第29話 策謀の結果
街道沿いに積もった雪が温かい陽に照らされて湯気を上げている。どうやら春は確実に近づいているようだ。
アリシアがアンリ王子から婚約破棄を告げられた夜からわずか2日後、アリシアと僕を乗せた馬車は、公国との国境を超えようとしていた。
可能な限り身軽になるよう、署名した条約が入った外交行嚢を除いたほとんどの荷物、ついでにお荷物のローザすらも大使館に残し、夜を徹して馬車を走らせたおかげで、通常の3倍のスピードでここまで来ることができた。
そのせいか、ここまで追っ手の影はなかった。
国境を守る王国警備兵も、僕たちの馬車を差し止める様子はなく、アリシアの外交旅券を確認するとすぐに関門を開けてくれた。
「これでやっと公国へ帰れるか…。」
ダンスパーティーの時のきらびやかなドレスのまま、向かいに座るアリシアが、フッとため息をついて、疲れたような表情でぽつりとつぶやいた。
「しかし、いくら公国へ帰るためとはいえ、わらわにあんな道化を演じさせよって…。貴様も大した奴じゃのう。」
「まだ仕上げが終わっていません。僕はパリスへ戻りますので、アリシア様はこのまま公国へお帰りください。」
そう告げて馬車を降りようとすると、「必ず公国へ帰ってこい。そこでたっぷり小言を言ってやる」と背後から聞こえてきた。
その言葉の厳しさと裏腹に僕への賞賛と感嘆の色が感じられた。
アリシアを乗せた馬車が関門をくぐって公国へ入るのを見届けると、僕は首府パリスへ向かう街道へと踵を返した。
僕の懐には、アリシアの謝罪と弁解の言葉が記された王妃様宛の親書が入っている。
公国へ帰るためには、アンリ王子に婚約破棄させるしかなかった。
とはいえ、公国と王国の関係に亀裂を入れるわけにはいかない。今後も条約に従って通商の振興や経済開発に協力してもらうため、親密な関係を維持する必要がある。
だから、僕が王妃様に親書を届け、至らなかった点を素直に謝罪して立つ鳥跡を濁さないようにしないといけない。
公国の未来がかかっている。責任は重大だ。
街道をとぼとぼ歩きながら、不安がこみあげて来た。
この3か月の間、いかにユーキを出し抜き、どうすれば婚約を破棄させることができることだけを考えてきた。
しかし、その謀り事に没頭していた時は気づかなかったけど、ここ3か月のアリシアの態度は間違いなく王族に対して敬意を欠いていた。
アンリ王子から婚約を破棄させるよう仕向けるためとはいえ、王妃様やアンリ王子は怒り心頭かもしれない…。
前途を思うと、急に脇腹に差し込むような痛みを感じた。こんな重荷を抱えるくらいだったら、あんな策略思い付かない方がよかったかも…。
◇
話は3か月前に遡る。
その頃、アリシアとアンリ王子の婚約は、王国の新聞でも大々的に報じられ、大使館にもアリシアへお祝いの言葉を述べるため、次々と貴族や豪商達が来訪しアリシアと僕はその応対に毎日忙殺された。
「自分、すっかり元気になったなあ?そんなら魔道具のコピーもすぐに再開できるやろね?」
ある夜、最後の来客が帰った後に振り返ると、ユーキが皮肉っぽい笑顔を浮かべながら立っていた。
「ああ、明日から再開するから、道具を準備しておいてくれないか?」
僕の返答に、ユーキは少し意外そうな顔をした。
「やけに素直やん?いったいどんな心境の変化なん?」
「もうこうなったら腹を括るしかない。そう覚悟しただけだよ。」
「自分もやっとわかったか。じゃあ、明日、ジャコバン商会の研究室に用意しとくわ。ほなな…。」
「待って!」軽く手を振って立ち去ろうとするユーキを呼び止めた。
ユーキは「なんや?」と怪訝そうな表情をしている。
「実はお願いがあるんだ。アリシア様が、最近は来客の応対ばかりでアンリ王子にも会えないから、どこか二人でお忍びで会える場所はないかって言ってるんだ。それで、前に連れてってもらったブランシェ様の別荘、あそこをお借りできないかな…。来週の祝祭日に…。」
「そんなんお安い御用や。準備を整えとくから、お二人でよろしくやるとええわ。お世継ぎの誕生も近いやろな。ハハッ。」
笑いながら去っていくユーキの背中を見ながら胸を撫でおろした。
これで、作戦の第一段階クリアだ…。
翌日、僕は宮廷の女官詰め所に向かった。
目当ての彼女は思ったよりも元気そうで、きびきびと動き回りながら、詰め所にある書類を整理しているようだ。
「ジャンヌ、ちょっといいかな?」
「ああ、オチビの秘書官さん。どうしたの?」
彼女の不自然なくらい明るい笑顔を見て少し胸が痛んだ。
これから僕がやろうとしていることは、失敗したらようやく立ち直りかけた彼女を、また悲しみの底へ引き戻すことになるかもしれない。
でもやるしかない。これはジャンヌにとっても天国から垂れ下がる一筋の蜘蛛の糸かもしれないんだから…。
「今度の祝祭日なんだけど、郊外の温泉地の別荘にアンリ殿下をご招待したいんだ。アリシア様がそこで二人きりで過ごしたいと言っていると、アンリ殿下に伝えて欲しいんだ。」
僕の言葉に、さっきまでの笑顔が消え、ジャンヌの表情がサッと曇った。
やはり彼女は表面上明るく振る舞っていただけだったか…。
それでもジャンヌは何とか立て直し「わかったわ…。殿下に伝えておくわね」と絞り出すような声で応えてくれた。
ごめん。この後、もっと辛いことを言わなきゃいけない。心の中で手を合わせる。
「……それから、ジャンヌにもお願いがあるんだ。その別荘にはジャンヌもアンリ殿下のお付きとして一緒に泊まってほしい。」
僕の言葉を聞いたジャンヌの取り乱し方は筆舌に尽くしがたかった。
周囲を憚ったのか大声こそあげなかったけど、呻きながら頭を掻き毟り、床にしゃがみこみ、そして「あなたたちはどれだけわたしを苦しめれば気がすむの」と低い声でつぶやいた。
「違う…。これはジャンヌのためにもなるんだ。」
「わたしをひとつ屋根の下に置いて、かつて恋焦がれた想い人が婚約者と陸みあう声を聞かせようって言うの?あなたはまだオチビさんだからわからないかもしれないけど、こんな残酷なことはないわ!」
「違う…。そんなことにはならない。僕を信じて欲しい。これはジャンヌが想いを遂げる最後のチャンスなんだ。だから絶対に来て欲しい!」
ジャンヌの肩を掴み、強く瞳を覗き込むと、ジャンヌは勢いに押されたのかようやくうなずいてくれた。
よしっ、これで第二段階クリアだ!!




