第30話 カガミの策謀
祝祭の日、僕は二人で馬車に乗り、温泉地にあるブランシェの別荘へ向かった。
ブランシェの別荘は、あの魔道兵器の実験に使われた嫌な思い出がある。できれば近寄りたくない。
だけど、この作戦を成功させるためには、僕があそこに行くしかない……。
◇
ブランシェの別荘の前に馬車を止めると、待ちきれなかったのか、アンリ王子が玄関から自ら飛び出してきた。その後ろにはジャンヌが従っている姿が見える。
どうやら約束通り来てくれたようだ。
アンリ王子は、馬車を降りるアリシアの手を取ろうと思っているのか、馬車の前に立ち早くも右手を伸ばしている。見るからにそわそわして、鼻の穴もフンスッっと広がっている。
しかし、馬車の扉を開け、出て来た僕が「申し訳ございません。アリシア様は急な風邪をめされてしまい、床に臥せっております。本日は主に代わり謝罪に参りました」と口上を述べて深く頭を下げると、アンリ王子はあからさまにがっかりした顔をした。
よくわかる。今日こそは決めるぞと思っていたのに、直前で、お預けを喰らった思春期男子の気持ちはよくわかる。
「そうか…、それは心配であるな。では、私がアリシアのお見舞いに行こうか…。」
「いえっ、アリシア様はお心苦しく思っておられます。お見舞いは謝絶されたいとのこと。せめて、殿下にはこの別荘を自由に使ってお寛ぎいただきたいと申しております。特にこの近くの温泉の湯は絶品ですので、ぜひお楽しみください。」
「そうか…」
アンリ王子は肩を落とし、あからさまにがっかりした様子で別荘へと戻って行った。その後に従うジャンヌがチラリと僕を振り返ったので、僕はこっそり親指を立てて健闘を祈った。
それを見たジャンヌは少しうなずいたように見えた。
お預けを喰らった思春期男子、その彼を思う美貌の彼女、山奥の温泉、二人きり…とカードはそろった。
これだけ揃えば何も起こらないはずがない。ただ念のためダメ押ししておくか。
「じゃあ、僕は大使館へ帰るけど、明日の朝までこの別荘で二人の様子を見ておいてくれ。言っておくけど、ここで見たことは誰にも言っちゃだめだよ。」
僕は一緒に連れて来たローザを降ろし、馬車に戻った。きっとローザならば、何があってもゴシップ話にして広めてくれると期待しながら…。
◇
ガシャンッ!!
「何を聞いていたのじゃ!わらわが頼んだのはこの茶葉ではないわっ!」
カップが砕け散る音に続いて、アリシアの金切声が響いた。今日はティールームに貴族令嬢を集めて開かれる新年のお茶会である。
僕は控えの間にいたが、聞こえてくる音だけでアリシアがジャンヌに向かってカップを投げつけ、壁にぶつかって砕け散った様子がありありと目に浮かんだ。
「も、申し訳ありません、アリシア様…。しかし、特に茶葉はご指定されなかったかと…。」
「なんじゃ?おぬしは何年女官をやっておるのじゃ?新年の茶葉はアールグレイに決まっておるわ!そんなことも知らずに、よくここまでやってこれたものじゃな!男に媚を売って寵を受けることだけに精を出していたからこうなったのかのう?」
アリシアの意地悪そうな声に続いて、追従するような笑い声が聞こえてくる。
あの祝祭の日の別荘で、アンリ王子とジャンヌの間に何があったかはわからない。
ただ、二人が温泉地の別荘で一夜を過ごしたという噂はあっという間に宮廷中に広まった。
もちろん噂の発信源はローザ、そしてローザとよろしくやっているスパイなのだろう。
いったん広まってしまえば、貴族たちにとって噂が事実かどうかなんて関係ない。ただそれが面白おかしく共有できるかだけが重要なのだ。
「なんじゃ、その目は!主君に向かってそのような目をするような奴は宮廷に相応しくない。今すぐ出て行くがよい!」
「…アリシア、それはさすがに…。」
ずっと黙っていたアンリ王子がようやく割って入ったようだ。ただ声が震えて明らかに腰が引けている様子が伝わってくる。
「なんじゃ?どうしてこの女をかばうのじゃ?」
「いや…さすがに宮廷から追い出すのはやり過ぎじゃないかな…。」
「…殿下、殿下にも後ろ暗いことがあるからこの女をかばうのであろう?」
「いや、私はそんなことは……。」
「ウソじゃ!この国の者はみんな知っておるぞ!あの祝祭の日に殿下とこの小娘の間に何があったかをなっ!」
またガシャンッというカップが割れる音が聞こえると、アリシアが早足でティールームから出て来た。僕は慌てて後を追いかける。
アリシアは僕の方を少し振り返るとニヤリと笑った。まるで「うまくやれたであろう?」と言うように。
僕も「お見事です」という思いを込めて笑い返した。
僕は、現世では男としてそれなりに経験も積んだし、結婚していたこともある。
だから、どんな女の人が男に嫌われるのかはよくわかっている。
特に元妻のことは参考になった。
元妻とは恋愛結婚だったけど、結婚してすぐに関係がうまくいかなくなった。
理由は妻が僕の浮気を疑ったことだ。
本当はただ仕事が忙しかっただけ。たしかに職場の女性の同僚と頻繁に連絡を取っていたけど、それも全部仕事の話だった。
だけど彼女は僕の説明にまったく聞く耳を持ってくれなかった。
あからさまな嫉妬の感情を向けられ、ヒステリーを起こして責められ、遂にはモラハラを受けるようにもなった。
こうなると僕の気持ちも冷え込み、関係を修復しようとする気力もなくなり、ついには離婚することになった。
アリシアには、嫉妬に狂い、アンリ王子とジャンヌを感情的に責めるように伝えた。
そうすればアンリ王子の気持ちはアリシアから離れ、婚約を解消したくなるはずだと。
アリシアは「そんなにうまくいくかのう?アンリはわらわにぞっこんなのじゃぞ」と半信半疑だったけど、僕の注文通りの演技をして、人前でジャンヌをなじり、アンリ王子を責め、ヒステリックに喚きたてた。
アンリ王子は我慢強かったのか、なかなか音をあげなかったけど、とうとうあのダンスパーティーの夜、アリシアに向かって婚約破棄を告げさせることに成功した。
そして王族の婚約者としての身分を失ったアリシアは、晴れて自由の身となり、公国へ帰ることができたのだ。




