隣国の甘い誘惑
ポータブルクーラーの大ヒットにより、ルチアの元には国内外から連日多くの使節団が訪れていた。
その中でも、ひときわ豪華な衣装を纏い、不敵な笑みを浮かべた男たちがいた。軍事大国として知られる隣国・ガルダニア帝国の特命全権大使、バルトロメである。
王都の迎賓館で開かれた外交晩餐会の最中、バルトロメはグラスを傾けながら、ルチアに直接すり寄ってきた。
「いやはや、ルチア国家賢者。貴女が作り出したあの『魔導クーラー』の技術、実に素晴らしい。我が帝国の炎熱地帯にこそ、喉から手が出るほど欲しい代物だ」
「ありがとうございます。一般の皆様のお役に立てて、私も開発した甲斐がありました」
ルチアが礼儀正しく微笑むと、バルトロメはふっと狡猾な笑みを浮かべ、周囲の貴族たちが息を呑むような提案を口にした。
「そこでだ。我が帝国に来る気はないか? 帝国の王立研究院の『最高顧問』の座を用意しよう。もちろん、現在の報酬の十倍は約束する。あんな冷徹で堅苦しいだけの公爵の庇護下を出て、我が帝国で自由に研究を続けるべきだ。……なに、隣国との契約など、我々が上手く取り計らって――」
その瞬間、室内の空気が一瞬にして凍りついた。
「――ほう?」
低い、地獄の底から這いずるような声が、バルトロメの背筋へと突き刺さる。
振り返ると、そこには漆黒の礼装を纏ったアルヴィンが立っていた。アメジストの瞳は光を失い、周囲の空気は瞬く間に絶対零度へと急降下している。
「あ、アルヴィン様……っ」
「私の婚約者を、我が国から引き抜こうと? それも、私の目の前でよくもそんな寝言が言えたものだね、バルトロメ大使」
アルヴィンが一歩踏み出すたび、床の敷物にびっしりと白い霜の花が咲いていく。
迎賓館の室温は一気にマイナスを記録し、バルトロメの側近たちは恐怖のあまりその場に崩れ落ちた。
「なっ……! ば、馬鹿な、魔力抑制結界が張ってあるはずのこの部屋で、これほどの冷気制御を……っ!?」
「私のルチアに触れようとした愚か者に、私の魔力の前で許される言い訳などない。……我が国の至宝であり、私の最愛の伴侶を他国に売り渡すなど、あり得ない!帝国ごと地図から消し飛ばしてほしいと解釈してもいいのかな?」
ゾッとするほど美しい笑みを浮かべながら、アルヴィンはバルトロメの元首に、氷の刃をピタリと突きつけた。物理的にも精神的にも、一歩間違えば命がないと察したバルトロメは、顔面蒼白で首を横に振るのがやっとだった。
「も、もうしわけ……っ! 冗談だ、ただの冗談だ!!」
「冗談で済むものか。今すぐその不気味な顔を引っ提げて、国境の向こう側へ這い出していきなさい。二度と我が国の領土に足を踏み入れるようなら、その時はその冷え切ったクーラーの部品にしてやるよ」
アルヴィンが軽く手を振ると、バルトロメとその使節団は、冷気と恐怖に追い立てられるように悲鳴を上げて逃げ出していった。
騒ぎが収まった後、アルヴィンはすっと表情を和らげ、ルチアの細い肩をそっと抱き寄せた。
その体は少しだけ震えているように見える。
「……アルヴィン様、怒りすぎです。私、どこにも行きませんよ」
「当たり前だ。君は私のものだ。……ただ、少しでもあの男が君に触れようとしたことが許せなくてね」
アルヴィンはルチアの額に優しく唇を落とすと、その甘い瞳を揺らした。
「王都に帰ろう、ルチア。冷え切った外の空気ではなく、私たちの『特注ラボ』へ。……君の冷えた身体を、私が一番熱く温めてあげるからね」
「もう……っ。でも、ありがとうございます、アルヴィン様」
隣国の誘いを一蹴し、公爵様の底なしの独占欲と愛情を改めて実感しながら、ルチアは彼の胸にしっかりと抱きついた。




