一方的な『正義』
振り返れば、そこには悪鬼のような形相のオータムナル王太子が立っている。
地味な色合いのお忍び服ではないところを見る限り、所用あってここまで来たのだろう。
おおよそ、リコを迎えに来たというところか。
「……オータムナル殿下にご挨拶を」
ややこしいのが来た……という言葉を心中に隠しつつ、ローラは卒のないカーテシーで王太子に挨拶をする。
王太子は煩わしそうに目を細め、低い声で婚約者の一人に問い詰めた。
「フン、白々しい。 誤魔化しても無駄だ、私はしっかりと見ていたぞ」
「見ていた……とは?」
「見苦しいぞ、お前がリコを泣かせていた所をだ!」
撫でつけた髪を軽く後ろに払うような仕草の後、居丈高に言い放たれた言葉に、ローラはアルカイックスマイルを保ったまま内心では深く溜息をつく。
(どうせ、パンプキンス男爵令嬢が泣いているところしか見ていないのでしょうね)
正義感があるのは良いことだが、相変わらず視野の狭いお方だ。
「あ、あのオータム様。 あたしが悪いんです、あたしが勝手に泣いたりするから……」
オータムナル王太子の声はよく通る。
広場を行く紳士淑女が、何事かとチラチラこちらを見てくる視線にいたたまれないのか、リコがおろおろとした様子で口を開いた。
「何を言う、リコはそれで良いのだ。 辛い時には泣き、嬉しい時は笑う、それが健全なことなのだとお前が教えてくれたのではないか……」
ローラに掛けるものとは打って変わり、リコへの言葉は穏やかで優しいものだ。
ローラやゲルダには絶対しない物言いだ、リコの長いまつ毛を縁取る涙を軽く拭ってやったオータムナル王太子が憤怒の形相でローラを睨みつける。
「お前は悪戯に人の心を傷付け、母上を失望させるだけに飽き足らずリコまで虐め抜くのか!」
「虐めてなどおりません、『感情をみだりに顕にするのははしたない』と諌めただけです」
「リコがこんなに泣かせて何が『諌める』だ!
お前の事だからズバズバとリコの揚げ足を取るようなことをしたのだろう!」
「しておりません、リコ様もそうおっしゃってるではありませんか」
「リコは優しいのだ……それに、お前のような狡猾な加害者の前では言えるものも言えなくなるだろう!」
ダメだ、通じない。
心配そうにこちらを見ているリコを、怯えてると思ったのだろう。
彼女を隠すようにローラの前に進み出たオータムナル王太子はオレンジ色の瞳に侮蔑の色をにじませながら、ローラを見下すように嘲笑った。
「――どうせ心優しく人望厚いリコを妬んでいるのであろう。 お前は花を咲かすしか能が無いからな、花の精霊の末裔だか何かは知らんが、その軽はずみで花畑のような頭には似合いの魔法よ!」
周りがざわつく、王太子が平民上がりの男爵令嬢を庇い婚約者である伯爵令嬢を罵倒したのだから無理もない。
「さすがにあの『風花令嬢』も堪えるんじゃなくて?」
「あらお気の毒に、日頃の行いが悪いからこうなるのよ……」
周りの無責任な言葉には耳を傾けるような事はしない、胸の内に渦巻く負の感情が勢いを増すだけだ。
指先で口元を隠しつつ、ローラは青い瞳を穏やかに細めた。
「パンプキンス男爵令嬢にこれと言った感情はありません。 それに、白昼堂々と婚約者以外の異性と親密な様子を見せる殿下こそ、軽はずみではないのでしょうか」
その瞬間、王太子の纏う雰囲気が変わった。
額には青筋が浮かび、目つきはみるみるうちに吊り上がる。
「貴様ァ……私を同列に語るか!!」
逆上した王太子が、手を振り上げる。
リコや、周りの夫人から小さな悲鳴が聞こえた。
「……っ」
咄嗟のことに動くことも出来ないローラは、反射的に目を閉じる。
しかし、頬を襲うであろう衝撃や痛みがいつまで経ってもやってこず、そろそろと瞳を開けた。
「先生……」
ローラの目の前に、岩のようながっしりとした背中があった。
振り下ろした王太子の手を軽々と片手で受け止めたモモの表情は、こちらからは伺い知れない。
「王太子殿下、それはいただけませんわ」
「くっ……離せ、この化け物め!」
何時もよりも低い声だ、静かに……けれど苛烈な怒りがその巨体の中を渦巻いているのがわかる。
「大衆の面前で年下の……しかも、か弱い令嬢の頬を張るのがアナタの『諌め方』ですか?」
王太子が腕を振りほどこうともがくが、びくともしない。
端正な彼の顔に、自分の顔を近づけて静かに問いかける。
その後ろ姿からでも分かるモモの圧倒的な気迫に、オータムナル王太子は明らかに押し負けていた。
「くっ……貴様、名は!?」
頃合いかと、モモがパッと手を離す。
そしてローラの傍らに立つと、高らかに名乗った。
「アタシはモモ・エンデ! ローラ様の教育係ですわ、以後お見知りおきを♡」
「この屈辱、忘れぬからな!」
「やだぁン情熱的、アタシも忘れませんわァ〜♡」
王太子を敵に回しても全く動じないモモが、くねりと腰を捻りながら煽るようにウインクをする。
その様子に歯噛みするも、リコを促し、オータムナル王太子はバタバタと走り去っていく。
リコもまた、二人に一礼した後その背中についていった。
「はぁ〜、ヒッどいわねェ! 誰がバケモンよ、こんな美貌の淑女に向かって失礼しちゃうわァ」
去りゆく王太子達の背中を見送りつつ、モモが頬に手を当てプリプリと怒っている。
心の臓が鋼鉄で出来ているのかも知れないな、そう思いつつ口には出さなかったローラが、そっと辺りを伺う。
随分と見世物になっていたようだ。
国の王太子とその婚約者の諍い、しかも王太子ご寵愛の男爵令嬢も絡んでいるのだ、立派な醜聞である。
オータムナル王太子も、『公衆の面前で淑女に手をあげる短絡的な男』というレッテルを貼られ、相応のダメージは行くだろう。
しかし悲しいかな、この国では『浮気された令嬢にも非がある』という考え方をする者が多いのだ。
「いやはや、やはり『風花令嬢』だな」
「あの冷たい物言い……そんなだから、王太子殿下に愛想を尽かされるのでは?」
「あの可愛げのなさでは、婚約破棄も時間の問題では?」
面白可笑しく囁かれる悪評は聞かないふりをして、邸に戻ろうとモモに声を掛けようと口を開いた。
その、向けた視線の先に今ここで見たくない顔を、見つけてしまった。
(ジョージ……!?)
正騎士らしき男性三人と共に、幼馴染の少年がこちらを見ている。
ローラと目が合ってしまったジョージは動揺したように空色の瞳を見開き、そして気まずそうな顔をしながらそっと視線を外す。
そして、こちらに向かって一礼する先輩であろう騎士たちと共に礼を取り、立ち去っていった。
(見られた……こんな惨めで情けない所を……)
手袋に包まれた指先がワナワナと震える。
公衆の面前で罵倒された屈辱よりも、周りの好奇の視線よりも、耐え難い衝撃であった。
「……ローラ、帰りましょう」
どこか案ずるようなモモの声が、遠くから聞こえた。




