戦場と化した厨房
「よし、チキンライスはこれで完璧……! あとはアルヴィン様が帰ってこられたら、卵をふわとろに仕上げるだけ!」
アルヴィン様を王宮へ送り出した後、ルチアは公爵邸の広い厨房を借りて、約束の『おむらいす』の仕込みに励んでいた。
前世の日本の定番洋食。じっくり炒めた鶏肉と玉ねぎ、ケチャップの甘酸っぱい香りが厨房いっぱいに広がり、使用人たちも遠巻きに
「なんて美味そうな匂いだ……」
と喉を鳴らしている。
そこへ、またしてもノックという概念をどこかに置き忘れた男が、ぬっと姿を現した。
「よぉ、ルチアちゃん! やっぱりな、この美味そうな匂いは絶対に君の仕業だと思ったぜ!」
「ひゃあ!? マ、マイルズ様!? どうしてここに……王宮の会議は……!?」
赤髪をガリガリとかきながら入ってきたマイルズに、ルチアは目を丸くした。
「会議ならさっき終わったよ! っていうか、今日のアルヴィンのやつ、マジで異常だったんだからな? 『私は夜、ルチアの愛が詰まったおむらいすを食べる予定がある。邪魔する者は全員、炭にする』とか言って、いつもなら半日かかる予算議決を三分で終わらせやがった」
「さ、三分……っ!?」
「おかげで俺たち近衛は書類の山に追われて死にそうだったんだよ! だから俺は、その『おむらいす』ってやつを、アルヴィンより先に腹に収めて仕返ししてやろうと思ってな!」
マイルズは不敵に笑うと、おもむろにフライパンの中のチキンライスに手を伸ばそうとした。
「あっ、ダメですマイルズ様! それはアルヴィン様との約束の――」
「そこまでだ、マイルズ」
ピキィィィィィィィン!!!
突如として、厨房の床から恐ろしい勢いで氷の棘が突き出し、マイルズのつま先一寸のところでピタリと止まった。
振り返ると、そこには王宮の正装を着崩したアルヴィンが、アメジストの瞳を完全に「黒ハラ」の漆黒に染めて立っていた。周囲に渦巻く魔力が、物理的に空気をビリビリと震わせている。
「あ、アルヴィン様!? お帰りなさいませ……って、帰ってくるのが早すぎますっ!」
「ただいま、私の可愛いルチア。君に会いたくて、馬を限界まで飛ばしてきたよ。……それで、マイルズ?」
アルヴィンはルチアに向かって極上の聖母のような微笑みを浮かべた直後、マイルズへ視線を戻し、声音を極限まで低くした。
「私のルチアが、私のためだけに作ってくれた聖なる『おむらいす』を盗み食いしようとしたね? 万死に値するよ。今すぐその右腕を切り落として、王宮の門に吊るされたいかい?」
「ひぇっ……! 相変わらず目がマジなんだよお前は! 冗談だって、ちょっと味見しようとしただけだろ!?」
マイルズが冷や汗を流しながら大剣の柄に手をかける。公爵邸の厨房が、一瞬にして一触即死の戦場へと変貌した。
「味見すら許さない。米一粒、卵の一片たりとも、君のような脳筋の口に入れる筋合いはない。ルチアの愛はすべて私のものだ」
「アルヴィン様、ストップ、ストップです!!」
ルチアは慌てて二人の間に割って入った。このままだと公爵邸の厨房が更地になってしまう。
「マイルズ様も、アルヴィン様のお料理を奪おうとしないでください! ……アルヴィン様、マイルズ様は今日のお仕事の被害者(?)なんですから、そんなに怒らないで。……あ、そうだ!」
ルチアはひらめいた。
「アルヴィン様の分は、私が今から『最上級のふわとろ極上オムライス』を真心込めて作ります。マイルズ様には……私が前世でよく作った、チキンライスを薄い卵でキッチリ包んだ『昔ながらの、ちょっとハードなオムライス』を作りますから、それで手を打ってください!」
「おい、俺のやつだけ扱いが雑じゃないか!?」
「文句を言うなら一粒もあげません!」
ルチアがビシッと指を指すと、マイルズは
「うぐっ……わかったよ、それでいい……」
と渋々引き下がった。
アルヴィンはまだ不満そうにマイルズを睨んでいたが、ルチアが
「アルヴィン様のオムライスには、ケチャップで大きなハートマークを描きますからね?」
と耳元でこっそり囁くと、一瞬で機嫌を直して
「……なら、許そう」
とフワフワした笑顔に戻った。本当に分かりやすいスパダリである。
数分後。
厨房のテーブルには、二つのオムライスが並んだ。
マイルズの前には、ケチャップライスが綺麗に卵できっちり包まれた武骨なオムライス。
そしてアルヴィンの前には、ナイフを入れた瞬間に、とろっとろの半熟卵がライスを覆い尽くす、芸術的なふわとろオムライス。そこにはルチアの宣言通り、特大のケチャップのハートが描かれている。
「――っ、美味っ!!! なんだこれ、卵とケチャップとイモ……じゃなくてコメが、口の中で完璧に噛み合ってやがる!! 脳にガツンとくる美味さだ!」
マイルズは『昔ながらのオムライス』を豪快にスプーンで掬い、目を輝かせてがっついている。
一方、アルヴィンは、マイルズに見せつけるように、ルチアのハートマークが描かれたオムライスを優雅に、けれど一口ごとに深く噛み締めながら食べていた。
「素晴らしいよ、ルチア……。君の愛が、卵の優しさとケチャップの甘酸っぱさになって、私の身体の隅々まで染み渡るようだ。……マイルズ、羨ましいだろう? 君のそれには、ルチアのハートは描かれていないからね」
「はいはい、ごちそうさまでした。お前のノロケを聞かされながら食うオムライスは、ちょっと胸焼けがするわ!」
マイルズはあっという間に皿を空にすると、
「ごちそうさん! ルチアちゃん、またな!」
と、アルヴィンが再びキレる前に風のように退散していった。
嵐が去り、静かになった厨房で、アルヴィンは最後の一口を惜しそうに食べ終えると、スプーンを置いてルチアを見つめた。
「美味しかったよ、ルチア。……でも、マイルズのせいで、せっかくの私の癒やしの時間が少し邪魔されてしまったな」
アルヴィンは立ち上がると、ルチアの腰を抱き寄せ、その耳元で低く囁いた。
「お腹はいっぱいになったけれど……心のほうは、まだ全然満たされていないんだ。……さあ、部屋に戻ろう。もちろん、冷房の効いたあの快適なベッドへね。……今度は朝まで、君の愛を別の形でたっぷり頂くよ?」
「ひゃうんっ……!?」
結局、どれだけ周りがドタバタしようとも、最後はアルヴィン様の甘すぎる独占欲の中に回収されてしまうルチアなのであった。




