至高の工房
お腹いっぱい高級スイーツを堪能し、すっかり緊張の解けたルチアは、アルヴィンに連れられて公爵邸の最上階へと向かっていた。
「さあ、着いたよ。ここが今日から君の仕事場だ」
アルヴィンが豪奢な彫刻が施された両開きの扉を押し開ける。
その瞬間、ルチアは
「ふぇ……?」
と間抜けな声を上げて立ち尽くした。
「な、なんですか、ここ……!?」
そこにあったのは、下町の狭い店舗とは比べものにならない、広大で美しい工房だった。
壁一面の棚には、最高級の魔導水晶や、滅多に市場に出回らない希少な魔獣の骨、精錬されたばかりの魔導金属がズラリと並んでいる。中央には、最新式の魔力測定器と、どんなに魔力を込めても傷一つ付かないという頑丈なミスリル製の作業台が鎮座していた。
「下町の店にあった道具や素材はすべてここに運ばせてある。だが、足りないものがあれば何でも言ってほしい。この国の市場にあるものなら、明日にはすべて揃えてみせるよ」
アルヴィンはルチアの背後に音もなく忍び寄ると、彼女の肩をそっと抱きすくめた。
耳元で囁かれる低く甘い声に、ルチアの背中にゾクゾクとした震えが走る。
「あ、あの、アルヴィン様。これ、国家予算レベルの部屋ですよね……? 私みたいな一介の魔法具師に、どうしてここまで……」
「どうして、か。まだ自覚が足りないようだね」
アルヴィンはフッと目を細めると、ルチアの体をくるりと自分の方へ向かせた。
逃げられないように、作業台と彼の長い腕の間にルチアを閉じ込める。いわゆる『作業台ドン』の体勢だ。
「ルチア。君がさっき食べたお菓子の皿――あれにどんな魔法具を使った?」
「え? あ、ええと……お皿が冷たいままだと、ミルフィーユのクリームがダレちゃうなと思って。お皿の表面の温度を、常に『摂氏四度』に保つ保冷の術式をちょっとだけ……」
「それを世間では『大魔法』と呼ぶんだ」
アルヴィンは困ったように、けれど愛おしそうにルチアのふっくらとした頬を指先でつついた。
「魔力を込めて一時的に冷やす魔導具はあっても、魔力を自動で微調整しながら『一定の温度を維持し続ける』魔導具なんて、この世に存在しない。君が数分で作ったあのお皿一枚で、我が国の流通革命が起きるレベルだよ。生鮮食品を腐らせずに遠方まで運べるようになるんだからね」
「ええっ!? ただの冷蔵庫……あ、いや、ただの保冷皿なのに!?」
驚きで目を丸くするルチア。
そんな彼女の無防備な唇に、アルヴィンの親指がそっと触れる。
「そう。君のその『ちょっとした思いつき』は、世界を変える。だからこそ、私は君を誰にも見せたくないし、渡したくない。……この意味が、わかるかい?」
アメジストの瞳が、独占欲で妖しく光る。
包容力バツグンの優しいスパダリだと思っていたのに、時折覗くこの「黒くて重い」視線に、ルチアはドキリと胸を跳ね上がらせるしかなかった。
「わ、わかりました……! 私はここで、大人しく魔法具を作ります……!」
「うん、お利口だね。ご褒美に、今日の夕食は君の好きなものを何でも作らせよう。下町でよく食べていたものはあるかい?」
「えっと……『オムライス』とか、スパイスをたくさん煮込んだ『カレーライス』とか……」
ルチアが前世の家庭料理を口にすると、アルヴィンは
「ほう、聞いたことのない料理だね」
と興味深そうに微笑んだ。
「よし、お抱えのシェフに作らせよう。君がその料理のレシピを教えてくれるかい? 君の食べたいものは、すべてこの邸の中で叶えてあげる」
(うう、至れり尽くせりすぎて、本当に下町に帰れなくなる……!)
胃袋も環境も、そして心も。
アルヴィンの完璧すぎる囲い込み(餌付け)戦略に、ルチアは完全に搦め捕られていく。
「さて……それじゃあルチア。さっそくで悪いが、私のために一つ、魔法具を作ってくれないか?」
「えっ、アルヴィン様のためにですか? どんなものがいいでしょう!」
初めて受ける「おねだり」に、職人魂が刺激されたルチアは目を輝かせた。
アルヴィンは彼女のそんな様子を愛おしそうに見つめながら、自身の綺麗な手を差し出す。
「私は宮廷魔導師長も兼ねていてね。毎日、膨大な書類に魔力署名をしなければならないんだが、万年筆の魔力伝導率が悪くて指が疲れるんだ。何か、劇的に仕事が捗るようなペンを作ってはもらえないだろうか」
「なるほど、お仕事用のペンですね! 任せてください、アルヴィン様にぴったりの、最高のものを作ります!」
ルチアは拳を握って張り切った。
――もちろん、彼女がこの後、「持っているだけで勝手に書類の不備を見つけ出し、ついでに他国からの呪いの手紙を全自動で消滅させる、超高性能AI(人工知能)搭載の神話級ペン」を作り上げ、アルヴィンを別の意味で悶絶させることになるのは、まだ少し先のお話である。




