな…。
銀髪の彼女は「なんですって…」と言いながらギロリと僕を睨みつけた。
「おちびちゃん、チェスでの賭け事がいけないことだって知ってる?」
「ええ、ああ、まあ…。ごめんなさい。えへっっ!」
得意のかわいこぶった上目遣いの微笑みでごまかそうとしたけど、彼女の表情は険しいまま。
まったくぶりっこが通用しない。
「君にチェスを指す資格はないわ!今すぐやめなさい!」
彼女から鋭く言い放たれ思わず立ち上がった。
それでも彼女の方が頭一つ大きく、まだ見下ろされている。
「えっと…チェスを指すのは僕の自由だと思いますけど…。所詮はボードゲームなわけですし…。」
「いいえ、チェスはただのボードゲームじゃない!神聖なものなの。いい?チェスの一手一手は対局相手との会話であって、人としての品性が現れるの。君みたいな子どもがお金のためなんて浅ましい気持ちでチェスを指すなんて将来が思いやられるわ…。」
彼女はいかにもあきれたという様子で目を閉じて首を横に振った。その僕を小馬鹿にした態度に少しカチンときた。
「じゃあ、僕と一局指してくださいよ!それで僕の手筋を見てから判断してください!」
この上から目線の高慢な女に目に物を見せてやる…と息巻いていると、彼女はふふんっと鼻で笑った。
「さっきから見ていたわ。邪道としか言いようがないわね。そもそもわざと負けたでしょ?こんな掃き溜めみたいな場所で悪い輩の仲間に入って、お金のために騎士道のかけらも見えない邪道なチェスを指す、君みたいな品のないプレイヤーには、わたしと対局する資格なんてない。もし君が今の自分を悔い改めて、少しでも品格を身に付けたら、その時には相手してあげるわ。ハッ!」
彼女はまた鼻で笑い、踵を返し、公園に隣接する皇帝府がある尖塔の方へ歩き去って行った。
僕の怒りは収まらず、傍らで彼女とのやり取りをぼんやりと見ていただけの海坊主おじさんに詰め寄った。
「おじさん!どうして黙ってたの?なんとか言ってやってよっ!僕だけじゃなくて、ここにいる人たちも、みんな掃き溜めで下品だなんて馬鹿にされたんだよ!!」
しかし海坊主のおじさんは力なく首を横に振った。
「だめだ…。彼女には逆らえない…。」
「どうしてっ?あの態度、何様なんだよ?」
「彼女はソチアーノ・スワロフスキー。スワロフスキー侯爵家の当主で、帝国始まって以来のチェスの天才。あの若さで帝国のチェス選手権を3連覇している無敵のグランドマスター。しかもモスコー大学を首席で卒業し、将来を嘱望されるキャリア官僚。彼女に逆らえば、この公園からもチェス界からも簡単に追放されちまう…。」
海坊主おじさんだけじゃない。周囲の賭けチェス仲間もみんな顔を伏せてうなだれている。
ただ一人、僕だけが怒りのやり場がなく、歯を食いしばりながら、皇帝府の尖塔を見上げていた。
◇
1か月後、僕は『モスコー市ジュニアチェス選手権』の会場である恩賜帝国劇場の小ホールで、人ごみをかき分けながら目当ての彼女をやっと探し当てた。
「ソチアーノさん!」
僕の声に振り返った彼女は一瞬だけ笑顔を見せた後、僕が誰だか気づいたのかすぐに顔をしかめた。
「ああ、この間の邪道のおチビちゃん。どうしたの?賞金稼ぎにでも来たのかしら?」
高慢な態度に僕はムッとし、思わず睨み返した。
「違いますよっ!ソチアーノさんに挑戦するためです!!この大会に優勝したらソチアーノさんと公開対局できると聞きました。そこで僕が勝ったら、僕と公園のみんなを下品と言ったことを撤回してもらいますよ!!」
僕の言葉に、彼女は豊満な胸の前で腕組みをして、ニヤつきながら僕を見下ろしてきた。
「そういうことは優勝してから言うのね!!でも、君みたいな品格のないチェスじゃ勝ち上がるのは無理よ!!ここにいるプレイヤーは、小さな頃からちゃんとした師匠について修行してきたのよ。あなた、師匠は誰なの?」
「いない…。」
「でしょうね。話にならないわね!!まっ、今日は自分が井の中の蛙だって気づくいい機会になるわよ。せいぜい頑張りなさい。」
後ろ手に手を振りながら去っていく彼女を見ながら、僕は怒りのあまり拳を握り締めた。
いや、彼女に怒りをぶつけるのはお門違いだ。この悔しい気持ちを盤上にそれをぶつけて実力を見せつけてやればいい!!
僕は怒りを胸に秘め、冷静さを保ち、着実にトーナメントを勝ち進んだ。
対戦相手は強かった。だけど、どんな手段を使っても勝てばいいという姿勢で挑んでくる賭けチェスの相手と比べると、手筋が素直で、将棋を通じて負けないための戦術を身に付けた僕にとっては与しやすい相手ばかり。
簡単にねじ伏せることができた。
準決勝でも完勝し、危なげなく決勝に進出した瞬間。ふと横を見ると、少し離れたところで憎い彼女が腕を組みながら僕の対局を見つめていた。
僕は「あと一勝ですよ!首を洗って待っててください!」とニヤリと笑いながら小声で囁くと、彼女は何も言わずプイッと横を向いてしまった。
決勝戦の相手は、落ち着いて大人びた雰囲気のある長身の男子。
どうやら貴族出身らしい。しかも15歳以下だから今はジュニアの大会に出場してるけど、その実力はシニアも含めて5本の指に入るという評判の天才少年だとか。
もっとも彼は、決勝の対戦相手が10歳くらいの見た目の僕なので、面食らってやりにくさを感じているようだ。
見た目は、向こうが大人でこっちが子ども。
ゲンコツで殴り合いをしたら一方的に痛めつけられるだろう。だけど、チェスの対局では真逆だった。僕の敵じゃない。
さして手を進めないうちに、僕は勝ち筋を見つけた。しかも二つも。
一つは地味だけど手堅く確実に勝てる手筋だ。
もう一つは、手筋の途中でクイーンを捨てることになるから一見危なそうに見えるけど、その直後に鮮やかなチェックメイトをかけることができる。
さてどうするか……。
ふと顔を上げると、鋭く僕を見つめるエメラルドの瞳と視線がぶつかった。
その瞬間。僕の心にいたずら心が芽生えた。誰のチェスが品格がないって?
じゃあ、華麗な僕の手筋を見せつけてやろうじゃないか!仰天するといい!!
気づけば僕はクイーンを捨てていた。対戦相手は僕のクイーンの駒を取った時、信じられないといった表情で喜びを隠さなかった。周囲からもため息が漏れる。
どうやらみんなには僕の失着に見えたらしい。
「チェックメイト!!」
何手から進めた後、僕の一声に対戦相手は蒼白になり、そしてがっくりと肩を落とした。
その瞬間。僕は肩を掴まれ、それから宙を舞った。
「やった!カガミ!やったな!俺たちの公園からチャンピオンが出たぞ!」
いつの間に会場に来ていたのだろうか?海坊主おじさんが僕を抱え上げ、そのまま肩車してくれた。周りには公園の賭けチェス仲間も集まってくれている。
仲間たちの賞賛が面映ゆくて照れてしまい、海坊主おじさんの肩の上で小さくなっていると、人ごみをかき分けながら去っていく銀髪の彼女の背中が見えた。
「待って!チャンピオンになったんだから、僕と対局してくれる約束だよ!」
海坊主おじさんの肩から飛び降り、慌てて追い掛けて声を掛けると、彼女はピタリと足を止めた。
「あなたみたいな邪道なチェス、気分が悪いわ!!」
彼女の吐き捨てるような言葉に、喧騒に包まれていた会場が一瞬で静まり返った。
「待ってください!いったい僕のチェスのどこがダメだって言うんですか!!さっきだってクイーンを捨ててからの華麗なチェックメイト!見てたでしょ!!」
僕が言い返すと、海坊主おじさんたちも「そうだよ、あんな華麗な手筋みたことない」と賛同してくれる。ほら、やっぱりそうじゃないか!下品なんて言いがかりだ!!
「その手筋が品性がないっていうのよ。さっきの対局、いえその前の対局でも、ちゃんと駒と対局相手に敬意を払っていたの?」
彼女はゆっくりと僕の方を振り返った。エメラルドの瞳は、もはや完全に僕を軽蔑している。
「君は、捨て駒を作らなくても確実に勝てる手筋があったことに気づいてたでしょ。それなのに、わざわざクイーンを犠牲にして派手な手を選んで……。盤上にはその人の人格が顕れるの!これが本当の戦場だったら、君は妻を見捨てたことになるのよ!勝つためじゃなく、ただ自分が目立って英雄になるだけのために!!そんな下劣な品性の人と盤上で向かい合うなんて反吐が出る!二度と私の前に現れないで!!」
冷たい一言を残して彼女は歩き去って行った。
その背中を見ながら僕は一歩も動けなかった。
すべてを見透かされてしまった……。
そんな思いを抱えながら。




