絶対不可侵の契約
迎賓館での一件から数日。公爵邸の特注ラボでは、ポータブルクーラーの出荷作業と並行して、ある「重大な転機」が訪れようとしていた。
「ルチア。これに署名をしてくれないか」
ラボの作業台で回路の点検をしていたルチアの前に、突然、重厚な羊皮紙の束が恭しく差し出された。
金箔の装飾が施され、国家最高クラスの魔導封印が押されたその書類を、ルチアは目を丸くして覗き込む。
「アルヴィン様……これって、王立魔導院の契約書……ですか? 『異種魔導技術の独占権および――』」
「違うよ。最後までよく読みなさい」
アルヴィンが指し示したその先には、流麗な文字でこう記されていた。
『公爵家当主アルヴィン・フォン・ヴァルハイトと、国家賢者ルチア・フォスターの【正式婚姻届】および【絶対不可侵・魂の婚姻誓約書】』
「こ、こ、こ婚姻届えええええっ!?」
ルチアの悲鳴がラボに響き渡る。
「あ、アルヴィン様っ!? どうして急にこんな書類を……!?」
「急でもなんでもないさ。あの隣国の愚か者が君に気安く触れようとした時から、私の我慢は限界に達しているんだ」
アルヴィンは作業台に手をつき、ルチアを両腕の間にすっぽりと閉じ込めた。
アルヴィンのプラチナブロンドの髪がサラリと揺れ、アメジストの瞳には、いつにも増して深く激しい情熱と独占欲が揺らめいている。
「君がどれだけ『どこにも行かない』と言ってくれても、君のその頭脳と存在は世界中の有象無象を引き寄せてしまう。ならば――国家賢者ルチアを完全に『私の妻』として世界に知らしめ、手出しした者は国家反逆罪および公爵家への宣戦布告とみなす防壁(婚姻)を築くのが一番確実で手っ取り早いだろう?」
「り、理屈は分かりますけどっ! 婚姻誓約書に『絶対不可侵』って書いてありますよ!?」
「当然だ。この婚姻誓約には私の全魔力を込めてある。サインした瞬間、君と私の魂は永遠に結ばれ、どんな国の王が来ようと、どんな探知魔術を使おうと、君を私の傍から奪うことは物理的・魔術的に一切不可能になる」
(それ、ただの最高等級のバインド魔術じゃないですかー!!)と心の中で叫ぶルチア。
「さあ、ルチア。ペンをお持ち」
「うぅ……アルヴィン様、逃げ道を塞ぐのが上手すぎます……っ」
「逃がすつもりなど最初から一ミリもないと言っただろう?」
アルヴィンは甘く、けれど拒否権を一切許さない微笑みを浮かべ、ルチアの手に羽ペンを握らせた。
ルチアは赤くなりながらも、彼のアメジストの瞳に宿る真摯な愛と、ほんの少しの「不安(自分を失うことへの恐れ)」を読み取り、胸がキュッと締め付けられる。
(本当に……この人は私を奪われるのが怖かったんだ……)
「……分かりました。でも、条件があります!」
「条件?」
「結婚式が終わったら、ハネムーン先にもポータブルクーラーを持って行って、そこで新しい『異世界冷感スイーツ』の開発をさせてください!」
ルチアが鼻先の眼鏡をくいっと上げて宣言すると、アルヴィンは一瞬呆気にとられ――次の瞬間、愛おしさに耐えかねたように破顔した。
「くく……どこまでもエンジニアだな、我が愛しき賢者様は。いいだろう、最高のハネムーンと、最高に冷たい研究所を用意しよう」
サラサラと、ルチアの手によって婚姻届にサインが書き込まれていく。
その瞬間、書類から眩い青銀色の光が溢れ出し、二人の左手薬指にふわりと光のリングを描いて消えた。
「きゅ~う❤(これで完全に二人セットだね、と言わんばかりにお祝いの声をあげる)」
シロちゃんが二人の足元で満足そうに尻尾を振る。
「これで君は、名実ともに私の妻だ、ルチア。……世界中の誰も、君を私から引き離せない」
二人の愛と前世の技術が結びつき、ついに最高潮の結婚式へと動き出すのだった。




