別れの時
疲れ切ったローラの身体に、ふわりと暖かなものが流れ込む。
「これは……私の魔力?」
無意識のうちに奪われていたのであろう、ローラ自身の魔力がゆったりと身体を循環してゆく。
「アイツが吸い取ったものが、元の場所に帰るのよ」
魔力の流れが見えるのか、モモが穏やかに目を細める。
紅く染まっていた髪は艷やかな黒に戻り、毛先だけが鮮烈な紅を残している。
『白鳥』が奪った魔力が王都中に広がってゆく。
魔力の枯渇でノックアウトしていたジョージも、意識を取り戻したようで顔をしかめながら上体を起こした。
「いってぇ……」
「ジョージ、大丈夫?」
「ああ……ごめんな、守るって言ったのに」
「何を言ってるのよ、ジョージが居てくれてとても心強かったわ」
事実、ジョージが居なければローラはシャンデリアに押し潰されていたかもしれない。
それ以前に、セレモニー会場から逃げ出すことも出来なかったであろう。
「終わったんだな」
「そうね……先生のおかげだわ」
顔色の悪かったリコやオータムナル王太子の調子も戻っている。
この様子だとすぐに意識を取り戻すだろう。
そして、王都で眠りに落ちていた『眠り姫』たちも、目を覚ますはずだ。
「ゲルダ様も意識を取り戻されるかしら」
「きっと大丈夫よ、あの子は強いわ」
「……先生の生徒さんも、大丈夫かしら」
一つ瞬いたモモが、柔らかに微笑む。
「ええ、あの娘も強い子だからきっと大丈夫よ」
「……そう、よかった」
ここから遠い異世界で、同じように眠りに落ちているであろう、モモの教え子が目覚めてくれることを、そっとローラは願う。
「……あら」
それは、突然であった。
大量の魔力が一処に集まったからであろうか、モモの背後の床に亀裂が走り、まばゆい光が溢れた。
「……歪み、か?」
ジョージが低い声で呟く。
ローラも、実物は見たことがなかったがそれが別次元へと繋がる『扉』なのだと直感で理解した。
「んふふ、ちゃんと間に合ったみたいね」
歪みを背中に、モモが安堵したように破顔する。
己の背後にあるそれが自分を迎えに来てくれたものだと、解っているかのようであった。
「センセイ……帰るんだな」
ローラの肩を、ジョージがそっと抱く。
まるでローラに寄り添うように触れられた手は、ひどく優しい。
「ええ、アタシの役目は終わったもの」
モモらしからぬ静かな微笑みに、つきんと胸が痛む。
これでモモは元の世界に帰れる、消滅の危機は免れた。
けれどローラにとっては、モモとの永遠の別離を意味していた。
「……先生、ずるいわ」
たった一ヶ月の関わりだった。
しかし気付けば、ローラにとってモモは心安らぐ大きな存在となっていた。
「私、まだ『笑顔の似合う淑女』になれてないのに」
ワガママだとわかっている、駄々をこねるなんて淑女らしくないなんてわかっている。
けれど、寂しい行かないでほしかった。
王都に来てから六年間、誰にも見せずにずっと耐え忍んでいた涙が、決壊を起こした。
「分かってるの、でも寂しいのよ」
一度溢れたものは、とどまることを知らない。
子どものように泣きじゃくるローラを、ジョージはただ抱き寄せて、優しく髪を撫でる。
寄り添う二人の様子を眺めながら、モモは満足そうに微笑んだ。
「ねえ、ローラ。 出会いがあれば別れがあるのは必然なのよ」
語り掛けるモモの声は穏やかで、温かみのあるものだ。
あふれる涙を拭いながら、ローラはそっとモモを見上げた。
「けれどね、その別れにはきちんと意味があるもの」
「意味……?」
こくりと頷いたモモが一歩、ローラ達に近付く。
ヒールの乾いた音が、室内に響く。
「アタシはこの世界にやって来たのは夢魔を倒すためだと思っていたの」
軽く膝を曲げ、ローラに視線を合わせたモモが、にっかりと底抜けに明るい笑顔でこう告げた。
「でも違ったわ、貴女に会うためよ、ローラ!」
言葉の孕んだその温かさに、ローラは口元を覆ってしゃくりあげる。
涙に濡れた青い瞳を向け、震える唇を開く。
「私、まだ先生に教わってないことが沢山あるわ」
別れを惜しむローラに、モモは静かに頭を振る。
「貴女、一ヶ月前を思ったら変わったわよ……自分の意思で前を向けるようになった」
その声には、確固たる自信がありありと満ちている。
大きな手のひらをローラの肩に乗せて、モモは活気に満ちた顔で断言したのであった。
「貴女はもう、風花令嬢なんかじゃないわ!」
暖かな激励に、ローラの胸が悲しみから認められた喜びに塗り替えられていく。
「先生……先生!」
こぼれ落ちる涙は、止めどない。
耐え切れずにモモに縋り付き、幼子のように声をあげて泣いた。
「あらあら」と小さな声で呟いた後に、あやすように背中を撫でられるその大きな手は温かい。
「ジョージ、アナタならローラと一緒に幸せになれる筈よ。 ローラをよろしくね」
「……分かってる、ローラは絶対に幸せにする。 向こうでも元気でな、センセイ」
「ええ、アナタもね」
頭上で、モモとジョージの会話が飛び交う。
いつもならばモモに皮肉を浴びせるジョージの声が、いつになくしおらしく聞こえる。
(ジョージも、悲しいのね)
彼もモモの『生徒』であった。
彼なりに、モモとの別れを惜しんでいるようだった。
「あのねローラ、先生は『先に生きる者』なの」
ローラの頭を優しく撫でながら、モモが穏やかに言葉をかける。
その温もりが、優しさがこれから失われてしまうことがあまりにも名残惜しい。
「生徒に見本になるよう、アタシはアタシに胸を張って生きていくわ」
「せんせぇ……」
「ンフフ、別に死に別れる訳じゃないわ。 ただ、別の所で強かに生きていくだけよン」
そっと、身体が離したモモが肩に手を置く。
鼻が詰まって思わず鼻声になってしまうローラを、我が子を見るような優しい目でモモは小首を傾げる。
その顔は、何故か幼い頃に死んだ母の穏やかな笑顔を思わせた。
「だから、笑顔でお別れしましょ。 ……アナタの、とびっきりの笑顔で見送って頂戴な♡」
モモの願いに、ローラは嗚咽を漏らしながら頷く。
ゴシゴシと乱暴に目元を拭い、勢いよく顔を上げる。
――一ヶ月分の、多大な感謝を込めて。
汗と涙で化粧は乱れ、髪は乱れていたが、懸命に笑うローラのその顔は、満開の桜の花のように華やいでいた。
「ありがとう、モモ先生!」
その笑みに満足したように、モモもまた満面の笑みを浮かべた。
「楽しかったわ、ローラ! アナタの物語のヒロインはアナタだということ、忘れないでね!」
ひらりと手を振り、モモがローラたちに背を向ける。
強い光を放つ歪みに、ヒールを履いた足が一歩踏み入った。
モモの身体から、紅い粒子がぶわりと舞う。
光に包まれながら、モモは最後に一度だけ肩越しにローラへ視線を送り、凛と天を仰いだ。
やがて、天を仰ぎひずみの向こうへと、筋骨隆々な大男の姿が消えていく。
ジョージに寄り添われながら、ローラは止め処なく溢れる涙を拭いもせず、紅く光る粒子の最後の一つが消え失せるまで見守っていたのであった。




