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恋愛台帳、時代ズレにつき修正不能  作者: サザルト
第1章 すれ違い編

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第92話 なんか上手くいってない話

■二年A組教室


 放課後。


 二年A組の教室には、まだ何人かの生徒が残っていた。


「千夜ちゃん、面白いね」


 彩音が、机に頬杖をついたまま楽しそうに言った。


「お前が言うと怖いんだよ」


 基樹が即座にツッコむ。


 教室に、小さな笑い声が広がった。


「巴のために、恒一を見に来てたんでしょ?」


 彩音は、まだ笑っている。


「それだけでも面白いけど」


「面白がるなよ」


「でも、恒一の変なところを見て、ちゃんと納得してくれたんだよ?」


 彩音は少しだけ目を細めた。


「それって、なかなか面白いと思うけどな」


「だから、それを面白がってるところが怖いんだよ」


 基樹が少し嫌そうな顔をする。


「千夜ちゃん、巴のことちゃんと見てるし。恒一のことも、ちゃんと見てる」


「……」


「その上で、恒一のズレ方に納得してるんでしょ?」


 彩音は、楽しそうだった。


 悪意があるわけではない。


 けれど、面倒なものを見つけた時の顔をしていた。


「……やっぱ危ねえな」


 基樹がぼそっと言う。


「何が?」


「お前のその顔」


「ひどいなあ」


 彩音は笑う。


 純也も苦笑していた。


「でも、前田さんは面白い人だったよ」


「だろうね」


 彩音はあっさりうなずいた。


「巴の友達って感じする」


「それ、どういう意味だよ」


「ちゃんと見て、ちゃんと引っかかるところ」


「……」


 基樹は、少しだけ黙った。


 恒一だけが、よく分からない顔をしている。


「……前田さんが面白いのか?」


「そこからかよ」


 基樹がため息をついた。


「お前には、たぶん分かんねえ話だ」


「そうなのか」


「そうだよ」


 彩音は、くすっと笑った。


「恒一は、今は別の話を考えた方がいいかもね」


「別の話?」


「うん」


 その空気が、少し落ち着いた頃。


「……なあ」


 恒一が、珍しく自分から口を開いた。


「?」


 三人の視線が向く。


 恒一は少し考えてから言った。


「真田の話なんだけど」


 一瞬、空気が止まった。


「……」


 基樹が、ゆっくり顔を上げる。


 彩音は笑みを少しだけ薄くした。


 純也も、黙って恒一を見る。


「なんか」


 恒一が続けた。


「最近、上手くいってない気がする」


「今更か!!」


 基樹が机を叩いた。


「気づくのおせえよ!!」


「……そうなのか?」


「そうだよ!」


 即答だった。


 純也が少し苦笑する。


「まあ、距離取りすぎ感はあるよね」


「……」


 恒一は黙り、少し考える。


「避けてるつもりはない」


「いや、避けてる」


 基樹が即答した。


「めちゃくちゃ避けてる」


「……」


 恒一は、さらに考えた。


「ちゃんと距離を取ってるだけだ」


「それを避けてるって言うんだよ!」


 基樹が頭を抱える。


 彩音が小さく笑った。


「でも恒一、極端なんだよね」


「……?」


「距離の取り方」


 彩音の声は柔らかかった。


 責める感じではない。


 けれど、ちゃんと見ている声だった。


「前は近すぎたのに、今は遠すぎるし」


「……」


 恒一は少し黙る。


 否定できなかった。


 前は、普通に話しかけていた。


 道場にも行っていた。


 稽古もしていた。


 今は。


 必要なことだけを言って。


 終わったら離れる。


 それを、自分ではちゃんとしているつもりでいた。


「嫌われたくないだけなんだが」


 ぽつりと、恒一が言った。


 今度は、三人が止まった。


「……」


 基樹が、ゆっくり天井を見る。


「あー……」


 純也も苦笑した。


「そこなんだ」


「そこだね」


 彩音が、少しだけ目を細める。


「……何か変か?」


「変っていうか」


 純也が言う。


「すごく恒一らしい」


「褒めてるのか?」


「褒めてはいない」


 基樹が即答した。


「でも、分からなくはない」


 彩音が言った。


「嫌われたくないから、相手が嫌がらない距離を取ろうとしたんでしょ?」


「ああ」


「それで、距離を取りすぎた」


「……」


「恒一は、たぶん真面目にやってる」


「……ああ」


「でも、巴から見たら、急に避けられたように見える」


「……」


 恒一は黙った。


 それは、考えていなかった。


 考えていたつもりだった。


 真田を困らせないように。


 嫌がられないように。


 近づきすぎないように。


 でも。


 それが、相手からどう見えるのか。


 そこまでは、ちゃんと考えていなかった気がする。


「……前の方が普通だったのか」


「そうだな」


 基樹がうなずく。


「前の方がまだ普通だった」


「昔の恒一、もっと分かりやすかったしね」


 純也も言う。


「今、変に考えるからな」


「その結果、極端」


「……?」


 恒一だけが分かっていない顔をする。


 彩音は、そのやり取りを見て少し笑った。


「恒一らしいね」


「そうなのか?」


「うん」


 彩音は笑う。


「ちゃんと考えた結果、ズレるところ」


「褒めてないよな?」


 基樹が真顔で言った。


「褒めてないよ?」


 彩音は楽しそうに返す。


「……」


 恒一は少し考える。


 嫌われたくない。


 だから距離を取った。


 でも、それで上手くいっていない。


 なら、何かが違う。


「……難しいな」


 ぽつりと漏れる。


 基樹が深くため息を吐いた。


「お前なあ……」


「そのへんだけ、ほんと不器用だよな」


 純也が苦笑する。


「……そうか?」


「そこも分かってねえのか」


 基樹が呆れる。


 教室に、小さな笑い声が広がった。


 けれど、恒一は笑わなかった。


 ただ、少しだけ真面目な顔で考えていた。


「……じゃあ」


「ん?」


「どうすればいい」


 基樹が、一瞬止まる。


 彩音も、少しだけ目を瞬いた。


 恒一は続ける。


「このままだと、上手くいってないんだろ」


「ああ」


「真田も、たぶん困ってる」


「たぶんな」


「なら、直した方がいい」


「……」


 基樹は、少しだけ表情を緩めた。


 ようやく、そこに来た。


 そういう顔だった。


「普通に話せ」


 基樹が言う。


「普通に?」


「ああ」


「距離は」


「だから数字で考えるな」


「数字とは言ってない」


「今言いそうだっただろ」


「……」


 恒一は少し黙った。


 言いそうではあった。


 彩音がくすっと笑う。


「まず、避けないことじゃない?」


「避けてない」


「恒一の中ではね」


「……」


「でも、巴から見たら避けてるように見える。だから、そこを戻す」


「戻す」


「そう」


 彩音は、柔らかく言った。


「ちゃんとしすぎないで、普通にする」


「……難しいな」


「難しくしてるのはお前だよ」


 基樹が即座に言った。


 純也が笑う。


「まあ、でも」


「ん?」


「前よりは進んでるんじゃない?」


 純也が言う。


「上手くいってないって、自分で気づいたんだし」


「……そうなのか」


「そうだよ」


 基樹がうなずく。


「遅いけどな」


「遅いのか」


「遅い」


 即答だった。


 恒一は、少しだけ頷いた。


「じゃあ、直す」


「……」


 基樹が黙る。


 彩音も、純也も黙った。


 その言い方は、いつもの恒一だった。


 真面目で。


 単純で。


 少しズレていて。


 でも、ちゃんと前に進もうとしている。


「……まあ」


 基樹は頭をかきながら言った。


「今回は、その方向でいいんじゃねえの」


「そうか」


「ああ」


「分かった」


 恒一は短く返した。


 教室の外から、放課後のざわめきが聞こえる。


 上手くいっていない。


 そのことに、ようやく気づいた。


 だから、直す。


 恒一の中では、たぶんそれだけだった。


 けれど、それで十分なのかもしれない。


 少なくとも、今は。


「……で」


 基樹が念のために言った。


「明日いきなり一メートルまで詰めるとかやめろよ」


「一メートルは近いのか?」


「そこからかよ!」


 また、教室にツッコミが響いた。

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