『氷雪の薔薇』の夢
ゲルダ・スノードロップは、シーズニア王国でも歴史あるスノードロップ公爵家の姫君として産まれた。
幼い頃より聡明であったゲルダは、淑女としての教養を叩き込まれ、スノードロップ家の令嬢として申し分ない娘へ育った。
血のように紅い唇にブルネットの豊かな髪。
北の端にあるスノーホリィ侯爵家の血を引く母によく似た容姿を引き継いだゲルダは、まさに物語に出てくる『白雪姫』のような惹きつける美貌を持っていた。
しかも、四才の際にはスノードロップ家の者でもごく一部しか使えないという『氷結の魔法』が発現し、王太子妃候補として扱われる事となった。
「さすがはスノードロップ家の姫君だ」
「未来の妃は、決まったも同然だ」
周りの、とりわけ両親の期待はゲルダが成長するにつれて高まっていった。
そんな周りを見やるゲルダの目は、冷たかった。
(当たり前のことじゃない)
それはゲルダにとっては当然のことであり、シーズニアを支え愛する『王妃』になることは義務だとすら思っていた。
同じ年である婚約者のオータムナル王子は、正義感が強く優秀ではあったが、どうも信頼した人間の言う事を鵜呑みにするきらいがある。
王となる者としては、致命的な欠点だろう。
(わたくしは、公平な立場でいなければ)
オータムナル王子とは、最初は差し障りない付き合いをしていたが、口うるさいゲルダに辟易した様子も見せていた。
政略結婚に愛は不要、同じく政略結婚である母の言葉にゲルダも同意であった。
(全ては、シーズニア王国の繁栄のために)
その冷たいまなざしから『氷雪の薔薇』と呼ばれようとも、未来の民の事を見据え、辛い王太子妃教育も涼しい顔でこなしていた。
その結果、ゲルダは同年代の令嬢たちの憧れの的となったのだ。
特に、父の広げる商会の傘下であるイースター伯爵の令嬢はゲルダを慕い、崇拝に近い眼差しを向けていた。
(これでいいのよ)
地位も名声も美貌も有り余るほどある。
気高い『氷雪の薔薇』のイメージを壊さないよう、大好きであったぬいぐるみや可愛らしいアクセサリーは自室に閉じ込めた。
ゲルダ・スノードロップ公爵令嬢は実に恵まれた令嬢であった。
しかし、その心は空虚であった。
◆◆◆
「……はぁい、これがアイスクリームの材料よぉン」
カリカリと紙を引っ掻く小さな音が心地よい。
目の前に座る、メイド服を着た筋骨隆々の大男から用紙を差し出されたゲルダは優美な手つきでそれを受け取った。
「生クリームに卵に砂糖……殆ど水分で出来ているのね」
「確かに、それならあの口どけの軽やかさも納得ですね」
大男の隣に腰掛けるのは、同じ王太子妃候補であるフローラ・ローラ・ブロッサムだ。
白銀の腰までの長い髪に涼やかな青い瞳、その頭部には花の精霊の血を引く事を証明するように春咲花の花が咲いている。
まるで春の妖精のような、可憐な娘だとゲルダは思う。
彼女とは確執も有ったが、ローラの歩み寄りを経て無事に和解を果たした。
最初は仲良くしてみたいと思っていた令嬢だ、再び縁を得られたことは喜ばしかった。
「あとは、配合を変えたり材料を加えたりすることでバニラ以外の味も作れるかもしれないわねぇ」
「珈琲や紅茶、果物やナッツなんかも合いそうね」
「その、ゲルダ様……砂糖の代わりに蜂蜜を入れても美味しいかと」
「良いわね、スプリンダ領の新鮮な蜂蜜を使ったらきっと美味しいわ」
白い頬をうっすらと桃色に染め、無言ながらもこくりと頷く彼女は可愛らしいと思う。
ゲルダ自身が末っ子だからであろうか、一つ下であるローラと接していると、妹を持つ姉の気持ちが体験出来た。
(確かに、こんなに利発で可愛い妹なら嬉しいわね)
王太子妃候補に選ばれた令嬢は、仮に王太子妃に選ばれずとも第二王子や王族の血縁、つまりスノードロップ家などの公爵家に嫁ぐ事が多い。
親族として接する機会も増える可能性が高いだろう、それも踏まえてローラとは仲良くしておきたかったのである。
(それにしても、ローラ様は本当に変わったわ)
新たに淹れられた紅茶を口に運びながら、ゲルダは目の前で親しげに言葉を交わすローラと、その教育係の姿を見やる。
ローラは優秀であったが社交はひどく不得手であった。
言葉選びも下手で、悪意なく人を傷つけてしまうことも多々あったが、何よりも深く人と関わることを恐れていたように思える。
(……きっかけは、この男ね)
男と呼ぶには奇っ怪な、メイド姿の大男。
ブロッサム家に仕え始めた『旅人』は、どうやら『風花令嬢』に多大な影響を与えたようだ。
(けれど、変わる意志を見せたのは、他でもない本人だわ)
少しずつだが、彼女は変わりつつある。
母方の遠縁であるスノーホリィ侯爵令嬢とも仲を深め、少しずつ自分の立場を改善していた。
(きっと引く手数多になるわ)
王太子妃に選ばれるのは、間違いなく自分になるだろう。
ローラはその際、第二王子妃として迎えられる可能性が高い。
ゲルダの一つ上の兄もまだ婚約者は決まっていないため、スノードロップ家に嫁ぐ可能性ともある。
(サンフラワー伯爵令息に、チャンスは有るのかしらね)
ローラの幼馴染である彼は、どう動くつもりなのだろうか。
どちらにせよ、初めてできたこの親友とは長い付き合いにしたいものだ。
「どうかされましたか? ゲルダ様」
「……いいえ、今日という日がずっと続けばいいと思っただけです」
「まあ……」
ぽ、と頬を染めてはにかむその姿はまさに春の妖精のよう。
その姿を愛らしく思いながら、ゲルダは慈しみを込めた笑みを送るのであった。




