第2話:ハイハイ潜入と魔力の理
第2話:ハイハイ潜入と魔力の理
カン、カン、カンッ――と、鼓膜の奥を直接叩くような乾いた金属音が響くたび、頬の産毛がじんわりと熱を帯びた。 薄暗い工房の奥、赤々と口を開けた炉の炎が、土壁に歪な影を揺らめかせている。熱せられた鉄の焼ける匂いと、機械油の重たくツンと鼻を突く芳香が、煙となって部屋の上流へ漂っていた。
金槌が鉄床を打つ瞬間、バチィッと目の前で鮮烈な火花の束が弾け飛ぶ。
(ヒエッ……! 火花! 熱い熱い危ない危ない! 飛んできてるってマジで!!)
俺は父アルトの分厚い背中におぶられたまま、必死に首をすくめてその首筋に顔を埋めた。 一歳を過ぎ、少しだけ首が据わって手足が動かせるようになったとはいえ、所詮は幼児の肉体だ。跳ねた火の粉が柔らかい頬に直撃したら、それだけで大惨事である。
(前世の安全な締め切り部屋に帰りたい……! あそこなら飛んでくるのは編集者からの催促メールくらいだったのに、こっちは物理的な火炎放射じゃねえか……!)
心臓を早鐘のように鳴らし、アルトの着古した作業着の襟を小さな指先でぎゅっと握りしめる。 だが、背中越しに伝わってくるアルトの筋肉の規則的な躍動と、太い呼吸の音は驚くほど落ち着いていた。
「よし……焼き入れはこんなもんか」
アルトは槌を置くと、鉄挟みで掴んだ真っ赤な短剣の刃を、冷水を張った木桶の中へ一気に沈めた。 ジュワァァァッ――という猛烈な水蒸気が噴き上がり、白い霧が工房いっぱいに広がる。冷たい飛沫と熱い湯気が入り混じった独特の湿気が、俺の鼻腔をくすぐった。
「アルス、怖かったか? すまんな、母さんが洗濯で忙しいから、ちょっとの間だけ父ちゃんの仕事場に付き合ってくれよ」
アルトは汗を拭いながら、背中の俺を振り返って破顔した。 無精髭の生えた顎をすり寄せてこようとするので、俺は本能的に両手でその鼻をペシッと押し返す。
「うー、あー」 「ははっ、手厳しいな。よしよし、座らせてやるからな」
アルトは俺をおんぶ紐から下ろすと、作業机の横に敷かれた清潔な麻布の上に、ちょこんと座らせてくれた。 机の上には、無数の鉄屑や木片、研磨用の砥石、そして――何本もの細い金属ペンが整然と並んでいる。
呼吸を整え、冷え切った指先を擦り合わせながら、俺は作業机の上をじっと見つめた。 恐怖で強張っていた体が、別の興奮によって熱を帯び始める。 前世のしがない物書きのサガが、目の前の光景に強烈な好奇心の針を振らせていた。
(……付与魔術師の仕事現場。これ、前世でファンタジー小説を書いてた時、喉から手が出るほど見たかったやつだ)
アルトは棚から、青みがかったガラス瓶を取り出した。中には、粘り気のある透明な青い液体が入っている。 そして、ペン先が銀色に鈍く光る使い古された細身のペン――刻印ペンをその液体に浸した。
「さて、ここからが本番だぞ、アルス。見てな」
アルトの表情から職人の緩みが消え、鋭い集中が宿る。 冷えた短剣の刀身を固定すると、アルトは刻印ペンの先を鋼の上に滑らせ始めた。
キリ、キリ、と金属を削る微かな摩擦音。 ペンの軌跡を追うように、青いインクが金属の表面に染み込んでいく。いや、染み込んでいるのではない。アルトの指先から淡い光がペンを通じて流れ込み、鋼の内部へ光の文字が彫り込まれていくのだ。
その文字を目にした瞬間、俺の視界がカッと開いた。
(……読める)
女神から授けられたチートが、脳の奥で鮮やかに火花を散らす。 アルトが流れるような手つきで刻んでいる幾何学模様。一見すると複雑怪奇な抽象画にしか見えないその線が、俺の頭の中では明確な意味を持った「構文」として再構築されていく。
『――水流の理・第一節。冷気を纏い、刃の摩擦を削ぎ落とせ――』
(読める……! 完璧に読めるぞ! これがこの世界の【付与魔術】の文字体系か……!)
背筋を駆け抜ける強烈な鳥肌。 ただの模様ではない。魔力を定着させるための文字言語――ルーン構文だ。 文章の構造は、前世で読んだ論理回路や、プログラミング言語、あるいは洗練された詩の一節に酷く似ていた。
(なるほど……! 単に魔力を込めるだけじゃダメなんだ。魔力の『指向性』と『効果』を、文字というプログラミングコードで物質に焼き付けることで、初めて道具に魔法の効果が宿るのか……!)
文字の配置、線の太さ、曲線の角度。 アルトの無駄のないペン運びを見るにつれ、俺の作家脳が猛烈な勢いで回転を始める。
(待てよ? 三行目の接続詞……いや、魔力バイパスの曲線が少し歪んでいる。あそこを直線的に繋げば、魔力の伝達ロスが減って冷却効率が上がるんじゃないか? いや、それだと鋼の硬度が落ちるから、あえて遊びを持たせているのか……?)
一歳の赤ん坊の小さな体の中で、三十路の元ラノベ作家の精神がトランス状態に突入していた。 絵本で学んだ共通語の基礎発音と、目の前で刻まれる魔法言語。 点と点が繋がり、この世界の魔導理論の輪郭が、驚くべき解像度で浮かび上がってくる。
もっと見たい。 もっとあの文字を、構文を、魔力の流れを観察したい。
俺は無意識のうちに身を乗り出し、短い手足でペタペタと作業机の脚へ這い寄ると、木肌に爪を立てて机の上の手元を食い入るように凝視した。 瞬きすら惜しい。瞳孔を全開にして、アルトが刻む青い光の一文字一文字を、脳内の羊皮紙に焼き付けるように見つめ続ける。
「――ふぅ。これでよし、と」
最後の文字を刻み終えたアルトが、ふっと息を吐いてペンの先を拭った。 短剣の表面に刻まれた青いルーン文字が、淡く一瞬だけ強く発光し、やがて金属の地金の中へとすうっと溶け込んで見えなくなった。付与の完了だ。
アルトが満足げに頷き、そして――机の端にしがみついて、鬼気迫る形相で手元を凝視していた俺の存在に気づいた。
「……アルス?」
(しまっ……! 見すぎた!!)
冷水を浴びせられたように我に返り、俺の心臓がキュッと縮み上がる。 一歳児が浮かべていい表情ではなかった。前世で締め切り直前のライバル作家の生原稿を盗み見るような、ドロドロの同業者目線全開の目つきをしていたに違いない。
(ヤバい……! なんだこいつ気味悪っ、て思われたか!? 『一歳の赤ん坊が魔法陣を睨みつけてる』とか、悪魔憑きを疑われて教会に突き出されたらどうしよう……!)
内心で冷や汗を滝のように流しながら、俺は慌ててぷるぷると首を振り、必死に無害な赤ん坊のふりをして「あー……うー?」と情けない声を漏らした。
頼む、見逃してくれ。ただの好奇心旺盛なバブちゃんなんです。
アルトは数秒間、目を丸くして固まっていたが――やがて、その顔がこれ以上ないほどクシャクシャに崩れた。
「セフィルスーッ! ハピネスーッ! ちょっと来てくれぇぇぇ!!」
工房の壁がビリビリと震えるほどの大声で、アルトが叫んだ。
「きゃっ!? な、何事ですかあなた!」 「パパ、どうしたのー!?」
台所からエプロン姿のセフィルスが駆け込んできて、その後ろからハピネスが飛び込んでくる。
アルトは満面の笑みを浮かべ、俺の両脇を抱えて高々と天井へ掲げ上げた。
「見てくれ! 俺が付与の刻印を打っている間、アルスが瞬きもせずに作業をじぃーっと見つめていたんだ! 炎の火花にも怯えず、青いルーンの光を目で追っていたんだぞ!」 「まあ……! アルスちゃんが?」 「そうだ! まだ一歳だぞ!? これは間違いねえ……我が息子には、生まれながらにして超一流の鍛冶と付与の素質がある! 将来は王国一の付与魔術師になって、この工房を継ぐに違いねえぞ!!」
アルトは感動のあまり目頭を赤くし、鼻息を荒くして俺を抱きしめた。 セフィルスも「ふふ、頼もしい跡継ぎになりそうねぇ」と嬉しそうに目を細め、ハピネスは「あーちゃんすごーい! お姉ちゃんが可愛いエプロン作ってあげるね!」と飛び跳ねている。
(……いや、違うんだ父さん……)
アルトの逞しい胸板の中で揉みくちゃにされながら、俺は引きつった愛想笑いを浮かべるしかなかった。 俺が見ていたのは鍛冶の技術ではなく、将来自分が書く魔導書のためのテキスト構文だ。 工房を継ぐ気はこれっぽっちもない。俺の目指す場所は、世界中をワクワクさせる大ヒット魔導書作家なのだ。
しかし、家族の溢れんばかりの笑顔と期待の眼差しを前にして、それを否定する術を俺は持っていなかった。
(……まあ、いいか。工房の文字資料が読み放題になるなら、跡継ぎのふりくらい安いもんだ)
前世の二流作家は、抱っこされたまま小さく息を吐いた。 言葉の習得に続き、世界の魔導構造への足がかりを掴んだ一歳児の小さな胸には、確かな手応えと――父の親馬鹿な愛情への、ほんの少しの居心地の悪さが残されていた。
第2話 了
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