風邪を切って走れsideジョージ
最初彼と会った時、ブロッサム前伯爵は本気でボケたのかとジョージは思った。
それほどまでに、幼馴染の十人目の教育係は中々癖が強い人物だったのだ。
騎士団でも中々居ない、筋骨隆々としたその男は淑女が身に纏うようなドレスを着ていた。
――こんなバケモンが、ローラの教育係をするのか?
異世界からやってきた『旅人』は、ジョージにとっても衝撃的な人物であった。
ローラはただでさえ繊細だ、こんなイロモノ相手にやっていけるのだろうか。
二人が乗った馬車を陰ながら見送りながら、これから苦労するであろうローラに心底同情と心配を募らせたのは一週間ほど前だ。
今、ジョージの目の前にはそのイロモノ……モモ・エンデの逞しすぎる背中がある。
(こいつ、一体なんなんだよ!?)
伸縮性の高そうな見慣れぬ黒の上下に身を包み、髪の毛をポニーテールに結い上げたモモは涼しい顔で目の前を一定のスピードで走っている。
これが中々、速いのである。
(くそ、追い付けない……!)
ジョージは基礎体力を作るために早朝のランニングと基礎トレーニングを雨の日以外は欠かさず行っている。
それはジョージが『騎士になる』と夢を携え王都にやってきた頃から、少しずつ負荷をかけながら欠かさず行ってきていた日課だ。
そんな朝のランニングコースで出くわしたのが、モモだ。
馴れ馴れしく話しかけて来たところを適当に切り上げて置いていこうと思ったのだが、こちらが付いていくのがやっとな状況になっているのである。
「あらァん、お顔の色が優れなくってよォ〜?」
ちらりとこちらを振り返ったモモが、明るく声を掛けてくる。
余裕綽々というその態度が気に入らない。
「調子上げすぎちゃったかしら?」
「別に、何ともねえよ……!」
「あらそーォ? んじゃあもうちょっと本気出しちゃおうかしら♪」
その瞬間、モモが地面を抉らんばかりに蹴り上げる。
先程よりも更にスピードが上がり、ジョージは驚きに目を見開いた。
「おい、マジかよ……っ」
百九十センチはあるであろう巨体は、当然脚も長い。
黒い髪を馬の尾のように靡かせて駆ける様は、まさに獣のようだ。
少しずつ引き離されていくジョージの様を、再びちらりとモモが様子を見るように一瞥する。
そして、まるでやんちゃな子供を見守るような目でフフンと笑ったのである。
「……バカにしやがって!」
ジョージの空色の瞳に闘争心が宿る。
限界が近い肉体に鞭打ち、太腿に力を込めて更に脚力を上げる。
目の前の景色があっという間に流れてゆく。
ジョージは無我夢中で、目の前をゆくモモを追いかけたのであった。
◆◆◆
どれ程走ったであろうか、いつものランニングコースを外れて辿り着いたのは街の外れにある小高い丘であった。
何時もの倍近くの距離を全力疾走させられたジョージは、体力どころか気力の限界を迎えてその場で倒れ込む。
「ぜはっ……は……はーっ……」
ゴロリと仰向けになり、大きく胸を上下させて空気を取り込む。
減らず口一つ叩けない。
心臓の音が、まるで耳元で鳴っているかのように煩い。
「ふう……お疲れ様、ちょっと休憩しましょ♡」
疲労困憊のジョージを見下ろしながら茶目っ気たっぷりに微笑むモモは、発汗や息の乱れは有るものの、まだまだ余裕そうだ。
「何だよお前……体力どうなってんだ……」
「んふっ、これでも美容と健康と諸々のために鍛えてンのよ」
美容と健康のために毎日この距離を全力疾走しているのは、きっとこの教育係くらいだろう。
「見かけ倒しじゃない訳か……はあ」
「いつまでも若々しく綺麗でいたいの、この乙女心お分かり?」
「お前男だろーが、ドレスなんて着やがって」
「んま! そんな事言うのはこのお口かしら?」
「いでででで」
眉を吊り上げたモモが、ジョージの頬をギュッと摘む。
やめさせようとしようにも、逞しすぎる腕はびくともしない。
頬を横に伸ばされながら腕をタップするジョージに満足したモモが手を離した。
「服装に男も女も無いわよ、好きなものを着てるだけ」
「好きなものねぇ」
「そ、ローラといいこの国の人はどうも役割にガッチガチに当て嵌めようとするきらいが有るわね」
よく見たらあのケバケバしい化粧は施していないようだ。
その素顔は、なかなかの美男子である。
「皆もっと自由になればいいのにね」
「お前が自由すぎるだけだろ」
「オホホ、人生は一度きりだから楽しまなきゃ損よ」
モモに差し出された手を取り、立ち上がれば爽やかな風が頬を撫でる。
丘の上からは街が一望できる。王城もなにもかもが、ここからは掌に収まりそうに思えた。
「……ローラは元気か? 周りから虐められてないか?」
ぽろりとこぼした言葉に、モモが傍らに立ちながら頷く。
「ええ、今のままじゃダメだって頑張ってるところよ」
「そうか……」
半年ぶりに会ったローラは本当に綺麗な令嬢に育っていた。
妖精のような儚げな見た目ながらも、芯の強そうな青い瞳は幼い頃と変わってないように思えた。
「バカみたいだろ、極力近寄らないようにしてるのに結局気になるんだよ」
「……バカになんかしないわよ、それがアナタの優しさなんだから」
モモと名乗るこの教育係は、ローラを変えるためのきっかけになったのだろう。
悔しいがなんとなく、ローラが何故彼を気に入ったのか分かる。
「騎士を志しているのはローラのためでしょ?」
傍らに立つモモの率直な問いに、少しだけ思案した後に頷く。
「……おう」
「確か、近衛騎士には王妃付きに任命される者も居るらしいわね、けなげじゃない」
もし、ローラが王妃になれば近くで彼女を見守ることができるだろう。
そして。
(もし、万が一王妃にならなかったら)
全ては空想の話だ。
それでももし、己が騎士となり地位や名誉を築けたならば。
もしかしたらローラと結ばれる未来も、あるかも知れない。
「夢が有るのね、良い顔してるわ」
こちらを見下ろす黒い瞳は全てを見透かすような光を持っている。
見つめていると、胸の内を見透かされそうでジョージは目をそらした。
「別に、それこそ俺の自由だろ」
「なるほどね、基礎体力も申し分ないし何より根性も有りそうだわ」
無邪気に褒められると、悪い気はしない。
「……今度、準騎士同士での試合があるんだ、そこで好成績を収めたら来年に正騎士に選ばれるかもしれない」
「あら、それは頑張らないとね!」
これはジョージの夢を叶えるための一歩だ、言われずとも気合を入れるつもりだ。
丘から見下ろす街は、少しずつ朝の賑わいを見せていくだろう。
大切な幼馴染は、庭に水やりをしているだろうか。
「アナタの夢が、叶うと良いわね」
モモの瞳が、人懐こく細められる。
街並みを見下ろしたまま、ジョージはそっと決意を固めるように両手を握り締めるのであった。




