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第33話 帰郷

 公国の丘の上に立つと目の前に懐かしい風景が広がっていた。


 かつて十一月の政変の時、ここからガリアと一緒に城を見下ろした。あの時は攻め込むターゲットにしか見えなかった。


 今、同じように眼下の景色を見渡すと、僕の心には、ようやく故郷に帰ってくることができたという感慨が湧いた。


 こんな感情はおかしい。

 そもそもサザランド公国は僕の生まれ故郷じゃない。


 3年半前にトレッキングに行った峠で足を滑らせ、たまたま転生してきただけだ。


 しかも、僕が公国に住んでいた期間は、1年ちょっとしかない。この1年間は隣のローデシア王国にいたし、その前の1年半は反対側にある隣国のルーシー帝国に住んでいた。


 だけど、胸の中にあるこの感情は間違いなく望郷の思い。


 豊かな物にあふれている帝国でもない、魔法による便利な生活と美食が楽しめる王国でもない。

 まして、僕が何十年と生きてきた現世の日本でもない。


 おいしい食べ物も日用品すらも満足に手に入らないこのちっぽけな貧しい国。冬は寒くて夏は暑く快適とは言い難い。


 だけど緑豊かで、なによりみんな素朴で優しくて、僕を認めてくれる人がいるこのサザランド公国こそ間違いない。僕が生きる場所。


 ここに骨を埋めてこの国の発展に身を尽くそう。


 しばしたたずみ、お城を見下ろしながらそう決意を新たにしていると、こちらへ向かってくる人影が見えた。手を振りながら銀色の髪をたなびかせ小走りで丘を登ってくる。


 僕も思わず駆け出した。あの銀髪は間違いない!


「ソーニャ!」


「カガミきゅん、会いたかったよ~!!」


 丘の中腹で行き合うと、ソーニャは走るスピードは緩めず、そのまま僕を押し倒し、頭を抱きしめた。


「心配したんだよ…。アリシア様は帰って来たのに、カガミきゅんは全然帰って来ないんだもん…。」


 顔にソーニャの胸を押し付けられ窒息しそうになりながらも、そのラベンダーの香りが懐かしかった。



 しばし抱き締められた後、ソーニャに腕を引かれるようにして案内されて着いた先は、お城ではなく、お城の西側に建つ小さな平屋建ての家だった。


 台所付きのダイニングとベッドルーム、それからリビングだけの小さな家だったけど、真新しい木の香りがする。新築だろうか?


「ここソーニャの家?新しく建てたんだ?」


 僕の言葉にソーニャは微笑みながら首を横に振った。


「違うよ。ここはソーニャとカガミきゅんのおうち。二人で暮らすために頑張って建てたんだから。35年ローンだよ。」


 ソーニャの言葉に僕は面食らった。


「いいの?こんな田舎の貧乏な国に家なんか建てて…?」


「いいのいいの。だって、公国はカガミきゅんの故郷なんだよ。お嫁入りして一緒に暮らすのは当たり前じゃん!ふふっ♡」


 戸惑いを隠せない僕に、ソーニャは「疲れてるでしょ!この家、奮発してシャワー付けたんだよ!お湯も湧かしてあるから、ひとっ風呂浴びて来なよ」と言ってシャワー室に案内してくれた。


 シャワーからお湯が出るとは公国も進歩したものだ…。感心しながらさっぱりしてダイニングに戻ると、テーブルにごちそうが並べられていた。


 ソーセージの盛り合わせ、柔らかそうな白パン、ザワークラウトのようなキャベツの酢漬け。

 おいしそうな料理に目を丸くしていると、ソーニャが「あっ、ちょうどボルシチも仕上がったよ。懐かしいでしょ?よく作ってあげたもんね」と言いながらスープ皿を運んできた。


 料理はどれもおいしかった。帝国にいた時に、ソーニャの実家でごちそうになった料理と同じ味。懐かしい。


 そう思いながら味わっていると、ソーニャがニンマリと笑いかけてきた。


「カガミきゅん少し背が伸びたね。もう14歳だもんね。結婚まであと2年か~」


 僕はパンがのどに詰まって咳きこんでしまう。


「あの、ソーニャ……本当にそれでいいの?チェス選手権の時の結婚の約束だったら気にしなくていいよ…。」


 僕がそう告げると、ソーニャは眉をハの字にして「カガミきゅんは、わたしと結婚するの嫌なの…?」と悲しそうな声を漏らした。


 慌てて僕は「ううんっ!そうじゃないっ!」と激しく首を振る。


「ソーニャは、帝国では将来を嘱望されているエリートだし、チェスのグランドマスターとしてスーパースターだったじゃん。それが宰相とはいえ、こんな貧乏な小国で暮らして、僕みたいなチビッ子と結婚しなくてもって…。そもそも僕には、ソーニャと釣り合うような魅力はないし…。」


 そこまで言いかけたら、今度はソーニャが激しく首を振った。


「ちがうよ!あの約束はきっかけだったけど、わたしは本当にカガミきゅんのことを好きなんだよ。本当に結婚したいと思ってる。だからそんなこと言わないで!!」


「ごめん…。本当にそう思ってくれてるなら、僕は嬉しい…。ごめん、変なこと言って…。」


 僕の言葉にソーニャはパッと表情が変わり、「嬉しいな。冷めないうちに食べよ、食後にデザートのリンゴもあるよ!」と言って、明るく微笑んだ。



 食事が終わり、二人で食器を洗って片付けると、ソーニャが何やら板と箱のようなものを持ってきた。


「なにこれ?」


「ふふっ…。二人の大事な思い出。」


 彼女はそう言うとダイニングテーブルにその板を置いた。これはチェス盤だ!


 それから彼女は箱から大理石でできたチェスの駒を取り出し、チェス盤の上に並べ始めた。


「もし、疲れてなかったら一局指して欲しいな~。」


 上目遣いでの彼女のお願いに異論はなく、僕たちはチェス盤を挟んで向かい合った。ソーニャとチェスを指すのは1年ぶりだ。


 リラックスしながら何手か指した頃に気づいた。駒を動かすソーニャの顔は真剣で、勝負師の顔をしている。そっちがその気なら僕も手を抜くわけにはいかない。僕も気合を入れ直す。


 盤上では一進一退の攻防が続いたけど、何とか勝ち切ることができた。


 チェックメイトをかけたとき、ソーニャが「む~また負けた~」と悔しそうな表情でつぶやいた。


「王国でも強豪と指してたからね。ソーニャは公務も忙しかっただろうし、こっちでは指す相手もいなかったでしょ?」


「それもそうだけど、そうじゃないんだよね。カガミきゅんには一生かかっても敵わないな~って思う…。」


 ソーニャが不意に寂しそうな顔をした。


「初めて会った時は、ただ生意気で、勝つためには手段を選ばない邪道なオチビちゃんだと思ってたのに、いざ盤を挟んで向かい合うと全然違って…。ほら、チェスは会話で、指し手にはその人の人格が現れるって言うじゃない。盤上に見えるカガミきゅんは、わたしのすべてを見透かしたような風格があって…。そんなチェスから垣間見えるカガミきゅんの人格を好きになったんだよ。カガミきゅんと結婚したいのも、決して賭けに負けたからじゃないの…。」


 ふと顔を上げると、盤の向こうからソーニャが熱い視線で僕を見つめている。僕のことを本気で想ってくれていなければ、とてもこんな表情はできないだろう…。


「フフッ…初めてカガミきゅんと会えたのもチェスがきっかけだったかな?あの時はまさか君にこんな気持ちを抱くなんて思ってもみなかったのに…。」


 ソーニャの言葉をきっかけに、彼女との出会いの場面が脳裏に浮かんだ。あれは、2年半前の秋、帝国の首府モスコーの公園だったか…。


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