第3話:工房の取材メモ事件
第3話:工房の取材メモ事件
「ほら見ろアルス、削りたてだぞ!」
工房の片隅、積み上げられた鉄屑と乾いた端材の山を背に、父アルトが嬉しそうに小さな木製の板を差し出してきた。 削りたてのオーク材の甘い樹液の匂いと、表面に塗られたニス独特のツンとした芳香が、工房の冷たい空気に混ざり合って鼻の奥をくすぐる。 丁寧に角が落とされたその板には、まだ何の文字も刻まれていない。真新しい木肌が、炉の残り火に照らされて鈍く赤みを帯びていた。
「どうだ? 看板の土台だ。お前が一人前になってこの工房を継ぐ日に、ここに『二代目アルス』って刻印を打たせてやるからな!」
アルトは日焼けした顔をくしゃくしゃにして笑うと、がっしりとした両腕で俺の体を軽々と抱え上げた。 三歳になり、ようやく自分の足でとことこ歩けるようになったとはいえ、体格はまだまだ小動物のそれだ。大人の目線まで持ち上げられると、工房の天井の煤けた梁がぐっと間近に迫ってくる。
(ヒエッ……! 待て待て待て! 俺の人生設計が早くも村の職人ルートで確定されかけてる!?)
抱き上げられた瞬間、背筋に冷や汗がすっと落ちた。 親父の屈託のない笑顔と、掌から伝わってくる職人特有の分厚い温もり。悪意など微塵もない、純度百パーセントの期待と愛情だ。 だからこそ、タチが悪い。
(嬉しいよ? 息子に看板を譲りたいって親心はめちゃくちゃありがたいし泣けるよ! でも俺がやりたいのは世界中をワクワクさせる【魔導書作家】なんだよぉぉ! 二代目付与師として一生この工房で鉄を叩いて終わる気はないんだってば!!)
内心で絶叫しながら、俺は小さな両手を必死にバタつかせた。 三歳児の拙い滑舌では、複雑な職業選択の自由など主張できるはずもない。下手に「職人は嫌だ」なんて言おうものなら、実の息子のように可愛がってくれている親父の繊細な職人ハートを再起不能なまでに粉砕してしまう。
「ほ……ほん!」 「ん? 骨か? スープのダシにする骨なら台所だぞ」 「ちがっ、ほん! あっちの、ほん!!」
俺は必死に顔を真っ赤にし、工房の壁際に据え付けられた頑丈な木製本棚を指差した。 そこには、アルトが仕事で使う付与魔術の覚書や、古びた素材図鑑、そして俺が毎日ハイハイ時代から読み漁ってきた『魔力の理』がぎっしりと並んでいる。 頼む、伝わってくれ。俺が求めているのは金槌や刻印ペンによる肉体労働ではなく、活字と構文に彩られた知的創作の世界なのだと。
アルトは俺を床に降ろすと、腕を組んで眉を寄せた。 無骨な指先で顎の無精髭をじょりじょりと擦りながら、本棚と俺の顔を交互に見比べる。
「本……? ああ、そういえばお前、最近いつも作業台の隅っこで何か紙にカリカリ書いてるな」
アルトが視線を向けた作業台の端には、分厚い素材図鑑の下敷きになるようにして、文字が半分ほどかすれて表紙の破れた『粗末な薄い魔導書』が無造作に転がっていた。 俺はトコトコと駆け寄り、そのボロボロの本を短い指で指差した。
「これ! これ、よんだ!」 「ああ、それか。……お前、よくそんなゴミみたいなもん見つけたな」
アルトは苦笑いしながら、その粗末な本をつまみ上げた。
「そいつは書き損じの『エラー品』だ。魔力充填に失敗した出来損ないでな、魔法なんてまともに発動しねぇ。世間じゃ『レベル1未満のゴミ=レベル零』って呼ばれて、古紙の束として二束三文で捨てられるのさ。父さんも、試し書きのメモ用紙代わりにタダ同然で引き取ってきただけだ」 「れべる、ぜろ……?」
俺はぱちぱちと瞬きをした。 (分析ボイス:へえ……! この世界にも、製造バグによる『エラー品魔導書(レベル零)』なんてものが存在するのか。ゲームの没データやバグアイテムみたいだな。……よし、いつか自分が魔導書を書く時のための『やってはいけない失敗例・地雷構文パターン』として、今のうちに克明にメモしておこう)
作家のサガというやつである。 俺は作業台の端に積まれた羊皮紙の端切れを引き寄せると、使い古されて毛羽立ったペンを握り、煤と植物油を練り合わせた手製インクで、米粒ほどの細かな文字をカリカリと書き殴り始めた。
『エラー品の通称:レベル零。魔力充填失敗によるバグ品で魔法は発動せず。市場価値なし(古紙同然)。ルーン構文の崩壊・文字擦れパターンは以下の通り――』
三歳児の手とは思えない、異様なまでの密度と秩序。 そこにはエラー品の構造スケッチだけでなく、ここ数ヶ月で俺が克明に記録していた親父の仕事の【取材メモ】までびっしりと書き連ねられていた。
『水流付与時の魔力注入間隔:約〇・五秒の呼吸が最適。焦ると刃先の硬度が落ちる』 『熱せられた鋼の温度とインクの定着率:赤熱状態より、僅かに冷え始めた黒ずみ際が最もルーンの浸透が良い』 『初心者が躓きやすいポイント:刻印ペンの傾きが四十五度を超えると魔力線がブレて暴走する危険あり』
……そう、将来自分が書く予定の入門書、『サルでもわかる! はじめての付与魔術入門』の第2章にぶち込む予定の、現場直撃・神解説コラム用のガチ取材データである。 三歳児が書いたにしては内容が専門的かつ論理的すぎて、普通なら気味悪がられるレベルの代物だ。
(……あ、やべ)
心臓がトクンと嫌な跳ね方をした。 夢中でペンを走らせる俺の手元を、アルトが無言のままじっと見下ろしていたのだ。
(まずい……! ただのお絵描きじゃなくて、ガチの技術分析メモだってバレたらどうなる!? 『三歳の子供が職人の技術を盗み見てマニュアル化してる』とか、完全に異常個体じゃん……! 門外不出の技術を盗み見したって怒髪天になるのか……!?)
背中を嫌な汗が伝い、俺は息を詰めてアルトの手元を見つめた。 アルトは無言のまま、太い指で紙片を一枚つまみ上げ、じっと目を細めてその文字列を追っていく。 工房の中に流れる、重苦しい沈黙。 炉のパチパチとはぜる音だけが、やけに大きく響いていた。
一分、二分。 アルトの眉間の皺がどんどん深くなり、やがてその大きな肩がわなわなと震え始めた。
(ひ、ヒエッ……! 怒られる……!?) 俺が思わず後ずさりしかけた、その瞬間。
「……セ、セフィルスーッ!!」
突如、アルトが涙をボロボロとこぼしながら、工房の天井が抜けるような大声で叫んだ。
「きゃっ!? もう、今度は何事ですかあなた!」 居間からエプロンで手を拭きながら、母セフィルスが目を丸くして駆け込んでくる。
アルトは震える手で羊皮紙のメモを掲げ、鼻を真っ赤にして叫んだ。
「見てくれセフィルス! 俺が普段、感覚だけで叩き込んでいた魔力注入の呼吸や、鋼の冷え具合の勘所……それに、エラー品の構造分析まで! アルスは全部、文字にして記録しようとしていたんだ! 『本が好き』ってのはそういうことだったんだよ!」 「まあ……? どういうことかしら?」 「決まってるだろ! アルスはただの村の職人になりたいんじゃない! 工房の技術を本から学び、文字で体系化し、理論と実践を両立させる――【学術書も読める超一流の宮廷付与魔術師】を目指しているんだ!!」
「まあまあ……! なんて勉強熱心で立派な子なんでしょう!」
セフィルスは両手を頬に当てて感激のため息を漏らし、アルトは「我が息子は天才だぁぁ!」と再び俺を抱き上げて頬擦りの嵐を浴びせてきた。
(……いや、違うんだ父さん……)
髭のジョリジョリした痛みに耐えながら、俺は遠い目をせざるを得なかった。 宮廷付与術師なんて目指していない。俺はただ、将来出す本をバズらせるためのネタ集めと、使えないバグ品(レベル零)のメモをとっていただけなのだ。 しかし、親父のこの底抜けにポジティブな勘違いを、一体どうやって正せばいいというのか。
やがて両親が満足して居間へ戻った後、俺は工房の隅の丸太椅子に腰掛け、小さくため息を吐いた。 使い古された刻印ペンをインクに浸し、羊皮紙の端切れの最も目立たない余白へ、震える手で新たなメモをカリカリと書き留める。
『【今後の最重要課題】:父さんの職人魂を傷つけずに、自然な形で魔導書作家へジョブチェンジする方法を全力で研究すること。……あと、親父のポジティブ勘違いは手遅れになる前になんとかしろ』
窓の外から差し込む夕暮れの光の中、三歳の元二流作家は、家族の温かい愛情と将来の夢の板挟みに頭を抱えるのだった。
第3話 了
作家の本能で取材メモを取るくらいなら、読者様への感謝メモも欠かせません。「いいね♡」・「お気に入り登録」、お待ちしております。




