第94話 相変わらずよく分からない話
■校舎裏・自販機前
放課後。
校舎裏の自販機の前で、真田巴は開口一番、そう言った。
「……意味が分からない」
「どの部分」
前田千夜が聞く。
「全部」
即答だった。
「……」
千夜は無言で缶を買う。
取り出し口から缶を拾い、プルタブを開けた。
プシッ、と小さな音がする。
「……朝、話しかけてきた」
「うん」
「避けてたみたいで悪かったって言われた」
「うん」
「嫌われたくなかっただけらしい」
「……うん」
そこまでは、まだ分かる。
少なくとも、言っていることだけなら分かる。
「で」
「うん」
「今まで距離を取りすぎてたから、距離を縮めるって言ってきた」
「……うん?」
千夜の返事が、少しだけ遅れた。
「そのあと、本当に近づいてきた」
「……本当に?」
「本当に」
巴は真顔でうなずいた。
「一歩近づいてきた」
「うん」
「私が下がった」
「うん」
「そしたら、また近づいてきた」
「……」
「最終的に、壁際まで追い込まれた」
「……」
千夜の手が止まった。
「……それは」
「そういうことではないのは分かってる」
「うん」
「でも、近かった」
「……うん」
「肩が触れそうだった」
「……」
千夜は、数秒黙った。
それから、缶を少し傾ける。
「……距離の詰め方がおかしい」
「だろう」
巴は深くうなずいた。
「それで終わりかと思ったら」
「まだあるの」
「ある」
巴は、少しだけ視線を落とした。
「……指輪の話をされた」
「……指輪?」
千夜の手が、また止まる。
「そうだ」
「突然?」
「突然」
「……」
千夜は黙った。
数秒黙った。
「……なんで指輪?」
「距離を縮める方法として、以前買った指輪を渡すのはどうかって」
「……」
「それで、今渡すのはやめた方がいいらしいってなった」
「うん」
「でも、いずれ渡すとして」
「うん」
「その時、受け取ってくれるかって聞かれた」
「……」
千夜は、また黙った。
今度は、少し長かった。
「……それで?」
「逃げた」
「……」
「走って逃げた」
「……」
千夜は、缶を口元まで持っていったまま止まっている。
「……それは、逃げる」
「だろう」
「うん」
「私もそう思う」
巴は真顔だった。
真顔なのに、耳が少し赤い。
「意味が分からない」
「うん」
「距離を取っていたと思ったら、急に距離を縮めてくる」
「うん」
「その距離の縮め方が物理的に近い」
「うん」
「そのあと指輪だ」
「……うん」
「しかも、受け取ってくれるかだ」
「……」
千夜は、小さく息を吐いた。
「……朝比奈って」
「うん」
「普通にすると、多分普通なんだと思う」
「……?」
「でも、考え始めると変になる」
「……」
巴は少し考える。
嫌われたくない。
だから距離を取る。
距離を縮めたい。
だから近づく。
指輪を渡す。
受け取ってくれるか聞く。
「……変だな」
「変」
即答だった。
巴が、少しだけ笑う。
本当に少しだけ。
それから、すぐに顔を逸らした。
「……でも」
「うん」
「前よりは、ちゃんと話した」
「うん」
「……それは、良かった」
千夜は静かにうなずいた。
押さない。
決めない。
でも、それくらいは言ってもいい気がした。
「嫌われては、ないんじゃない?」
「……」
巴は少し黙る。
嫌われたくなかっただけなんだが。
その言葉を思い出す。
顔が、少し熱くなる。
「……それは」
「うん」
「……たぶん」
「うん」
「そうなんだろうけど」
「うん」
「……」
巴は缶を握る指に、少しだけ力を入れた。
「やっぱり、よく分からん」
結局、そこに戻る。
千夜が少しだけ笑った。
「相変わらずだね」
「本当に」
巴は、小さく息を吐いた。
よく分からない。
でも。
朝のことを思い出すと、少しだけ胸の奥が落ち着かない。
遠すぎた距離は、戻った。
けれど今度は、近すぎた。
それがまた、あまりにも朝比奈らしくて。
「……」
巴は、もう一度だけ小さく息を吐いた。
夕方の風が、校舎裏を抜ける。
自販機の横の空き缶入れが、かすかに揺れた。
意味は分からない。
でも、前よりは少しだけ。
本当に少しだけ。
悪くないのかもしれない。
そう思った。




