お父様が、来た
ローラが住まう邸に、ブロッサム家の家紋の付いた立派な馬車がやってきたのは、翌日の昼の事であった。
普段着である、清楚ながらも装飾を控えたドレスに身を包んだローラは、応接間の扉をノックする。
「入りなさい」
低く、静かな男の声だ。
扉を開けるとそこには、父であるブロッサム伯爵が大窓を背に立っていた。
「久しぶりだな、ローラ」
「お久しぶりでございます、お父様」
久々の挨拶を交わしたローラを、父は硬い表情で見下ろす。
「立ち話もなんだ、座りなさい」
「それではお言葉に甘えて」
端から見れば何ともまあ、父娘とは思えぬ他人行儀な会話だ。
お茶と軽食の準備をしたメアリーが、何とも言えない顔で二人の間を隔てるテーブルにそれらをてきぱきと置いていく。
軽く一礼して閉じられる扉の音を聞きながら、ローラは表情も無くティーカップに注がれた紅茶の水色を表情もなく眺めていた。
(なにを話すべきかしら)
最後に父と会ったのは実に半年以上前だ。
その時も差し障りのない会話をして終わった記憶しかない。
最近の話をすべきか、それとも明るい話をすべきか。
(明るい話といっても、珍しい花の種がそろそろ花を咲かせそうという事くらいしか話すことがないわ)
春の終わりに商人から買い付けた、珍しい異国の花の種を植えている。
夜に咲くのだというそれは大変芳醇で甘やかな香りを放つのだそうで、ローラ自身もその瞬間が見たくて毎日世話を頑張っているのだ。
(もし上手く咲いたら種をブロッサム領にも贈って、お父様やお義母様にも見てもらいたいのだけれど)
(ああでも、興味のないものをまくし立てるのもどうかしら、はしたないと思われてしまうかしら)
頭の中では雄弁であるが、端から見れば置物のように押し黙って動かないローラに、見かねて声をかけたのはブロッサム伯爵の方であった。
「……その、具合はどうだ」
「……はい、先日はご心配をお掛けしました」
「そうか、あまり根は詰めるな。 王都では奇妙な病が流行っていると聞く、充分気をつけるように」
「……ありがとうございます、お父様」
伯爵がカップを持ち上げ、香りを楽しんだ後に口につける。
そうして、静かに言葉を続ける。
「先程、登城してきた。 陛下や王妃様からお前の活躍は聞いている」
「そうですか」
「正直スノードロップ公爵令嬢相手に、分は悪いと思う」
持ち上げたカップの、水面が揺れる。
多分、父はこれまでのローラの活躍も悪評も知っているのだろう。
「だが、王家との繋がりを持つためお前の存在が必要不可欠だ……引き続き励むように」
「……仰せのままに」
カップを持ったまま、ローラは目を伏せる。
自分が王太子妃に望まれていないことは分かっている、このままだと選ばれるのは多分ゲルダだろう。
しかし、第二王子に婚約が移行する可能性も残されているため気が抜けないのが現状だ。
ブロッサム家のために、ローラは王家との繋がりを持たなければいけないのである。
「来月頭には王太子の十八歳を祝う誕生パーティーが開かれる、そこで王太子妃を決定するだろう」
「……」
「新しいドレスとアクセサリーは、既にスプリンダ領の方でお前に似合いそうなものを仕立ててある。 あとは問題は起こさず、大人しく過ごすようにしなさい」
「……はい」
父は、多分ローラが社交界でなんと呼ばれているかは知ってるのだろう。
それに触れないのは優しさか、それとも。
この話は終わりだとばかりに、紅茶を優雅に一口飲んだ父が傍らに置いてあった包みを二つ、ローラに差し出す。
「お祖父様と、シトラからだ。」
シトラとは、義母の名前だ。
五年前に父と再婚した彼女とは、ローラが殆ど領地にいないことも手伝い、殆ど顔を合わせていない。
最後に話したのも、一年以上前である。
(というより、どうも嫌われているような気がするわ)
義母にとっては前妻の娘だ、やり辛いのだろう。
ローラとて義母との距離感はわからないため、関係改善も出来ずに今日に至っている。
「感謝の言葉を、お二人にお伝え下さい」
「分かった」
義母からはコーラルピンクのヘアリボンだ。
優しげな色味のそれは、ローラの生来のヘアアクセサリーである春咲花を柔らかく引き立ててくれそうだ。
「……まあ、お祖父様ったら」
もう一つの包みを開けたローラの顔がわずかに綻ぶ。
祖父であるブロッサム前伯爵からの贈り物は、花をモチーフにした金の栞と、麦わら帽子であった。
令嬢が避暑のために被る優美なものではなく、丈夫な日差しよけが縫い付けられた実用的なものであり、これを喜ぶ令嬢はローラくらいしか居ないだろう。
病を患い、ブロッサム本邸の離れで療養をしている祖父の顔を思い返し、ローラは懐かしそうに瞳を細めた。
「今も庭弄りをしているのか」
「日課のようなものです」
ローラの庭弄りを教えたのは、何を隠そう祖父なのである。
当時はまだ足腰がしっかりしていた祖父や、存命だった祖母と共に花を植え育てた記憶は、今もまだ鮮やかだ。
「……淑女としての慎みは忘れないように」
「……はい、お父様」
ローラの庭弄り趣味について、父はあまり良くは思っていないが諦めている節はある。
先日モモから貰った『ジャージ』なる黒の上下があまりにも動きやすいので、それを着て庭造りをしていることは黙っておくことにした。
父の瞳が静かに細められる。
「……一度帰ってきても良いのだぞ、お前もお祖父様に会いたいだろう」
遠い記憶が懐かしくないと言えば嘘になる。
母や祖母の墓前だって参りたい。
が、今のローラは帰るつもりは無かった。
「遠慮いたします」
「シトラのことか? 今もつわりが酷いようだが、お前が帰ってくるのにきっと反対しないだろう」
「……」
義母は今、ローラの妹か弟を懐妊している。
どちらにせよローラが嫁ぐことが決まっている以上、義母には跡継ぎを産むという重大な使命があるのだ。
(私が里帰りをして、身重のお義母様にいらない心労を掛けたくないわ)
ローラの青い瞳が、父を見上げる。
静かな声音でこう告げた。
「……お二人とも、私のことよりも産まれてくるお世継ぎのことを考えては如何ですか」
「……っ」
父の顔が悲しげに引き攣る。
少し言い方が冷たかっただろうかと不安になりつつも、ローラは膝の上の手に力を込めた。
「産まれるまでは帰るつもりはないですし、産まれてからも極力顔は出さないと、お義母様にお伝えください」
そのほうが、義母のためになるはずだ。
父は何とも言えない顔でローラを見た後、深く溜息をついて頷いた。
「……わかった、王太子妃教育が忙しいと伝えておく」
「ありがとうございます」
渇いた喉を潤すために、ローラはカップを口にする。
温くなった茶は、ほんの少し渋く感じた。




