傷心のローラ
邸に帰っても、ローラはどこか上の空であった。
午後の勉学の時間もアフタヌーンティーでも言葉少なくぼんやりとしており、大好きな庭弄りもそこそこに切り上げるほどだ。
「大分キテるわね〜」
サンルームの椅子に腰掛けたまま、ポケッとした顔で虚空を見上げている姿は、淑女として人に見せられたものではない。
「サンフラワー伯爵令息ですか?」
「ええ、最後のがトドメになったわね」
「成る程〜、彼はお嬢様の唯一のお友達ですものね」
お茶を持ってきたアンが、モモとヒソヒソと話す声が聞こえるが、気にすることもせずローラは呆けた顔でぼんやりと天井を見つめていた。
(さすがに、堪えたな)
王太子にされた事はどうでもいい。
さすがに公衆の面前で罵倒されて手を上げられかけたのは初めてだが、彼はいつもローラを『性悪』だと見下しているのはいつものことだ。
それよりも、ジョージにあんな場面を見られた上に、見捨てるかのように目を逸らされたのが辛かった。
(さすがに、呆れられたわよね)
離れていても、味方だと思っていたのは自分だけだったのかもしれない。
数少ない心を許していた人間に拒絶されたような気がして、思わず大きなため息が出てしまう。
「はーい、ストップストップ!」
パチン!と目の前でモモが軽く手を叩き、ズブズブと沈んでいたローラの思考を引き戻す。
「……せんせぇ」
「なーに捨てられた子猫みたいな顔してるのよン、可愛いお顔が台無しだわ」
少し呆れたように微笑むモモの目は何処か慈しむように優しい。
「頭の中でグルグル考えていても纏まらないし、アタシの経験上絶対悪い方向に行ってもっと落ち込むから辞めたほうがいいわよォ」
「……では、どうしたらいいのでしょうか?」
「んー、そうねェ」
人差し指を立てて軽く左上を見上げながら軽く思案した後、モモはからりとした明るい顔でこう言い放った。
「ちょっとアタシとお喋りしましょ、今ならタダでハンドマッサージもしてあげるわよン♪」
◆◆◆
窓から入る日差しも、次第に黄金色に染まりゆく。
手袋を外し、椅子に腰掛けたローラはモモがバッグを開けるのをぼんやりと眺めている。
「今日は特別にぃ、アタシのオキニのハンドクリームにしちゃおっかしらァ♪」
ハンドバッグから可愛らしいデザインのチューブを数本出し、ニコニコと微笑みながらローラに語りかける。
「ローラの今の気分は? ローズにラベンダー、ホワイトティーにシトラスブロッサムなんてのも有るわよ」
上機嫌なモモとは反対に、ローラは何時にもましてテンションが低い。
「……お任せします」
「そーぉ? じゃあこれにしようかしら、限定品でいい香りなのよね〜」
投げやりな返事に気を悪くすることもなく、モモがピックアップしたのは明るいオレンジや赤などが使われたオリエンタルなデザインのものであった。
「ハンドマッサージなんて出来るんですか?」
「素人芸だけどね、お店で働いてた時に元エステティシャン……えっとマッサージ専門職の姐さんがいて教えてもらったのよ」
モモの手は体躯に見合って大きいが、よく見れば指先はしなやかで爪も綺麗な形をしていた。
爪は赤く染められており、ガラスのようなピンク色の細やかなものがキラキラと輝いている。
モモが掌にハンドクリームを出し、温めるように両手でこすり合わせるのを、ぼんやりと眺める。
ふんわりと柑橘系の香りが、柔らかく広がる。
「はーい、じゃあ片手借りるわねン♪」
本来ならば、家族以外の異性に素手を触らせるようなことはさせない。
それでもローラが素直に片手を差し出したのは、心が弱っているのとモモを多少なりとも信用し始めたからだ。
「ローラは王都に来る前はスプリンダ領に居たのよね、アタシも別邸でお世話になったけれど花が沢山あって過ごしやすい所だわ」
「スプリンダ領の蜂蜜と染料は国外でも高く評価されているんですよ」
「あら、そうなの! アタシ、ハニートースト好きなのよねン♪ ローラも塩蜂蜜クッキー好きよね?」
「ええ、うちの蜂蜜とサーマ領でとれる塩で作るんです」
傷一つ、ササクレ一つないローラの滑らかな手から肘にかけて、ゆっくりとハンドクリームを塗り拡げてゆく。
爽やかなシトラスやマンダリンの香りが心地よい。
他愛ない話も、緩やかにラリーが続いていく。
「ええ、ブロッサム前伯爵もお好きと聞くわ、大奥様がクッキーを焼くのが上手だったのだとか」
「お母様もお上手でしたよ、よく食べさせてもらいました」
基本的に食事はコックが作っていたが、ローラが口にするおやつは時折母や祖母が作ってくれていた。
よく作ってくれたのが、塩蜂蜜クッキーだったのだ。
「ローラにとっては思い出の味なのね」
「……はい」
ふと、思い出したのは五歳の頃の記憶だ。
母と妹を亡くし、すっかり塞ぎ込んでしまったローラを気にかけてくれたのは、同じ年であったジョージであった。
「ジョージもよく、塩蜂蜜クッキーを持って来てくれました。 二人で一緒にクッキーを食べながら、中庭でお茶をしたりしました」
「そうなの」
「母を亡くした私を気にしてくれていたのでしょうね、二人でこっそりお花畑に出掛けたり、丘の上で追いかけっこをしたり……懐かしい」
ひっそりと、青い瞳を細める。
二人で過ごしたかつての日々は、今のローラには眩しいものであった。




