『天使様』
会場の広間を潜ると、そこは無音が支配していた。
流行りのメロディーを奏でていた音楽団は楽器を片手に倒れ伏し、高価なドレスにワイン染みをあちこちに作りながら婦人や令嬢が無防備に寝息を立てている。
「お父様……っ」
まず、ローラの目に入ったのは、意識を失った兵士達の下敷きになるように、倒れている父であるブロッサム伯爵の姿だ。
それに気付いたジョージが、兵士を傍らに転がしてブロッサム伯爵を救出した。
「大丈夫、骨が折れてる感じもなさそうだ」
「良かった、サンフラワーのおじ様は……?」
「……まあ、どうにでもなるだろ」
同じようにサンフラワー伯爵の上に伸し掛かって眠る兵士を足でどかしながら、ジョージが小さく頷く。
二人が無事な事に少しだけ安堵するローラの目の前を、モモがヒールの音を響かせながら通り過ぎた。
「……アナタが、トリガーってわけね」
豪勢なシャンデリアの光にきらめく黒い瞳が捉えるのは、黄色のドレスに身を包んだリコ・オスマンサス侯爵令嬢であった。
全円形のドレスはまるで黄薔薇の花のように広がり、座り込んだ彼女を更に儚く可憐に見せている。
その膝には、青白い顔をして眠るオータムナル王太子の頭を乗せ、その頬を薄黄色の手袋を嵌めた手で静かに撫でている。
(なんて、禍々しい……)
その甲斐甲斐しい姿とは裏腹に、彼女の纏う空気は何処かどろどろとした昏いものだ。
おおよそ、『聖女』と呼ばれているものが纏って良いものではない。
「参加者の面々の精気を吸って、更に強化したのね。 とんでもない事をしてくれたわ」
モモの低い声が、静かな会場内に響く。
その声に、リコはゆっくりと榛色の瞳をこちらに向けた。
「オスマンサス侯爵令嬢、どうしてこんな事を?」
「……ごめんなさい。 あたし、どうしても王妃になりたかったの」
思わず投げかけたローラの問いに、リコが静かに答える。
「最初は愛妾でも全然良かったの、オータム様の側に居れるなら。 けれど、周りはきっとあたしを許してはくれない」
「そんなこと……」
「無いって言い切れる? 平民上がりで男爵令嬢としての教育がやっとな田舎上がりの女を、王家が愛妾でも置くとは思えないわ」
大きな瞳からはらはらと涙がこぼれ落ちる。
それを見れば、ローラは何も言えなくなった。
(彼女は自分の事をよく分かっていた、だからこそ諦められなかったのだわ)
言葉に詰まるローラを背中に隠したのはモモだ。
広い背中の後ろで、ローラは怒りに思わず唇を噛んだ。
(そうやって彼女を次の宿主にしたのね……『白鳥』!)
ローラを後ろに庇いながら、モモが険しく目を細める。
その視線は、泣き崩れるリコの後ろに向けられていた。
「ああ……まだ、『起きて』いらしたの?」
王や王妃すら玉座で眠るこの異様な場に、艶のある甘い声が降る。
ドレスの隙間からこぼれ落ちそうな胸部を隠すこともなく、艶然と微笑むのはリコの後ろにある窓際にて佇んでいた、オスマンサス侯爵夫人だ。
「アンタ、自分が何をしたか分かってるんでしょうね?」
「まあ、怖いお顔。 せっかくの美丈夫が台無しですわよ」
「その気持ち悪い芝居、似合わないわよ」
ふくよかな肩を震わせ、扇子の影で女が笑う。
その笑い声に、別の誰かの声音が少しずつ重なっている事にローラは気付く。
「うふふふふふ、あはははは……僕はただ、彼女の夢を叶えてあげただけさ」
淑女の皮を被った魔性が、姿を現す。
羽根飾りの扇子を弄びながら、『それ』は嘲るように嗤った。
「邪魔なライバルは消え、彼女は王子と結婚……やがて、シーズニア王国初の平民出身王妃としてこの国に君臨するだろう」
オスマンサス侯爵夫人のものとはちがう、少年めいたハスキーボイスが朗々とリコの未来を語る。
「ああ、安心しておくれ、国の者たちの記憶は塗り替えておくさ。そうだな、『聖女リコは恐るべき魔女ローラ一行と対峙し、一人でそれを退けた』……なんてどうだい?」
「……安っぽい話ですね」
あまりにもご都合がすぎる話の内容に思わず顔をしかめる。
ローラの様子の何が面白いのか、『白鳥』は口端を酷薄に持ち上げた。
「物語としては無難じゃないかい? もっとも、学も気品もない平民上がりが王妃になってこの国が発展するとは思えないけれどね」
肩をすくめた、侯爵夫人の皮を被ったそれが、冷たい目でリコを見下ろす。
びくり、とリコの小さな肩が震えた。
「それにしても、王子様と幸せに過ごしたいならまだしも、王妃になりたいだなんて……あはは、大人しい顔に似合わない野心家だ」




