ローラ、空を飛ぶ
ハンドクリーム作りを教わったのは、今は亡き祖母からだ。
庭で育てたハーブや薬草を採取し、蜜ロウやオイルを使ってクリームや軟膏を作っていた。
小さな丸眼鏡を掛けた祖母は、手先がとても器用だった。
「ローラちゃんのお手々はちいちゃくて可愛いわね」と、皺の刻んだ目を細めながら出来立てのクリームを手に塗り込んでくれたことを今も覚えている。
バスケットにジョージが好きな焼き菓子とメアリーが作ってくれたラベンダーシロップ、そしてハンドクリームを詰めたローラは庭先に咲くラベンダーを眺めていた。
(すごい、もう芽が出てるわ)
ハンドクリームやシロップを作るために昨日、ラベンダーに魔法を掛けたが、今もその影響を色濃く受けているようだ。
一晩のうちにワッサワッサと濃淡様々な可憐な花をつけて誇らしげに揺れるラベンダーは、まるで『私、頑張ったでしょ?』と言わんばかりだ。
「きっと、喜んでくれるわ」
ラベンダーと同じ色のスカートが、風に揺れる。
花の香る甘さを楽しむローラに、声をかけたのはモモだ。
「お待たせ、ローラ」
「先生、その口紅良い色ですね」
「ンフッ、ラベンダールージュよン♡ 夏の新作が可愛すぎて全部買っちゃったのが生きて良かったわ」
モモの唇は、ラベンダーとよく似た色味の口紅で彩られている。
ドレスも肩は空いているが品の良いデザインのもので夏の爽やかさを意識しているかのようだ。
「先生の世界では化粧品が発達しているのですね、顔中キラキラで凄いです」
この世界の化粧品は高額であり、種類もそんなに多くはない。
ローラは化粧自体あまり得意ではないため、顔色が悪い時に白粉と紅を軽く差すくらいだ。
そのためか、日々違う化粧をしているモモは、街を歩くととても目立つのである。
「メイクはアタシの鎧みたいなものだからね、日々のお手入れからメイク崩れ対策までしっかりやってるわよン♡」
モモも褒められると悪い気はしないようで、豊かな胸筋を誇示するように突き出し、ふふんと得意げに笑った。
「さァーてと、お喋りは楽しいけれどそろそろ行きましょうか」
「……そうね」
ジョージの兄であるソーラには、伝達魔法が使えないローラに代わりメアリーがお伺いを立てて、既に許可は貰っている。
ただし。
「馬車で行くと、目立つわよね」
サンフラワー兄弟が住まうタウンハウスのある付近は、地方から来た若い貴族やその家族が住まう比較的閑静な場所だ。
しかし、それでも人の目は有る。
ブロッサムの家紋のついた馬車で行こうものなら、何かしらの噂が流される恐れがあるのだ。
「だーいじょうぶ、ちゃんと考えてあるから♡」
ハンドバッグを片手に、モモが自信に満ちた顔で胸を叩く。
大きな手がバッグの中から取り出したのは、白い日傘だ。
フリルのついた、どこにでもありそうなデザインである。
「こっちに来てちょうだい」
どうするのかと見守っていると、含んだような笑みを浮かべたモモが手招きをする。
「……何でしょうか」
訝しみながら近寄れば、「ちょっと失礼♪」と軽い調子で断りを入れたモモが、ローラの膝裏に手を差し込みあっと言う間に片手で抱き上げてしまった。
「……!?」
いきなりのことで声も出ない。
目を剥いたまま借りてきた猫のようになっているローラに、悪戯な笑みを向けてモモは片手で日傘を器用に開く。
「さあ、行くわよォン!」
その刹那、突風が吹き上がる。
あまりにも強い風に思わず目を閉じ、ローラは顔に当たる風の抵抗に耐える。
バサバサと暴れていた髪が落ち着き、恐る恐る青い瞳が開かれる。
足元には、ミニチュアのようになった邸と裏手の森が広がっていた。
「――っ、あ、えぇ……?」
思考が追いつかない、今自分は何処にいるのだろうか?
「しっかり掴まってちょうだいねン♪ じゃないと、落っこちちゃうから!」
「……ひっ!」
置かれてる状況を理解したローラは、反射的にモモの逞しい首周りに腕を回した。
はしたないとか、そんなことを言っている場合ではない。
「も、もも、もうすこしやり方があったんじゃないの!?」
「あらン、高い所は苦手だったかしら?」
「こんなの誰だって怯みます!」
当のモモはケロリとした顔で笑っている。
いつもすまし顔のローラが焦っているのを楽しんでいるみたいだ。
「これなら馬車よりも速いし、タウンハウスまであっという間よォ」
そういえば、モモと初めて会った時もこんな感じで風に乗ってやってきた。
そう考えれば、この教育係はとんでもないことをしているのではと血の気が引いたままの額をローラはそっと抱えた。
「まさか、風まで操れるなんて聞いてないです」
「ウフフ、知り合いからもらった風の魔法と、ちょっとした視覚遮断の魔法を込めたお札を傘に貼り付けてるのよ」
「お、お札?」
「こっちの世界でいう魔宝石ね、アタシの世界では紙を使って力を使ったり結界を張ったりしてるの」
魔宝石は価値が高く、魔力を込めた魔道具に加工したり貴族が護身用に魔法を込めて持ち歩いたり、あとは純粋にアクセサリーに加工したりしている。
ローラが身に付けているブローチも、スプリンダ領にある鉱山でとれた魔宝石を加工して作ったものだ。
「……先生の世界にも魔法があるんですね」
「殆どの人は使えないし、使うには条件が有るんだけどね。 けど、鍛錬と精神の力でその威力は無限大に広がるのよ」
「先生、本当に何者なんですか」
「ンフッ、ちょっとミステリアスなのもアタシの魅力よン♪」
銀の髪と、火炎を纏ったような黒と赤のグラデーションの髪が風に靡く。
「この世界の魔法も同じ、精神の力で決まるの。 魔法もアナタの夢も、諦めたらダメよ」
タレ気味の黒い瞳が、優しく細められる。
昨日から、モモは大切なことをローラに説いているような気がする。
ローラは、バスケットを握りしめながら頷いた。
「さーて、そろそろタウンハウスが見えてくるわよ〜。
衝撃に備えてちょーだいね♡」
「……は?」
ローラのお尻を支えるモモの逞しい腕に力が入る。
嫌な予感がして、ローラはモモの首に縋り付いた。
――この後のことは、ちょっと記憶に無い。




