第87話 わかりやすくない話
■二年D組教室
昼休み。
二年D組の教室で、前田千夜は窓際から外を見ていた。
「……」
視線の先には、グラウンドがある。
昼休みのグラウンドでは、陸上部の数人が軽く走っていた。
その中に、朝比奈恒一がいる。
フォームは綺麗だった。
無駄が少ない。
真っすぐ走る。
「……」
(……やっぱり、よくわからない)
千夜は思う。
悪いやつには見えない。
むしろ、ちゃんとしている。
真面目だし。
気遣いもしている。
でも、その気遣いが、妙にズレる。
「……」
視線の先で、基樹が何か言っていた。
昼休みでも、あの二人はだいたい一緒にいるらしい。
「だからお前、その距離の取り方やめろって」
「ちゃんとしてるだろ」
「ちゃんとしてねえんだよ!」
声までははっきり聞こえない。
けれど、口の動きと表情でなんとなく分かる。
基樹がツッコんでいる。
恒一は、本気で分かっていない顔をしている。
「……」
千夜は、小さく息を吐いた。
(……本気なんだ)
演技ではない。
分かった上でやっている感じでもない。
本当に、あれが自然なのだ。
それは昨日、二年A組の前で見ていても分かった。
あの教室の中でも。
基樹にツッコまれていても。
彩音に笑われていても。
恒一はずっと、本気で何かを考えていた。
ただ、その考える方向が微妙に違う。
「……」
(……面倒くさいな)
千夜はそう思った。
でも、少しだけ。
(……巴が気になるのも分かる)
そうも思った。
分かりやすくはない。
むしろ、かなり分かりにくい。
けれど、目に残る。
静かなのに、妙に引っかかる。
あれは、そういう相手なのだろう。
■校舎裏・自販機前
放課後。
校舎裏の自販機の前で、巴が千夜を待っていた。
「……で?」
巴が聞く。
「どうだった?」
「変なやつ」
千夜は即答した。
「……」
「悪いやつではないと思う」
「……うん」
「でも」
千夜は缶を取り出し、軽く傾ける。
「多分、本人が一番分かってない」
「……」
巴は、少し黙った。
なんとなく、分かる気もした。
恒一は、たぶん本気だ。
本気で距離を取っている。
本気で様子を見ている。
本気で、ちゃんとしていると思っている。
だから余計に分からない。
「……そう」
巴は短く返した。
風が吹く。
少しだけ沈黙が落ちる。
「もっと」
千夜が何気なく言った。
「分かりやすい人を好きになれば?」
「は?」
即答だった。
空気が変わる。
千夜が、少しだけ目を瞬く。
「……いや」
「なんでそうなる」
巴の声が低い。
珍しく、感情が出ていた。
「別に私は」
そこで、言葉が止まる。
言い切れない。
違うと言いたい。
でも、強く否定しようとすると、なぜか言葉が引っかかる。
「……」
千夜は、少しだけ目を細めた。
(……ああ)
静かに理解する。
たぶん、本人が一番分かっていない。
朝比奈恒一も。
真田巴も。
「……ごめん」
千夜は、小さく言った。
「……別に」
巴は視線を逸らす。
でも、その耳は少しだけ赤かった。
「別に、そういう話じゃない」
「うん」
「ただ、距離が変だから」
「うん」
「気になるだけ」
「うん」
「……」
「……」
千夜は、缶に口をつけた。
それ以上は言わなかった。
言えばたぶん、巴はまた否定する。
そして、否定すればするほど分かりやすくなる。
少なくとも、千夜にはそう見えた。
「分かりやすくないね」
千夜がぽつりと言う。
「誰が」
「二人とも」
「……」
巴は答えなかった。
少し離れた場所では。
「だからその距離感がおかしいんだって!」
「……?」
基樹のツッコミが、今日も響いていた。
巴はそちらを見ない。
見ないまま、缶を握る指に少しだけ力を入れた。
千夜は、それを横目で見ていた。
(……うん)
やっぱり、分かりやすくはない。
でも。
分かりにくいからこそ、気になるのかもしれない。
そう思って、千夜は空き缶を軽く振った。




