心地よい敗北宣言
朝の冷たい光がカーテンの隙間から差し込む頃、砦の賓客室には、昨夜の緊迫感とは打って変わった穏やかな静寂が広がっていた。
ルチアがゆっくりと目を覚ますと、視界の先には、いつもと変わらない美しいプラチナブロンドの髪と、寝室の片隅で静かに駆動するポータブルエアコンの心地よい冷風があった。
「……ん……。アルヴィン、様……?」
ルチアが身動きをしようとすると、腰に回された腕がそれを許さない。アルヴィンはまだ浅い眠りの中にいるようで、ルチアの首筋に顔を埋めたまま、規則正しい寝息を立てている。
大結界の修復という大仕事を終え、さらに昨夜はルチアをこれでもかと甘やかし尽くした公爵様も、さすがに少し疲れていたらしい。普段の鉄壁な姿からは想像もつかないほど、無防備で穏やかな表情だった。
(本当に、無事でよかった……)
ルチアはそっとアルヴィンの頬に手を当て、そのほんのりとした心地よい体温を確かめる。
自分の前世の知識が本当に役に立つのか、馬車の中では不安で押し潰されそうだった。けれど、アルヴィンが自分を信じて魔力を貸してくれたからこそ、あの巨大な結界炉を制御することができたのだ。
「……おはよう、ルチア。勝手に逃げ出そうとしては困るな」
「あ、起きてらしたんですか?」
不意にアメジストの瞳が薄く開かれ、ルチアの手のひらに自身の頬をすり寄せる。その仕草は、完全に味を占めて懐いてしまったシロちゃんのようでもあった。
「君が愛おしそうに私を見つめている気配がしたからね。……身体は痛まないかい?」
「うぅ、それはアルヴィン様が、お仕置きだって言って全然離してくださらなかったからです……。でも、お陰様でしっかり眠れました」
ルチアが少し膨れて見せると、アルヴィンは満足そうに微笑み、彼女の額に優しいキスを落とした。
コンコン。
その時、寝室のドアが、今度は非常に恐る恐る、遠慮がちに叩かれた。
「あの……公爵閣下、ルチア賢者様。マイルズです。……結界炉の稼働状況は極めて安定、隣国の不穏な動きも完全に沈静化しました。それで、その……国境の魔導師たちが、昨日の無礼を改めてお詫びしたいと、部屋の外で直立不動で待機しているのですが……」
ドアの向こうのマイルズの声は、明らかに冷や汗をかいている。どうやら、昨夜アルヴィンが放った「隣国ごと消し飛ばす」という言葉が、老魔術師たちの間で完全にガチの脅しとして定着してしまったらしい。
アルヴィンはルチアを抱きしめたまま、ドアの方へ向けて氷点下の声を放った。
「彼らには、ルチアの設計した『次世代型魔力冷却システム』の維持管理マニュアルを、一字一句違わずに暗記するまでその場に跪いていろと伝えなさい。私のルチアに頭を下げさせるなど、百年早い」
「ひぃっ、了解しました!」
マイルズの足音が慌ただしく遠ざかっていくのを聞きながら、ルチアは苦笑してアルヴィンの胸を軽く叩いた。
「もう、アルヴィン様。彼らも反省しているんですから、意地悪しないでください」
「意地悪ではないさ。君の技術の価値を、あの老人たちに正しく骨の髄まで叩き込んでいるだけだよ。……さあ、邪魔者も散ったことだ。王都へ帰る馬車が用意されるまで、もうしばらく、この涼しいベッドの中で私に独占されておくれ」
「ふふ、はい。私の最高のパートナー」
国境の危機を救い、名実ともに国家の英雄となったルチア。けれど、彼女が一番落ち着く特等席は、やはりこの、世界で一番過保護で独占欲の強い公爵様の腕の中なのだった。




