旅立ちの朝
窓を開けると、朝の涼やかな風が僅かな潮の香りと共に入り込む。
爽やかな空気を肺いっぱいに吸い込み、深呼吸を繰り返すローラの、白銀の髪がふわりとたなびく。
(三日、経つのは早かったわね)
この急な小旅行も今日が最後だ。
昼前にはサンフラワー邸を旅立ち、王都に帰るのだ。
「……」
ちらりと、備え付けのアンティークテーブルへと視線を向ける。
その上には、昨日作ったばかりのパールピンクのマニキュアが置かれている。
さすがに、モモの所持しているものと瓜二つのものは作ることは叶わなかったが、それでも納得のいくものが出来たと思う。
(あとは、スノードロップ公爵令嬢が気に入ってくださるか)
『氷雪の薔薇』と呼ばれるゲルダ・スノードロップは自他共に厳しく、ローラとは違うベクトルで気難しいと言われている。
この贈り物を渡して、彼女が喜んでもらえるかは、ローラに自信はない。
――コンコン。
ふと、ドアが規則正しくノックされる。
「……起きてるか?」
その声は、聞き親しんだ幼馴染のものだ。
「……ちょっと待ってちょうだい」
着替えは既に済ましているため、人前に出ても問題はない。
扉をひらけば、そこにはジョージが立っていた。
「おはよう、よく眠れたか?」
「おはようジョージ、ぐっすり眠れたわ」
ローラの答えに、ジョージが安堵したように小さく笑む。
先日誘拐未遂事件が有ってから、ジョージは昨日今日と寝起きにローラの様子を見に来てくれているのだ。
「その……ちょっと庭の散策でも行かねえか?」
「ええ、構わないわ」
幼馴染からのお誘いとは珍しい。
ジョージは照れくさそうに軽くそっぽ向きつつも、ローラが頷けば喜色が空色の瞳に混じる。
「じゃあ、行こうぜ」
差し出された手は、エスコートというよりは探検に誘う子供のように思えた。
港町の小高い丘に位置するサンフラワー邸の庭には、潮風があたる海沿いに紅のブーゲンビリアやラベンダーなどのハーブ、潮風に強い観葉植物などが植えられている。
それを防波堤にしてスクスクと伸びている向日葵は、この家の象徴であることを誇るかのように咲き誇っていた。
「あっという間だったわね」
「おう、中々刺激的な里帰りだったぞ」
ジョージの指が、ローラの髪に触れる。
摘んだのは、薄桃色の小さな花弁だ。
「楽しかったみたいで、安心した」
ローラの春咲花は潮風の中でも爛漫に咲いている。
宿主であるローラの機嫌や調子が良いからなのだろう、その事を知っているジョージの瞳も、穏やかだ。
「あんな事も有ったけれど、王都とは違った賑やかさは楽しかったわ」
「次は、あんな怖い目には遭わせないからな」
「ありがとう」
こくりと頷いたローラは、目の前に広がるサンフラワー邸の庭を見つめる。
こうやって幼馴染と旅行に行くことなど、もう許されることはないだろう。
「……」
己のこの先に待ち受ける運命を思うと気が重くなる。
それでも、進むと決めたのはローラ自身だ。
「本当はね、スノードロップ公爵令嬢にマニキュアをよろこんで貰えるかあまり自信はないの」
「ローラ」
「でも、やっぱり同じ王太子候補なのだから、今後のことも考えたら仲良くしたいの」
困ったように微笑むローラに、ジョージが少し考えてから口を開く。
「ローラは何で、そのマニキュアってのを贈り物に選んだんだ?」
「え?」
思い返せば、モモの爪先を彩るあのきらめきを見た時に興味を持ったのが始まりだった。
「モモ先生のネイルが可愛くて……」
そこで、根底に眠っていた本当の理由を見つけた。
「私、スノードロップ公爵令嬢にも『可愛い』と思ったものを差し上げたかったのかもしれないわ」
もし彼女の爪先をローラのそれと同じように染めて飾ることが出来たら、彼女と分かり合えるきっかけになるかもしれない。
そう思ったのだ。
「俺は女のオシャレはまっっったく分からん。 でも、ローラが可愛いと思ってるならいいんじゃないか?」
「……そうね、そうよね」
心のモヤが晴れた気がする。
自然と口角が上がり、ローラは穏やかに微笑んだ。
「ありがとう、ジョージ」
「……おう」
ジョージが少しの沈黙の後、そっとポケットから細長い箱を取り出す。
「これ、やる」
「……え?」
ビロードの小箱をジョージが開けると、そこにはパールシェルと小さな春咲真珠をあしらったネックレスが輝いていた。
「事後処理した帰り道に、市場で見つけた。 王都で、こういうネックレスが流行ってるんだろ?」
首の後ろの留め具に、リボンが結わえてあるのが今の流行りだ。
そういえば、リコも王太子に瞳の色の宝石をあしらった豪華そうなバックリボン・ネックレスを贈られていた。
「その、なんだ……戦勝祈願みたいなもんだ」
「……ふふ、なにそれ。 戦勝って」
「に、似たようなもんだろうが。 茶会は女の戦場だって母上も姉上も言ってたぞ」
堅苦しい言い方がおかしくて、つい笑ってしまうローラにジョージが顔を真っ赤にして言い返す。
「ふふ、ふ……ありがとう、お茶会の時に着けていくわね」
「おう、きっとお前を護ってくれる」
春咲真珠も、つま先を彩るマニキュアも同じような色をしている。
きっと上手くいく、そう予感しながらローラは静かに頷いた。




