モモ先生の特別授業♡in馬車
ブロッサム家の紋章を掲げた馬車が、王都の街を走る。
リズミカルな揺れに誘われた眠気を持て余しながら、小さな窓から見える景色を眺めていたローラに、和やかな声が掛けられる。
「さっきはお疲れ様、王妃様に王太子殿下に連続してお相手は疲れたでしょ」
「ええ……まさか殿下とも顔を合わせる事になるとは思ってなかったわ」
ハンドバッグを開けたモモが、中から取り出したのは紙ナプキンに包まれた塩蜂蜜クッキーだ。
ジョージが見舞いに持ってきてもらったものをどうやらハンドバッグに入れてきたようだ。
「次の目的地までまだ時間は有るわ、軽食代わりに食べちゃいなさい」
「……ありがとう」
「んふっ、なんならお紅茶もあるわよ〜♪」
包みを受け取ったローラに、更に差し出されたのはティーカップとソーサーだ。
中にはホカホカと湯気を立てる紅茶が入っている。
口を付けると、ふんわりとアールグレイの爽やかな香りが鼻腔を吹き抜けていった。
「……ねえ、貴方のそのバッグどうなってるの?」
前から疑問に思っていたのだ。
モモがいつも携えているハンドバッグは、一帯どういう構造なのだろうか。
見た目はただのハンドバッグだ、財布やハンカチや細々したものを入れたらそれで一杯になってしまうだろう。
液体の温度まで保存出来るとなると、余程高位で繊細な魔力操作が必要な筈だ。
「んー? これね、お気に入りのバッグなのよン。 今の仕事が決まった時にお世話になった人からお祝いで貰って、今も大事に使ってるのよ〜♡」
自分の分の紅茶を楽しんでいるモモが、惚けたように瞬いた後に嬉しそうに膝の上のバッグを撫でた。
なるほど、確かに本体も持ち手の金の鎖も手入れされているのが分かるが、聞きたいのはそういうことではない。
「私の知る限り、こんな出鱈目な魔法を使う人は貴方が初めてだわ」
「あらそうなの、この国の魔法使いもたかが知れてるのね?」
シャドウに合わせた、テラコッタのルージュの鮮やかな唇が、悪戯そうに吊り上げられる。
「このバッグは、アタシの知ってるものなら何でも出せる魔法のバッグよ。 衣類も化粧品も食料も、多分構造が分かれば武器も取り出せる筈だわ」
「……それが転移者としての恩恵、といったところなのかしら」
「どうかしらねえ、アタシが知らないもの……例えばこの世界にしか無いものなんかは出せないと思うわ」
つまり、魔法を応用した魔道具や魔力を込めた魔晶石などは『今は』取り出せないようだ。
「貴方専用の魔道具……といったところね」
「そうね、まあアタシ以外が取り出せるのかは分からないわ」
つまり、モモからこのバッグを奪い取っても他者では使えない可能性もあるのだ。
漆黒の瞳を妖艶に細め、モモがバッグを差し出す。
「試してみる? 吸い込まれちゃったりするかもだけど」
「……遠慮しておくわ」
得体のしれない魔道具には、触らないのが吉だ。
素直に首を横に振ったローラに、モモが肩を竦めながら舌を出した。
「貴方、正直落ち目の王太子妃の教育係をするより、王宮仕えの魔術師になったほうが良いのではなくて?」
「えー、嫌よそんなの。 王妃様はともかく、あの性格悪そうな王太子に仕えるは面白くないわ」
モモのあけすけな物言いに、思わず口に含んでいた塩蜂蜜クッキーを噴き出しそうになった。
口元を押さえてもごもごと咀嚼を続けるローラにモモは破顔する。
「まあ、この世界の文化を変えるような事はするつもり無いし、アナタの教育係でいるから安心してちょうだい」
「そう、なんだか勿体ない気もするわ」
「なーに言ってるのよ、アナタは原石なのよ? しかもとびっきり綺麗でキラキラ輝く宝石になれるの」
この教育係は、いつもローラを鼓舞するような明るい事を言う。
口先だけと切り捨てるなら簡単だが、ここ数日己の背中を預け、ある時は広い背中に守られた身としては何故か信じたくなってしまう。
「……『風花令嬢』にそんなことを言うなんて、奇特な人ね」
「アナタ全然風花って感じじゃないわよ? ただ、ちょーっと損してる所はあるかなって思うわね」
含みを持たせた口振りに、ローラはクッキーを片手に小首を傾げる。
「損……とは?」
「アナタ、さっき王太子に「自分はパンプキンス男爵令嬢とは違う」と言っていたわね。 あれはどういうつもりでそう言ったのかしら?」
優しげなモモの問い掛けに、ローラは王宮庭園の噴水でのやりとりを思い返す。
「……あれは、王太子にパンプキンス男爵令嬢の事を見習えと言われましたが、彼女の立ち位置ややるべきことは私とは違いますし、彼女のように自由には振る舞えないのでそう返しただけです」
ローラが、王太子妃候補でもなんでもない『ただのローラ』であったなら、心優しく控えめで相手の側で無邪気に微笑むリコは寵愛される存在として見習うべき存在かもしれない。
けれど、伯爵令嬢として王太子妃候補として選ばれたからにはそれだけでは居られないのだ。
「なるほどね。 あの言い方だと王太子は多分、『私は彼女と違って高貴な身分なので、身分の低い者から学ぶ事はありません』と解釈してしまったのではないかしら?」
青い瞳を大きく見開く。
確かに、言われてみればそうかもしれない。
「それで、殿下は怒った……と」
「ええ、ローラにはローラの考え方があったのに、上手く伝わらなかったのかもしれないわね」
「なるほど……確かに、そうかもしれないわ」
オータムナル王太子は正義感の強い人物だ。
ローラの言葉から曲解して、リコを虐めていると解釈してしまっていてもおかしくはない。
「ま、そうだとしてもあの王子様みたいに相手を頭ごなしに怒鳴り付けて、挙げ句人格否定しちゃうのは品が無いと思うけどねっ♪」
「先生……」
「伝え方って、大切だったりするのよ。 思ってることが上手く伝わらないと悲しいじゃない?」
「そうね……」
小指を立てながら一口紅茶で唇を潤したモモが、人懐っこく微笑む。
「アタシは、アナタが優しくってチャーミングなお嬢様ってちゃーんと分かってるからね♪」
この人は、本当に人を励ますのが上手だ。
きっと、人と話すことが……人と関わることが好きなのだろう。
心がほんわりと温かいのは、きっと紅茶のぬくもりだけではないのだろう。
「ありがとう、モモ先生」
もう一口齧った塩蜂蜜クッキーは、何時もよりもさらに美味しく感じられた。




