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第4話:冬の毛糸玉巻き職人と毛糸の繭

第4話:冬の毛糸玉巻き職人と毛糸の繭


パチ、パチッ――と、薪ストーブの奥で乾燥したナラの薪が小さく爆ぜる音が、静まり返った居間に心地よく響いていた。 外は一面の銀世界。窓ガラスの外側にはびっしりと霜が張り付き、北風が木造家屋の羽目板をガタガタと揺らしている。 だが、部屋の中は春先のように暖かい。薪の燃える香ばしい煙の匂いと、油分をわずかに残した羊毛の甘く温かい匂いが、湯気のように充満していた。


床一面には、茜色や藍色、枯草色に染め上げられた大小さまざまな毛糸玉が転がっている。 コト、コト、と規則正しく鳴り響くのは、母セフィルスが座る手織り機の足踏みの音。その横で、八歳になったハピネスが小さな木の椅子に腰掛け、編み棒を両手に構えて手招きしていた。


「あーちゃん、こっちおいで! 今日は寒いから、お姉ちゃんが極上のあったか靴下を編んであげるんだから!」


鼻息を荒くして手招きする姉を横目に、俺は三歳児のぽてぽてとした足取りで、母セフィルスの足元へと歩み寄った。


「母しゃん、これ、まく?」 「あら、アルスちゃん。手伝ってくれるの?」


セフィルスが手織り機を止め、ふわりと目尻を下げて微笑む。 膝の上に広げられていたのは、染め上がったばかりのふんわりとした深紅の毛糸の束――綛(かせ)の状態のものだ。これを手際よく丸い毛糸玉に巻き直さないと、編み物にも機織りにも使えない。


「できるかしら? 絡まないように、優しく両手で張るのよ」 「うん!」


俺は小さく頷き、両手を前に出して手首を揃えた。 三歳児のふっくらとした短い腕。だが、その内面には前世の確固たる記憶が眠っている。


(ふふん、舐めてもらっちゃ困るぜ……! 前世の俺はな、毎年冬になると祖母の家で何十玉もの毛糸巻きを手伝わされた【毛糸玉巻き一級技能士(自称)】なんだよ!)


売れないラノベ作家時代、暖房費をケチるために祖母の家に転がり込み、コタツに入りながらひたすら毛糸を巻いていたあの地味な冬の日々。まさか異世界の職人家庭で役立つ日が来ようとは。


セフィルスが俺の両手首に赤い毛糸の輪を掛け、端を引いて巻き始める。 俺は手首を絶妙な角度で外側へ張り、糸が繰り出されるテンポに合わせて、左右の手を小さく上下させて一定のテンション(張力)を保った。糸が突っ張ることも、たるんで縺れることもない。まさに完璧なアシストだ。


「まあ……! アルスちゃん、すごいわね。糸が全然引っかからないわ」


セフィルスが驚きの声を上げる。 手の中でみるみるうちに、綺麗な球体となった赤い毛糸玉が育っていく。


(どうだ母さん! これが前世で培った職人アシスト技術だ! 父さんの工房での取材メモといい、俺の手先の器用さはすでに三歳児の枠を超越している……!)


内心でドヤ顔をキメていた、その時だった。


「むぅぅぅ……! ずるい! お母さんばっかりアルスちゃんとお手伝いしてずるい!!」


編み棒を放り出し、ハピネスが目を吊り上げて立ち上がった。


「あーちゃん! お姉ちゃんの青い毛糸も巻いて! お姉ちゃんのだって、すっごく上等な羊毛なんだから!」 「えっ、ちょ、姉ちゃん待っ――」


ハピネスは返事も待たずに、手元にあった鮮やかな藍色の毛糸束を掴むと、俺の突き出していた右腕へ無理やり引っ掛けてきた。


「はい! お姉ちゃんのも引っ張って!」 「ハピネス、ダメよ、一度に二つも持たせたら――」


セフィルスの制止も虚しく、ハピネスが力任せに青い糸の端をぐいっと引っ張った。 右腕を強烈に引っ張られ、三歳児の頼りない重心がぐらりと傾く。


「わっ、と……!?」


左腕の赤い糸と、右腕の青い糸。 左右から異なるベクトルで引っ張られた俺は、足元に転がっていた別の黄色い毛糸玉を踏んづけてしまい――見事にすっ転んだ。


ボフッ、と床の敷物に顔を埋めた瞬間、運悪く床に散らばっていた毛糸の山が崩れ落ちてくる。


「きゃっ!? あーちゃんが毛糸に埋もれちゃった!」 「あーちゃん、今助けるからね!!」


ハピネスが血相を変えて飛び込んできた。 だが、その救出劇が致命的な二次災害を引き起こす。 慌てたハピネスが俺の体を引っ張り起こそうと抱え上げ、床の上をあちこち回転させたせいで、床に広がっていた赤、青、黄、緑の毛糸が、俺の胴体と手足に幾重にも巻き付いてしまったのだ。


(ヒエッ……! ちょ、待っ、姉ちゃん!? 回すな! 転がすなァァ!!)


手足をバタつかせればバタつかせるほど、絡み合った毛糸がぎゅっと締まり、手足が胴体に縫い付けられるように固定されていく。


(身動きが取れん! なんだこれ、完全にミノムシじゃねえか!! 息が苦しい、助けてぇぇぇ!!)


手も足も完全に封じられ、カラフルな毛糸の層に包まれた俺は、床の上で「ふぎゅー! むぐー!」と芋虫のように蠢くことしかできなくなった。 前世の締め切り前のカンヅメ部屋どころではない、完全な物理的拘束。毛糸の柔らかな弾力が、逆に逃げ場のない圧迫感となって全身を締め上げる。


「あ、あれ……? あーちゃんが、大きな毛糸玉になっちゃった……?」


ハピネスが口元に両手を当て、ポカンと目を丸くした。


「ふふ……ふふふっ」


沈黙を破ったのは、母セフィルスの堪えきれない笑い声だった。 セフィルスは手織り機から立ち上がると、作業用の真鍮のハサミを手に持ち、床に転がる俺の元へしゃがみ込んだ。


「もう、ハピネスったら慌て者ね。アルスちゃん、大丈夫よ、じっとしててね」


セフィルスは優しい手つきで、絡まった糸の結び目を一つずつ、ハサミの先で丁寧に解いていく。 チョキン、チョキンと小気味良い音が鳴るたびに、体に食い込んでいた圧迫感がふわっと解けていく。


やがて最後の糸が解かれると、セフィルスは汗ばんだ俺の小さな体を、両腕で優しく抱き上げてくれた。


「よしよし、怖かったわね。ふふ、でも……なんて可愛いミノムシ坊やかしら」


セフィルスは俺の額に優しく頬を寄せ、トントンと背中をあやしてくれた。 その胸の温もりと、洗い立ての麻布の匂いに包まれた瞬間、パニックで張り詰めていた俺の呼吸が、ふっと緩んだ。


(……温かいな)


前世の冷え切った六畳一間のアパート。一人で啜っていた冷めたカップ麺の味と、寒さに震えながらキーボードを叩いていた孤独な夜。 あの頃の俺には、こうして失敗して転んだ時に、笑って抱きしめてくれる家族なんていなかった。 ただの毛糸の温もりじゃない。無条件で自分を受け止めてくれる誰かがいるという安心感が、胸の奥をじんわりと満たしていく。


――だが、感動の余韻に浸れたのは、ほんの数秒間だけだった。


「ぷっ……あははははっ! あーちゃん、お顔が毛糸の赤色とおんなじ真っ赤っか!」


指先を指差しながら、ハピネスがお腹を抱えて大笑いし始めたのだ。


「ミノムシ弟ちゃん! 床でジタバタしてて、すっごく面白かった! 可愛い〜っ!!」 「……っ! ふ、ふぎゃーーっ!!」


羞恥心が限界を突破し、俺はセフィルスの胸の中で手足をジタバタと暴れさせた。 笑うな! 誰のせいでミノムシになったと思ってんだ! 前世の精神年齢三十歳が、八歳の小娘に「可愛いミノムシ」呼ばわりされて大爆笑される屈辱。顔から火が出るどころか、全身が発火しそうなほど真っ赤になっていく。


「こらハピネス、からかったら可哀想でしょう」


セフィルスが苦笑しながらハピネスをたしなめ、俺の頭を優しく撫でた。


「さあ、二人とも。薪ストーブの前に座って、靴下の続きを編みましょう。アルスちゃん、今度はお母さんのお膝の上で、糸を見ていてくれる?」 「……うぅ」


俺はセフィルスの膝の上で小さく丸くなり、ハピネスから顔を背けるようにして小さく頷いた。 パチパチと薪がはぜる音の中、セフィルスの編み棒がリズミカルに動き始める。 隣でハピネスが「あーちゃん、ごめんね」と照れくさそうに笑いながら、俺の足先に編みかけの青い毛糸をそっと当ててきた。


外の吹雪を忘れさせるほどの温もりの中で、三歳の元作家は、家族の愛に包まれながら深い安らぎの吐息を漏らすのだった。


第4話 了


毛糸に巻かれっぱなしの俺ですが、「いいね♡」と「お気に入り登録」という名の応援糸で、ぜひ繋がってください。


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