この物語のヒロインは②:sideリコ
「具合はどうかしら?」
リコが返事をすると、ドアが開かれる。
そこには豪華な夜会のドレスに身を包んだオスマンサス侯爵夫人が、酒で高揚した様子でにこやかに立っていた。
立場上、パーティーのホストはオスマンサス侯爵だが、そんな彼も夫人にはいっさい頭が上がらないのだという。
人のよい笑みを浮かべる彼女に、リコはたどたどしくカーテシーをとる。
「オスマンサス侯爵夫人、ご心配いただきありがとうございます」
「コルセットもヒールもまだまだ慣れないわよね、仕方ないわ」
彼女は王妃の姉、つまりオータムナル王太子の伯母にあたる人物であり、華やかな金の瞳やオレンジの瞳は彼とよく似ている。
扉を音もなく閉めた彼女は、リコの顔を見て一つ瞬く。
「あらまぁ、泣いていたのかしら。 今日、スノードロップ公爵令嬢のお茶会で何かあったの?」
「あ、いえ……違うのです」
リコの涙の跡を見つけたのであろう、心配そうに眉をひそめながら扇子を広げて口元を隠すオスマンサス侯爵夫人に慌ててリコは弁明する。
確かにイースター伯爵令嬢をはじめ一部の令嬢からは辛く当たられたが、自分の無知が招いた結果だとはよく分かっていた。
「あたし、本当に貴族のお嬢様には向いていないなと思い知っただけなんです……ごめんなさい、こんな弱音ばっかりで」
「リコさん……」
気の毒そうに一瞬瞳を逸らした夫人が、ぱちりと扇子を閉じる。
「可哀想だけれど、貴女はこのままではただの男爵令嬢で終わるでしょうね」
いつに無く、厳しい言葉だ。
「男爵令嬢程度の教養を身に着けて、パンプキンス男爵家の血を遺すために嫁に出される。 ……嫁ぎ先は子爵、良くて伯爵家程度かしら」
「……はい」
このままでは、オータムナル王太子の愛妾にも選ばれないと言われているも同然だ。
(オータム王子のお傍にも居られないんだな、今のあたしは)
不甲斐ない現状を目の当たりにし、リコは俯く。
体の前に組んだ、上質な絹の手袋の下の指先に思わず力が入った。
「――貴女は、それでいいの?」
「……え?」
オータムナル王太子とよく似た色の瞳が細められる。
「このままでは殿下の正妃は間違いなくスノードロップ公爵令嬢か、ブロッサム伯爵令嬢に決まるわ」
王太子妃候補二人は、リコ自身のことは取りに足らぬ存在だと思っているが、周りはどうだろうか。
特にオスマンサス侯爵家と対立しているスノードロップ公爵家はリコの存在を許さないはずだ。
きっと、自分は排除され別の家に嫁入りされてしまうだろう。
(オータム王子……)
思い浮かぶのは、金の髪と華やかなオレンジの瞳だ。
お忍びで靴屋を訪れた際の彼の笑顔や、逢瀬の時の穏やかな顔が浮かぶ。
「ねえ、リコさん。 あたくしなら、貴女を助けてあげられるわ」
リコの胸中を察するかのように、オスマンサス侯爵夫人が幼さの残るリコの頬を両手で包み込むようにして触れる。
真っ赤な紅を引いた唇が、孤を描くようにして持ち上げられた。
「この物語の、ヒロインは一体誰かしら?」
「――っ」
最初は、傍に居れるだけでよかった。
ゲルダやローラが言うように、愛妾扱いでも傍で彼を支えられたら、それでも良いとすら思っていた。
でも、リコはそこまで成人君子にはなれなかった。
(力が欲しい……彼の隣に堂々と立てる力が……)
オスマンサス侯爵夫人の言葉が、純白な布に落とされたインクのようにリコの心に染み渡ってゆく。
一度そう思ってしまったそれは、もう覆すことは出来なかった。
「なりたい……」
まるで、老婆のような掠れた声だ。
「王太子妃になりたい……あの二人に、オータム王子は渡したくない!」
リコの言葉に、オスマンサス侯爵夫人がにたりと笑む。
「自分に素直な娘は、好きよ」
榛色の瞳には、目の前の貴婦人しか映らない。
……否、その背後にいつの間にか佇む影から伸びる白い翼しか、目に入らなかった。
嗚呼、その姿はまるで。
「……天使、様?」
魅入られたように、聖女は小さく呟く。
その足元に、純白の羽根が舞い落ちる。
真実を映すのを拒むかのように、ドレッサーの鏡に細やかなヒビがはいった。
明日からは5章『加速する眠り姫病』をお送りします。
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